68 斜め横断
「去年、校外学習に行ったんです」
颯介は言った。
「行きは駅から目的地まで、1組を先頭にして2組と3組がそれに続いたんです。
で、帰りは逆に3組を先頭にして2組、1組の順に歩き始めたんです」
颯介は半年前のことを思い出しながら語る。
すると突然、顔がにやけだした。
「なんだよお前、気持ち悪いな」
「3組を先頭に駅に向かったんです。どうなったと思います?」
「なんだよその質問。どうなったって、3組2組1組の順に駅に着いた以外にない
だろうが」
「普通はそう思いますよね。でも実際は帰りも1組が1番に到着したんです」
「え? なんで? 足が速かったってこと? どういうこと?」
智子にはその理由が分からなかった。
颯介は半笑いで説明をする。
「まず、足が速いっていうのはその通りです。普通の先生って先頭を歩きながら、
何度も後ろを確認すると思うんです。でも斎藤先生は歩きながらそれを全くやらな
いんです」
「斎藤先生って、生徒がちゃんとついてきてるか確認しないの!?」
「そうです。しかも、全くですよ」
「マジかよ……」
「生徒を確認しながら歩くと当然歩みの遅い子に合わせることになりますよね?」
「当たり前だ」
「でも、斎藤先生はそれをせずに自分のペースで歩くんです。20代の大人の速さ
で歩くから、我々は小走りでついていくことになるんです」
智子は唖然とした。
斎藤のやり方は智子の想像の遥か上を行っていた。
「だからちょっと遅れて出発したのに、簡単に2組に追い付いちゃうんです」
「で、どうするの? 追い抜いちゃうの?」
「そうです。住宅街の歩道で追い抜くんです」
「そんなに広い歩道だったの?」
「普通の日本の一般的な広さの歩道ですよ」
「じゃあ、どうやって抜くの? 無理じゃない?」
「車道に出るんです」
「抜くまでずっと車道にいるの? 歩道と車道で並んで歩くの?」
智子は斎藤のあまりにも非常識な行動に少しわくわくし始めていた。
「さすがに長時間車道に居続けるわけにはいきません。少ないですけど車も走って
ますので。だから、抜くときは一気に抜くんです」
「一気にって、どうやって?」
「赤信号を利用するんです」
「ん?」
「赤信号で2組が立ち止まるじゃないですか?」
「うん」
「でも、住宅街の交差点なんで車なんてほぼ走ってないんですよ」
「もしかして……」
智子は嫌な予感がした。
「交差点を斜め横断するんです」
「生徒を引き連れて!?」
「そうです。1つ目の交差点で2組を、2つ目の交差点で3組を、その方法で追い
抜いたんです。そして駅に1番乗りしたんです」
「そんなことしてなんか意味あるの?」
「斎藤先生曰く、『かったるいことはしてられない』だそうです」
「……」
智子は咄嗟に笑いそうになったのを我慢した。
斎藤のこういった言動を「面白い」とか「格好いい」と勘違いする生徒が出てき
てしまうことは、教育現場としては絶対に避けなければならないのだ。
「斜め横断はな、そういう標識とかがない場合は絶対にやっちゃ駄目なんだぞ。危
険だからな」
「やりませんよ、そんなこと。というか、ともちゃん先生さっきから斎藤先生のや
り方に危機感を抱いてません?」
「抱くだろ。聞いた限りだけど無茶苦茶なんだから」
「大丈夫ですよ。俺たちだって斎藤先生が滅茶苦茶な人間だっていうことくらい理
解してますから。あんな人に影響受けたりなんかしませんよ」
颯介はカラカラと笑った。
しかし智子の表情は尚も冴えない。
智子は颯介のことは心配をしていない。
問題は、「世の中には斎藤のような人間に本気で憧れる者がいる」ということな
のだ。
「光井、私はお前のことは心配していないよ。きっとお前は中学に行っても真面目
に勉強やスポーツに打ち込んで、大学に行って、立派な会社に就職するだろう。で
もな、世の中にはそれができない人間もいるんだ」
「ああ……」
学力の高い颯介は智子の言いたいことをなんとなくだが理解した。
「私はそういう子たちが斎藤先生の言動に憧れたり、刺激を受けたりするのが心配
なんだよ。そういう子らに対して、『馬鹿』って言うのは簡単だ。でもその言葉に
はなんの意味もないよな」
「そうですね……」
智子は教室の隅でプロレスごっこをする健太と昌巳を見た。
「あいつらくらいの馬鹿なら逆に安心なんだけどな」
「え……」
颯介は絶句した。
「あの2人のことは馬鹿って言うんですか……」
「あいつらくらいの馬鹿なら人畜無害だろ。馬鹿すぎて物事を理解し切れてないか
らな」
「えー……」
「おい田中! 松田! お前ら禁止されてるプロレスごっこしたから今日の給食は
抜きだ!」
智子の言葉に健太と昌巳は目を丸くする。
「え!」
「俺は違う! プロレスしたのは昌巳だけだ! 俺はやってない!」
「ずるいぞ! お前からやってきたんだろ! プロレスしてたのは健太の方だ!」
「特別に1人だけは食わしてやる。どうする?」
「俺だ!」
「いや、俺だ! 俺が食う!」
「どっちが食うかはプロレスで決めたらどうだ?」
「よっしゃー!!」
「いいのか! 本気出すぞ!!」
健太と昌巳は両手を合わせ、力比べを始めた。
「清々しいまでの馬鹿だよなー」
「……」
給食をかけて闘う健太と昌巳、生暖かい目でそれを見る智子。ついさっきまで生
徒の将来を案じていた智子の変わりっぷりに颯介は言葉を失うのであった。




