61 30秒後
「大人ってみんな、急に怒るのが普通なんだと思ってました」
進介は言った。
「赤瀬先生の話か?」
「はい。赤瀬先生ってさっきまで笑ってたのに急に怒ることがあって、ともちゃん
先生がこの間、『それは個人的な問題だ』って言ったのを聞いて、初めて赤瀬先生
の個人的な特徴なんだって気付いたんです」
「世の中にはいろんな人間がいるからな。これからもっと驚くような出会いがある
と思うぞ」
「ネットで調べたら赤瀬先生みたいな人は、『瞬間湯沸かし器』っていって揶揄さ
れるんだそうです」
「確かに赤瀬先生の怒鳴り声は頻繁に廊下に響いてたな」
赤瀬がよく怒る教師だったというのは客観的な事実であった。
「近くの小学校とスポーツの対抗戦を春と夏と冬にやるじゃないですか?」
「ああ。今年ももうすぐだな。春はバレーだ」
「去年ぼくも参加したんですけど、5年生のチームは全て敗退して、6年生の男子
のひとつが隣の学校と決勝をやることになったんです」
「そうだったっけ」
「はい。みんなそのコートの周りに集まって応援をするんですけど、つまんないん
ですよ。同じ学校でも学年が違えば知ってる人はいないし、勝ってもたかが地域の
大会だし」
「まあ、正直に言うとそうだよな」
智子は進介の言葉に同意した。
「で、今年3組にいる辻井誠也っていうやつとぼく、遊び出しちゃったんです」
「そのあと赤瀬先生に怒られるパターンだな」
「はい。お互いを殴り合うっていう遊びをしてました」
「殴り合う!?」
「もちろん遊びですから、軽く体操服に触れる程度です」
「まあ、そうか」
「その時に野球の球種を言うんです。例えば、『ストレート!』とか『カーブ!』
とか。その球種に合わせて手の動きも変化させるんです。ストレートなら真っ直ぐ
カーブなら斜め下にとか」
「ふーん」
「交互に殴り合いをしてたら、赤瀬先生に見つかったんです」
「見つからないわけないよな」
智子は、「当たり前だ」という反応をした。
「校庭の隅に連れていかれてまずは説明を求められました。『お前らはなにをやっ
ていたんだ』と」
「一応、赤瀬先生も話は聞いてくれるんだな」
「最初だけですけどね。で、球種に合わせて拳の動きを変えるって言ったら、赤瀬
先生が笑ったんです。『今日は機嫌がいい日だ』と思って、ぼくめっちゃ嬉しかっ
たんですよ」
「機嫌がいい日は早めに許してくれるってこと?」
「そうなんです。稀にそんな日があるんです」
「で、その日は?」
「その30秒後にめっちゃ怒鳴られてました」
「えー……」
智子はたった30秒で態度を豹変させる赤瀬の精神状態が理解できなかった。
「びっくりしたんですよ。ほんの30秒前まで笑ってたのに、赤べこのような顔で
怒鳴り散らすから。しかも数十メートル向こうでは決勝戦が行われてるんですよ?
他校の生徒や先生にも聞こえる声で怒鳴り散らすんですよ? この時は「恐い」っ
ていう気持ちよりも「すごい」っていう気持ちが勝っちゃってわけが分からなかっ
たんですよ」
「すごいっていうのは?」
「あの状況で怒鳴れるのってすごくないですか?」
「まあ確かに、今聞いた感じだとな。そもそも2人は喧嘩してたわけじゃないんだ
な?」
「違います。それは赤瀬先生も分かってたはずです」
「そうか……。赤瀬先生もあれだな。大変な人なんだな」
智子は今まで極力同業者を否定的には言わないように気を付けていた。しかし、
進介の口から聞かされる赤瀬の話にはどうしてもフォローできないものもあった。
(こんなこともあるよな……)
なんとか自分に言い聞かせる智子なのであった。




