71 塾に行く途中
「賢一とは4年と5年の時に同じクラスになって、少年野球のチームメイトでもあ
るので、放課後は毎日のように草野球をしてたんです」
進介は3組の志村賢一とのことを話し始めた。
賢一は入学時は滝小学校にはいなかった転入生で、彼が何年の時にやってきたの
かを進介は知らない。
だから4年の時に賢一の住むアパートが自宅近くにあるのを知った時は驚いたも
のだった。
「4年の時はよかったんです。学校が終わってから家に帰って、グローブを持って
広場に行く。それから数時間は野球ができたんです。メンバーが集まらなくて、3
人対3人のこととかありましたけど、それでもなんとなく楽しくやれてたんです」
一息ついた進介は瞬間的に暗い顔になった。
少年の無邪気さは嫌なことを思い出し、一瞬で消え失せた。
「5年生になって状況が一変したんです。赤瀬先生って授業中に脱線して昔話をす
ることがよくあったんです。ほとんどが学生時代の失敗話で、それ自体は面白いん
ですけどそのせいで授業が進まなくて、その結果毎日授業を6時間目までやること
になったんです」
「赤瀬先生って毎日6時間目までやってたの?」
驚いた智子は聞いた。
「はい、毎日です。水曜日ってクラブ活動の日だから5時間目までですよね?」
滝小学校では毎週水曜日の5時間目は、「クラブ活動」と称して、4年、5年、
6年の生徒たちが自らが選んだクラブで活動を行う時間となっていた。
ちなみに進介は4年と5年の時は、「図工クラブ」今年は、「バスケットボール
クラブ」を選んでいた。
「でも、赤瀬先生はそのあとの6時間目もぼくたちを教室に戻して授業を行ってい
たんです」
「へー。水曜の6時間目も授業してたのか。それは大変だったな」
「しかも終わりの会なんかでも突然学級会になったりするから、解散するのが4時
なら早い方でした」
「6時間目が終わるのが3時半だろ? そこから学級会したら……そうか、4時越
えるか」
智子は想像をして、「面倒臭え」という顔をした。
「だから、他のクラスのメンバーと遊ぶのが凄く難しかったんですよ。時間が合わ
なくて」
「それはそれで問題だな」
「しかも赤瀬先生って、校則至上主義者なんです」
「そんな主義者がいるのか」
智子は冗談めかして言うが、進介は真顔である。
「冬場の帰宅時間て5時なの知ってます?」
「さすがにその位は私も知ってるぞ。冬は陽が短いから帰宅時間も早いんだよな」
「ぼくと賢一の家って校区の端なんです。特にぼくの家はお向かいの家が別の小学
校ですから、本当に校区の端っこなんです。そこから海の近くの広場まではどんな
全力で走っても片道10分はかかるんです」
「4時過ぎに家に着いて、走って10分かけて広場に到着か。野球する時間ねえよ
な」
「そうですよ。しかも校則の帰宅時間が5時の場合、5時の時点で家にいなければ
駄目っていうのが赤瀬先生の考えだったんです」
「え? そうなの?」
智子は首を傾げた。
(赤瀬先生の解釈って極端だな……)
「ある日賢一が真面目な顔で提案をしてきたんです」
「なんて?」
「『グローブを鞄に入れて持ち歩こう』って」
「ん? どういうこと?」
「もしも5時過ぎにクラスメイトに見つかって次の日の終わりの会で議題にされた
ら、『塾に行く途中でしたって言おう』って」
「ほー」
智子は賢一のアイデアを微笑ましいものだと思う反面、生徒をそこまで追い込む
赤瀬のやり方に違和感を覚えていた。
「ぼく、賢一の考えに感心したんです。なるほどなって思ったし、こいつ天才かよ
とも思いました」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「まあ、そうですね」
そう言って2人は笑った。
進介がこれほどまでに赤瀬に否定的な理由はこの日も分からなかった。
しかし、もしかしたらしゃべることで進介の心のケアに繋がるかもしれない。
これからも機会があれば積極的に耳を傾けてやろうと智子は思った。




