62 マリリンモンロー
雨の日の匂いが智子は好きだった。
雨の日は朝から教室の照明を使うので、まだ8時半なのに夕方みたいな雰囲気が
して好きだった。
休み時間、晴れた日は校庭を走り回っている生徒たちも、雨の日は教室の中では
しゃいでいる。本当は室内で暴れるのは駄目なのだけれど、智子はちょっとくらい
なら許してあげた。
雨の日の智子は機嫌がいいのだ。
教室の後方で笑いが起きる。
丸つけをしていた智子は顔を上げる。
後方では蓮が音楽の時間で習った童謡の、「村祭り」を口ずさみながらお尻をふ
りふりしている。
「ははは。あいつなにやってんだよ」
智子は周りにいた女子たちと笑った。
「ともちゃん先生もやってくださーい」
蓮の向こうにいる駿が声をかけた。
「やらねえよ。というか、なんなんだよそれは。流行ってるのか?」
「尻ふりダンスですけど?」
「知らねえよ。まんまじゃねえかよ」
智子は笑った。
「ダンスの名前はともちゃん先生が考えてくださーい」
朝陽が言った。
「ダンスの名前? うーん、そうだなあ……モンローダンスとか?」
「「?」」
教室にいた全生徒がきょとんとした顔をした。
「えっ、なにその顔?」
「なんですか、それ。モンロー?」
「マリリンモンローだよ! お前ら知らないの?」
「知らないです。人の名前ですか?」
「嘘だろ……。今の子ってなんにも知らないんだな」
「そのモンローって人、今何才ですか?」
「ちょっと待て。調べる」
智子はスマホで検索をした。
「1926年生まれだから、生きてたらもうすぐ100才だ」
「死んでる人!? そんなの俺たちが知ってるわけないじゃん!」
「亡くなったのが1962年だから60年以上前だな」
「60年以上前って、ともちゃん先生も生まれてないんじゃないの?」
「そうだぞ」
「なんでそんな人のこと俺たちが知ってると思ったんだよ!」
「言われてみればそうか……」
智子はちょっと落ち込んだ。もしかしたら自分の話は生徒たちに半分も伝わって
いないのではと不安になった。
「その人って政治家ですか?」
「違う。女優」
「へー」
生徒たちはあまり関心がないようだ。
自分たちが生まれる半世紀以上も前に死んだ人物なのだから無理もない。
「モンローを知らないなら、当然モンローウォークも知らないよな」
「それなんですか?」
「モンローウォークっていって、お尻を左右に振って歩くんだよ。それがセクシー
な女性の特徴とされてたんだ」
「そうなんですか。じゃあ、蓮の尻ふりダンスも『モンローダンス』でいいんじゃ
ない?」
朝陽の提案に生徒たちは賛同した。
「それでは、ともちゃん先生によるモンローダンスです。どうぞ!」
調子に乗った蓮に促され、智子は男子たちの輪の中に入っていった。
「……」
智子は両こぶしを胸の前に握り、膝を曲げた。
「ともちゃん先生、がんばれー」
無言で固まる智子に女子たちから声援が送られる。
「……」
雨の音が室内に響くが智子は動かない。
そして――
「駄目だ! 恥ずかしくてできない!」
頬を赤くした智子は断念をした。人前でお尻を振るなどといった恥ずかしい真似
はできなかった。
「なんだよー。時間の無駄かよー」
「うるせえよ! こんな恥ずかしいことはな、お前らみたいな馬鹿な男子にしかで
きないんだよ!!」
「それって男子差別だと思いまーす」
「馬鹿は差別されても仕方ないんだよ! まずは己の馬鹿を恥じろ! 馬鹿!」
「ともちゃん先生、無茶苦茶なこと言っちゃ駄目!」
「うるさい! うるさい! うるさーい!!」
たかがお尻を振れないだけでこんなにも大荒れ……智子の気難しさを改めて思い
知った生徒たちなのであった。




