70 タイム
土曜日の午後、滝小学校の運動場ではバレーボールの大会が開かれていた。
近くにある茶屋小学校と上坂小学校の生徒たちが招待され、男女3チームずつの
6チームが2学年で12チーム、3校で計36チームが性別と学年ごとに予選を行
い、夕方から行われる準決勝を目指した。
5年生も6年生も、男子も女子も、滝小学校のチームはどこも弱かった。
だからといって先生や生徒たちが危機感を持つかといえばそうではない。
この大会は地域の小学校同士の連携を深めることが目的の交歓会であり、むきに
なって勝利をもぎ取りにいくような性質の大会ではないのだ。
智子のクラスのチームも例に漏れず、男女とも1勝1敗という平凡な成績で予選
リーグを終えた。
試合を終えた生徒たちは友達のいる他クラスのチームの試合を観覧するため、各
自適当に行動していた。
事件が起きたのは6年3組の男子チームの最終戦でのことだった。
朝陽と進介は少年野球でチームメイトの志村賢一の試合の応援のため、ブランコ
の前にあるコートへと向かった。
試合は上坂小学校6年男子Cチームと行われており、既に4点差をつけられてい
た。
9人対9人で行われる試合はコート中に選手がひしめき合う、という表現がぴっ
たりな、そんなわちゃわちゃした雰囲気で行われた。
そんな中、周りの空気を一変させる出来事が起こった。
「ふざけんなよ!」
「なんだと!」
相手チームのサーブが始まる直前、隣同志のポジションで試合に出ていた橋本博
史と中山友治が掴み合いの喧嘩を始めたのだ。
すぐさま担任の佐久間がタイムを取り、2人を引き離した。
2人は離れたポジションに移され、佐久間が相手チームに何度も頭を下げ、とり
あえず試合は再開された。
しかし、当然ながらそこから逆転などできるはずもなく、そのまま試合は相手の
圧勝で終了した。
試合後、当事者の2人は佐久間に呼び出され説教を受けたのだが、喧嘩の原因は
直前の失点の責任がどちらにあるのかという他愛のないものであった。
2人の前に落ちたボールに対しまず博史が、「今のはお前が行くボールだ」と友
治を非難し、それに対し、「だったら邪魔だからお前はもっとあっちに行け」と友
治が博史を押しのけた……そして、「ふざけんなよ!」「なんだと!」である。
佐久間の斜め後ろで話を盗み聞きしていた進介は、あまりの喧嘩の原因のくだら
なさに驚いた。
小学校入学以来、自分が我慢することでトラブルを回避してきた彼にとって、こ
んなくだらないことで掴み合いの喧嘩が発生するというのは信じがたいことであっ
たし、ましてやそれが他校との交流中の出来事であるというのは想像を絶する事態
であった。
さらに進介を驚かせたのが、佐久間の説教がしつこくなく、さらにそれが理性的
であったことだった。
進介にとって男性教師といえば、「赤瀬徹」である。
進介の人生で唯一の男性の担任教師が彼なのだから、そう思うのは当然のことで
ある。
赤瀬の説教はくどく、熱があり、そして鬱陶しいまでに感情的であった。
進介はてっきり他の男性教師も程度の差はあれ、みんなそんなものなのだろうと
思っていた。
それが違ったのだから驚くのも無理はない。
確かに佐久間も2組の菊池も学年集会で長い説教をすることはなかった。
しかしそれはあとの予定があるからであり、時間があれば赤瀬と同じようにくど
く感情的な説教をするものだと思っていた。
この時、実はそうではないと知った進介は、「赤瀬先生が異常だったんだ」と知
り、少しだけ心が軽くなったような気がした。
「お前たち、今日はもう大人しくしていろよ」
博史と友治に釘を刺した佐久間は改めて相手チームに謝罪をするため去っていっ
た。
佐久間の背中を見ながら、当時2人と同じコートにいた賢一は言った。
「あの時のタイム、俺が取ったんだぜ」
進介は誇らしげに語る賢一の自慢げな表情の意味が分からなかった。
「いや、佐久間先生が取った。だってタイムは先生にしか取れないから」
朝陽は反論した。
進介はこの反論の意味も分からなかった。
このあと朝陽と賢一はしばらく、「誰がタイムを取ったか」で口喧嘩を続けるこ
とになるのだが、進介はそれも意味が分からないのであった。




