表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/216

64 又三郎の気持ち

「ともちゃん先生の授業って生徒が自然と手を挙げて答えるじゃないですか? あ

れって、なんでですかね?」


 真美の疑問に智子はいい答えが浮かばなかった。


「なんでって言われてもなあ……。なんでだろ?」


 真美と智子は2人で首を傾げた。


「強いて言うなら、『私が求めるから』かなあ」

「それは他の先生も同じですよ。でも、他の先生の時はともちゃん先生の時みたい

に生徒の手が挙がらないんですよね」

「そうなの? でも言われてみれば、私の授業でも去年まではそうだったかも。今

年から私、なんか変わった?」

「変わったのは変わってますよね……」

「ん? 私のなにが変わった?」


 真美は智子が冗談を言っているのかそれとも真面目に言っているのかが分からず

苦笑いをするしかなかった。


「ともちゃん先生はちっちゃくて威圧感がないからですよ」


 進介はさらりと的を射た発言をした。


「お前はあれだな。最近、私に対しては正直に意見を言えるようになってきたな。

あ? 舐めんなよ」

「ともちゃん先生、後半おかしいから!」


 進介を睨みながら脅す智子を真美はたしなめた。


「なんだよ威圧感て。他の先生の場合は生徒がビビッて発言できないとでもいうの

かよ」

「ぼくはそう思います」

「そうか。市川はどう思うんだよ」

「私もそうなのかなって思うなあ。発言するのって勇気がいるし、先生が恐い人だ

と尚更かな」

「えー。他の先生ってそんなに恐いの? ということは、去年までの私も?」

「去年までのともちゃん先生は知らないですけど、赤瀬先生はめっちゃ恐かったで

す」

「またお前の赤瀬先生の話か」


 進介は5年3組での経験を話し始めた――



 赤瀬は国語の授業で突然黙り込むことがあった。

 

 初めてその症状が出たのは新学期が始まって間もない4月のことだった。

 それまで笑顔で授業を進めていた赤瀬が突然黒板に寄り掛かり、赤べこのよう

な顔で床を見つめ出したのだ。


 赤瀬の突然の豹変ぶりに生徒たちは訳が分からなかった。


 その頃には赤瀬が怒りっぽい人物であることは把握していたので、なにかが気に

触ったのだろうとは思ったが、それがなんなのかは誰にも分からなかった。


 数分の沈黙のあと、赤瀬は口を開いた。


「お前ら、どうして自分の意見を言わないんだ。算数や理科ならば分からない問題

もあるだろうし、それは仕方がない。でも、国語は違うだろ。この時の主人公の気

持ちはなんだろうか、この場合の登場人物の考えていることはなんだろうか、それ

らをお前らがどう思うかを問うてるんだ。お前らはなにも思わないのか? 違うだ

ろ。なにか思うことはあるだろ。それを言えばいいだけだ。なのにどうして誰も手

を挙げないんだ! 次からは国語の授業では1人1回は発言をするように!」


  

「これが赤瀬先生のやり方だったんです」


 進介は深刻な表情で話を終えた。


「別にそんなおかしなことはないと思うがな」

「でも、赤瀬先生ってめっちゃ恐いんですよ?」

「恐いっていっても、主人公の気持ちは言えるだろ」

「正直、主人公の気持ちなんてどうでもいいんですよね」

「ふっ」


 進介の正直な意見に智子は吹き出した。


「だとしても授業だから言えよ、気持ち」

「なんか恥ずかしくないですか? たかが小説の登場人物の気持ちを考えたり、自

己投影したり。誰かが考えたフィクションなのに」

「高平お前はあれだな、学校に向いてないな」

「ともちゃん先生!」


 進介を突き放す発言をした智子を真美は再びたしなめた。


「3月の終業式までに赤瀬先生が何回国語の授業で不機嫌になったと思います?」

「そんなにか? せいぜい数回だろ?」

「まあ、そうなんですけど」

「そもそもお前らも言えばいいじゃないかよ、主人公の気持ちくらい。言わないと

先生が不機嫌になるって分かってるんだし」 

「ピンとこないんですよ、又三郎の気持ちなんか」

「風の又三郎な」


 進介は心の底から嫌な顔をした。


「じゃあ、お前は赤瀬先生の機嫌が悪くなるのが分かっていても挙手はしなかった

んだな?」

「いえ、毎回必死で手を挙げてましたよ」

「え? 意見言ってたの?」

「違います。本読みです」

「本読み?」


 赤瀬は国語の授業では1回は発言をするようにと命令をした。そのため、教科書

の小説を読むだけの「本読み」が生徒たちの間で激戦となった。


「赤瀬先生が、『次誰か読んでもらえるか』って言った瞬間、クラスの全員が挙手

するんです。『はい! はい! はい! はい!』って。みんな必死でしたよ。そ

の後の嘉助の気持ちなんか知らないですからね。なんとか本読みでノルマをこなし

たいんですよ」

「そうか……」


 智子は当時の赤瀬学級を想像してにやけてしまった。


「お前らも大変なんだな」



 小説の登場人物の気持ちなんて興味ないと言い張る進介の意見に、智子は心の中

では同調していた。しかし、これからも智子は生徒たちに登場人物の気持ちを問い

続ける。なぜならそれが智子の仕事なのだから。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ