59 戦争の原因
「ともちゃん先生が喜怒哀楽が激しい性格なのは子供だからですか?」
進介の質問に智子は少しムッとした。
「なんだお前、喧嘩売ってんのか?」
「え……」
進介には智子の怒りが全く理解できなかった。
「ともちゃん先生、意味が分からないよ」
側にいた真美がフォローに入った。
「お前らはいちいち私を子ども扱いしようとするけどな、私は教員免許を持った立
派な大人なんだよ。舐めんなよ、マジで」
「じゃあ雷を受ける前でも、今と同じ質問をされてぷりぷり怒ってましたか?」
「ん? んー……」
智子は腕を組み考え込んだ。
「多分、怒ってないな」
智子は素直に答えた。
「あれ? 私、性格変わった?」
「私は以前のともちゃん先生をそんなに知らないですけど、おそらく変わってると
思いますよ」
「それはなんで? なんでそう思うの?」
「こんな子供っぽい48才がいるとは思えません」
智子は腑に落ちないという顔をする。
「私ってそんなに子供っぽいか? 授業だってちゃんとやってると思うけどな……
そんなことより、なんだよ喜怒哀楽って。大人だって喜怒哀楽くらい出すだろうが
よ」
「でも、子供の方が出すじゃないですか」
「まあ、それは確かにな」
智子は進介の意見に同意した。
「去年、赤瀬先生に驚かされたことがあったんです……」
「『怒』だろ? 赤瀬先生の『怒』の部分にびっくりしたんだろ?」
「そうなんです。赤瀬先生って急に怒り出したり笑顔になることがあって、それが
恐怖だったんです……」
そう言うと進介は赤瀬との思い出を語り始めた――。
それは4月のことだった。
その日の家庭科の授業は「裁縫」で、各自持参した裁縫箱を使って用意された布
に針で糸を通すというものだった。
家庭科の授業は先週に引き続き2回目であったが、進介は前回風邪で学校を欠席
していたため、家庭科の授業はこの日が初めてであった。
「各自、先週の続きから進めるように。できれば今週で全員この課題は終われるよ
うにな。できなかったら居残りだぞ」
赤瀬の言葉を合図に生徒たちは課題に取りかかった。
他のクラスならば生徒たちは針を動かしながら同時に口も動かしていただろう。
しかし、赤瀬学級ではそういうことは決してなかった。なぜなら赤瀬が許さなかっ
たからだ。生徒たちは皆、赤瀬に怒られるのが恐くて、黙々と手を動かし続けた。
初めての家庭科の授業だった進介は周りを見回し、見よう見まねで課題をこなし
た。学校が嫌いで、怒りっぽい赤瀬のことが大嫌いだった進介は、居残りなど死ん
でもやりたくはなかった。
集中して手を動かし続ける進介は、自分の背後に赤瀬が立っていることに全く気
が付かなかった。
「高平、なんでここやってないんだ」
突然の背後からの声に驚き、進介は振り返った。
そこには鬼のような形相で仁王立ちする赤瀬の姿があった。
周りをきょろきょろしながら課題をこなす進介を不審に思った赤瀬は、本人にば
れないようにわざわざ遠回りをして進介の背後に近付き、進捗状況の確認をしたの
だ。
進介はまずは要領を得るために周りの生徒たちと同じ課題から取り掛かった。そ
のため、他の生徒が先週に既に済ませていた最初の方の課題を進介は一旦放置して
いた。
赤瀬は背後からそのことを確認し、その部分を指で示しながら上記の発言をした
のだ。
「高平、なんでここやってないんだ」
進介の頭の中が真っ白になった。緊張し易く怒られることが大の苦手な彼は、そ
ういう状況になると頭も身体もフリーズしてしまう。
目の前の赤瀬は赤べこのような顔で進介を睨んでいる。
周りの生徒たちは見て見ぬ振りをしながら、全力で赤瀬と進介の様子を窺ってい
る。
数秒の時間が経った時、進介は正直に答えればいいのだという当たり前のことに
気が付いた。そして、弱々しい声で答えたのだ。
「先週、学校を休んでたので……」
その瞬間、まさしくその瞬間、赤べこのようだった赤瀬の顔が一瞬にして赤ん坊
のような笑顔へと変わった――。
「それがぼく、めっちゃ恐かったんです……」
それがまるで昨日の出来事であるかのように話す進介は、今にも泣き出しそうな
顔をしている。
「それは大人とか子供とかは関係ないんだよ。個人的な性質の問題だ」
「そうなんですか?」
「ああ。熱しやすく冷めやすい人っているんだよ。瞬間的に怒って、その代わり全
くあとに引き摺らない人。逆に感情を表に出さないけど、そのまま何年も忘れない
人もいる」
「そんな人がいるんですか?」
「ああ。高平、お前多分そのタイプだぞ」
「え……」
「お前みたいな人間がいるから、世の中から戦争って絶対になくならないんだよ。
覚えておけよ」
「ぼくみたいなのが戦争の原因……」
「そうだぞ」
赤瀬先生の話をしただけなのに変な結論になってしまった……どこか納得のいか
ない進介なのであった。




