78 迷路
浜本涼香は給食を食べるのが早い。
涼香は身長こそ高い方であるが、痩身であるため、クラスメイトたちから早食い
のイメージは持たれていなかった。
しかし実際の涼香はほぼ毎日、クラスで1番最初に給食を食べ終えていた。
このクラスには健太と昌巳という学年で1,2を争うデブ男子2人がいたが、涼
香はその2人よりも食べるのが早かった。
そんな涼香と席替えで隣の席になったのは諒だった。
ある日、諒はいつものように給食を食べていると、早く食べ終わった涼香がなに
やらボソボソと独り言を呟いていることに気が付いた。
涼香は誰かに向けて話すではなく、丸まった背中で手元を見つめ、心の声がつい
口を衝いて出てしまった……そんな様子であった。
そしてある程度呟くと、涼香は決まって自由帳を机から取り出し、なにかを描き
始めるのだった。
最初は特に気にしなかった諒であったが、それが連日続くとそうはいかなくなる
ものだ。
なんとか内容を知りたい、そう思ったが給食の時はクラス中から話し声が聞こえ
てくるため、涼香の声を聞き取ることはできなかった。
しかし翌週の水曜日、突然諒の耳に涼香の言葉が入ってくるようになった。
それは諒の脳が涼香の声を特別なものとして認識をし始めたということなのかも
しれない。
多くの雑音を掻き分けて諒が聞き分けた涼香の言葉は以下の通りだ。
「あー……なんでこんなに早く食べちゃったんだろう。もっとゆっくり食べればよ
かった。みんないいなあ、まだ食べるものがあって。もっとゆっくり味わって食べ
ればよかったなあ。みんな、美味しそうだなあ。私食べるのが早いからゆっくり食
べればいいのに、なんでこんなに早く食べちゃったんだろう。あー……天井の点々
見てたら迷路書きたくなっちゃった。自由帳に迷路書こうっと」
涼香は寂しそうな顔でそう言い終わると、机の中からピンク色の表紙の自由帳を
取り出し、単純な迷路を書き始めた。
諒は涼香の独り言の内容を知った時、驚きのあまり暫く箸を持つ手が止まってし
まった。
まさか涼香が自らの早食いを後悔していたとは……。
これだけははっきりと言える、諒の短い人生の中にそんな価値観を持つ人間なん
ていなかった。
涼香の個性は諒の想像を超えるものだった。
翌日も、そのまた翌日も、涼香はクラスで1番に給食を食べ終え、そして言うの
だ、「あー……なんでこんなに早く食べちゃったんだろう。もっとゆっくり食べれ
ばよかった。みんないいなあ、まだ食べるものがあって……」と――
「――という話があるんですけど、ともちゃん先生はどう思いますか?」
「やめろー! そんな恐い話を私に聞かせるなー!」
諒の話を智子は泣きそうな顔で拒絶する。
「この教室の中で実際に起こっている実話ですよ?」
「知らねえよ! お前の胸の中にしまっておけよ!」
「浜本もともちゃん先生の大事な教え子ですよね?」
「教え子だとしても、心の闇には触れられないんだよ!」
「給食を食べ終える度に後悔してるんですよ?」
「だからなんなんだよ! 自分でゆっくり食えばいいだけだろうが!」
「それができないんです」
「できねえわけねえだろうが!」
「迷路書き始めるんです」
「だからそれも恐いんだよ!」
「毎日天井見て思い付くんです、『そうだ、迷路を書こう』って」
「やめさせろよ! マジで恐いから! 勝手に自由帳にせっせと迷路書いてんじゃ
ねえよ! これから6年1組は全面的に迷路禁止だー!!」
給食を美味しく残さず食べるのはいいことだ。
しかし、度が行き過ぎるとホラーになってしまう。
1人の生徒の給食との向き合い方に智子は恐怖し、今日も教室で泣いてしまうの
であった。




