表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

76/216

76 この世で1番いらないもの

「今日はこの時間を使って道徳の授業を行う」


 木曜日の5時間目、本来ならば学級会の時間であるが、特別なことがなければし

ない方針の智子は、いつもその日の気分で適当なことをやっていた。


 この日はなんとなく、「久しぶりに道徳でもやるか」という気分になり、突然生

徒たちに伝えたのであった。



「具体的にはなにをやるんですかー」

「それを今から言うから、お前は黙って聞いていろ」


 健太のありふれた質問を智子は邪険に扱った。

 その光景もこのクラスでは当たり前のものとなり、もはや誰も気にも留めないの

であった。



「いる物といらない物の選別を行う」


 智子は授業のテーマを発表した。


「……どういうこと?」


 健太は全く理解ができず、豚みたいな顔できょとんとしている。


「中井、田中にも理解できるように易しく説明してやってくれ」

「はい」


 智子に指名された朝陽が立ち上がる。


「えー……多分ですけど、戦争や核兵器はいらない物、平和やスポーツはいる物と

いうふうに社会にとって必要な物とそうでない物を分けていくんだと思います」

「へー。そうなの? ともちゃん先生」

「その通りだ。さすが成績がいいと物分かりも早くて楽でいいな。もうこれからは

中井が授業やれよ」


 智子は教卓に頬杖をつきながら言った。


「授業はともちゃん先生がやってください」


 朝陽は真顔で答えた。


「はいはい。じゃあ、やるか。まずは、戦争と核兵器がいらない物で平和とスポー

ツがいる物だな」


 智子は朝陽が言ったことを黒板に書いた。


「他にはあるか? じゃあまずは、いらない物」

「政治家の汚職!」

「人殺し!」

「オレオレ詐欺!」

「差別!」

「税金!」

「無免許運転!」


 生徒たちは次々と自分の思ういらない物を挙げていく。

 智子は順番にゆっくりと言うように促しながら、それらを全て黒板に書いていっ

た。


「とりあえずこれは置いておいて、次はいる物だ。なんかあるか?」

「ゲーム!」

「服!」

「家!」

「休日!」

「音楽!」

「漫画!」

「スマホ!」

「給食!」


 いらない物に対して、いる物のスケールが小さいことを智子は少し気にしつつも

全てを黒板に書いた。


「ゲームと音楽と漫画って全部、『娯楽』で一括りにできるな。スマホもか?」


 そう言うと智子はそれらの文字に赤丸を付けた。


「これらはどうだ? 必要か?」

「働くだけじゃストレスが溜まって病気になってしまうので、娯楽はいると思いま

す。休日も同じ理由で必要です」


 朝陽の意見に反対する者はいなかった。


「次に服と家と給食だけど、これは衣、食、住だな。どうだ、これらは必要か?」

「寧ろ、それが1番いるやつじゃないの?」


 颯介の発言にクラスメイトは同意する。


「いる物は分かりやすかったな。問題はいらない物の方だけど、政治家の汚職と人

殺しとオレオレ詐欺と無免許運転は全部違法行為だな。これらをいると思うやつは

いるか?」

「いるわけないじゃん!」


 蓮の指摘に笑いが起きる。


「じゃあ、差別は?」

「差別は駄目だよ。やっていいはずがない」


 愛梨はすかさず言った。

 続けて駿が口を開く。


「聞いた話だけど、関西人って関東に行くと言葉とかで馬鹿にされて差別されるら

しいよ」

「えー、そうなの?」

「ネタにされていじられるんだ」

「俺のイメージだけど、関東の人間て意地悪だよな」

「でも――」


 男子生徒を中心に関西人の関東での扱いの悪さを愚痴っていた時、普段は授業中

あまり発言をしない美織が珍しく口を開いた。


「去年、遠山さんが転入してきた時、彼女の東京弁を男子たちは陰でくすくす笑っ

てたよね。それってなにが違うの?」


 この発言に教室内から一切の雑音が消えた。


 2組にいる遠山絢音は去年の夏休みの終わり、東京から転校してきた。

 見た目がよく、すぐに人気者になった絢音であったが、同時にテレビのアナウン

サーとも少し違うイントネーションのしゃべり方が男子たちの間でネタにされてい

た。


「俺たちのは冗談だったと思うけど……」

「そう。で、その冗談は、『差別』や『意地悪』とはなにが違うの?」


 間髪をいれない美織の発言に男子たちは黙ってしまった。


(迫力あるなあ。知力の高いやつの言動は子供であっても参考になる)


 智子は美織の、「反論を一切許さない」という態度に惚れ惚れしていた。


「つまり、差別は駄目だし、無意識のうちに自分もその加害者になり得るから気を

付けようと、言いたいのはそういうことだな? 本間」

「はい」


 長い議論を好まない智子は、次に行くためにさっさと話をまとめた。


「じゃあ、最後は税金か。これはどうだ?」

「税金がなければ、もっとお金が使えるから税金はいらない」


 昌巳は言った。


「でも、税金がないと道路も信号も直せないよ?」


 優花が反論をした。


「だったら必要な時に寄付で集めればいい」

「それで足りなかったらどうするの?」

「その時はまだ払ってない人とかもうちょっと払えそうな人から取る」

「それって税金じゃない?」


 聞いていた生徒たちの間から笑いが起こった。

 それを聞いて昌巳はムッとした表情になる。


「税金だと貧乏人は払えなくて大変だろ。俺のやり方だと、払えない人はちょっと

で済むからいいだろ」

「税金もそうでしょ?」

「え?」

「え?」


 2人は顔を見合わせた。


「……どういうこと?」

「税率って収入に応じて変動するよね? 知らないの?」


 昌巳は所得に応じて税率が変動することを知らなかった。

 そんな昌巳を優花はどん引きの表情で見つめた。

 反論ができず呆けた表情の昌巳を見て、智子はこれ以上の議論はやめて授業を終

えることにした。



「よし、今日の授業はここまでだ。いる物といらない物、みんなもこれからはそれ

らの理由までよく考えて判断してくれ」

「ともちゃん先生」

「ん? なんだ?」

「ちなみに、ともちゃん先生がこの世で1番いらないと思う物ってなんですか?」


 授業を終えようとした智子に蓮が声をかけた。

 1度踏み台から下りていた智子は、再びその台の上に立ち、教卓越しに蓮を睨む

ように見つめた。


「この世で1番いらない物、それはな――乗れないベランダだ」


 乗れないベランダ……クラスの誰もがその言葉に反応をしなかった。

 智子がなにを言っているのかがよく分からなかったのだ。


「乗れないベランダ?」

「たまにあるだろ。窓のすぐ外にあるベランダの形をしてるけど、人が乗れない飾

りだけのベランダ」

「鉢植えとかを置くしかない細いベランダですか?」

「そう! それ! なんであるんだよ、あんなもん!」

「……なんでって、飾りってともちゃん先生が言ったじゃないですか」

「いらないんだよ、飾りなんか! 期待させるなよ!」


 智子は鬼の形相であるが、子供なので全然恐くはない。


「親戚の家のベランダがそのタイプだったんだよ! 遊びにいく前日に、『あれ?

あのベランダって乗れたっけ?』って気になり始めて、当日真っ先に確認に行った

んだ。そしたらさあ、乗れないタイプだったんだよ! なんだよ! 期待させるな

よ!」



 それはともちゃん先生が勝手に思い込んだだけなのでは……。

 生徒たちは全員同じことを思ったが、口には出さず、教卓をぺしぺし叩きながら

荒ぶる智子を黙って見守るのであった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ