表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/138

5 子供こそ自由だ

 智子は、学校の外を生徒たちに囲まれながら歩いていた。目的は家庭訪問。共働

きなど都合の悪い家庭を除き、クラスのほぼ半数の生徒の家を回る。


「次は、光井か」

「颯介の家、俺知ってる」


 知っていることをひけらかすかのように、男子たちは我先にと駆けて行く。

 一方、女子たちは智子にぴったりと寄り添い、歩幅を合わせて歩く。


「先生の髪、綺麗でいいなあ」

「お前らも大して変わらんだろ。見せてみろ。つやつやじゃないか」

「だって先生の髪の毛、ところどころ茶色いんだもん」

「あー、これはなあ……いわゆるお洒落染めじゃないんだよ」


 ところどころにある智子の茶髪、それらはもちろん白髪染めである。


「えー、お洒落だよ」

「うーん、まあなあ……。そういうんじゃないんだよな」

「じゃあ、なんですか?」

「まあ……人生ってやつだな」

「大人になるとお金もあるし、自分の好きなようにできるってことですか?」

「まあ、そういうことにしておこう」


 颯介の家に着き、智子は颯介の母親と玄関で軽く会話をした。

 智子の身体が縮んでいることは、画像付きで各家庭にメールで知らされており 

智子はどの家でも笑顔で迎えられた。 


「次は誰の家?」

「次は北山だな」

「駿の家ならこっち!」


 中井朝陽がそう言うと、男子たちは幅が1メートルほどしかない細い路地に入っ

て行く。


「ほんとにそこでいいのか?」

「こっちが近道だから」


 智子の持つスマホの地図にもその道は表示されてはいるが、行くつもりだった大

きい道を使っても、たいして距離に差は無いように見える。


「わざわざそんな薄暗い道なんか使わなくてもいいだろ」  

「先生、来て。面白いから、早く」

「面白いってなんだよ……」


 笑顔で腕を引っ張る生徒たちを訝しがりながら、智子は歩を進める。


「この道って私が子供の頃もあったっけな……」

「えっ、先生ってこの町出身なんですか?」


 智子と腕を組んで歩いていた久本結衣が驚いた声を出す。


「生まれも育ちもこの町だ。滝小の卒業生だしな」

「えっ、先生って私たちの先輩なんですか? すごーい」

「別にすごくはないだろ」

「卒業したの何年前ですか?」

「卒業アルバム見たーい」


 盛り上がる女子たち。そんななか智子は足を止めた。先を行っていた男子たちが

立ち止まり、なにかを見ていたのだ。

 

「どうした? なんか問題でもあったか?」


 彼らを掻き分け、智子はその先を覗き込んだ。

 するとそこには……。


「わん!」


「犬だ……おっきい犬だ!」


 智子は恐怖に震えた。ほんの数メートル先に犬小屋があり、智子よりも身体の大

きな、食パンのような色をした秋田犬が鎖で繋がれている。

 一週間前までは智子よりも大きな犬なんてこの世にはいなかった。少なくとも智

子の周りにはいなかったはずだ。それが今は存在している。明らかに智子よりも大

柄な犬が、目の前に存在している。その事実が智子の脳を混乱させ、底知れぬ恐怖

感を呼び起こしていた。


「なんだよこいつ……大丈夫なのかよ、この道大丈夫なのか? 通れるのか?」

「通れるよ。だって、鎖ついてるから」


 朝陽は、事もなげに言った。


「その鎖、結構余裕あるだろ。ぴょーんて来ちゃうだろ。そしたら噛まれるだろ」

「壁すれすれにカニ歩きすれば余裕。ほら」


 そう言うと朝陽は、犬とは逆側の家の壁際を横歩きし、通り抜けた。その間、犬

は跳びついて来たが、鎖のおかげで朝陽が襲われることはなかった。

 朝陽に続き、他の男子たちも同じやり方で渡って行く。その都度、犬も跳びかか

るが、鎖に邪魔され子供たちに触れることはできない。


「先生の番だぞー」


 朝陽は大声で言った。


「いや、無理だろ……。襲われたら怪我するだろ……」


 智子は犬を凝視し、震えている。

 結衣は尋ねた。


「先生、犬は嫌い?」

「嫌いじゃないけど……」

「怖い?」

「怖いというか……。襲われたら怪我するから……」


 怖気付いて動けない智子。そんな智子を男子たちは笑い始めた。


「先生、ビビりだな!」

「鎖犬なんか怖いのかよ!」

「尻尾振ってる犬のなにが怖いんだよ!」


 秋田犬はお座りの状態で盛んに尻尾を振っている。


「別に怖くなんかないよ! 怪我するのが嫌なんだよ!」

「鎖が付いてるから噛まれることはないの! 先生も俺たちが通るの見てただろ!」 

「私には届くかもしれないだろ!」

「届かないよ! なんで俺たちには届かないのに、俺たちより小さな先生に届くん

だよ!」

「届くかもしれないだろ! その犬が急に本気出すかもしれないだろ!」

「本気出したら鎖が伸びるのかよ! そんな訳ねえよ!」

「私はなあ、お前らと違って社会人なんだよ! 怪我できない身分なんだよ!」

「子供だったら怪我してもいいのかよ! 問題発言だぞ!」



「やかましい!!!!」



 突然、塀の向こう側から怒鳴り声がした。

 智子たちは驚き、一斉に声の主を見た。

 塀の上からは、頭の禿げあがった70代くらいの老人が顔を覗かせている。眉間

に皺を寄せ、顔は真っ赤だ。


「こんなところで大騒ぎするんじゃない! ここは遊び場じゃあないんだぞ! 滝

小学校の生徒だな! 何年何組か言いなさい! 今から学校に電話して校長に抗議

する!!」


 生徒たちは皆、下を向き黙っている。

 一方智子は、「しくじった」という顔をして歯を食いしばっていた。


「黙ってないで何とか言いなさい!」


 智子は脳をフル回転させ、なんとかこの場を切り抜けられないかと考えていた。

 しかし、残念ながら良いアイデアは浮かんでは来なかった。

 智子は観念した。走って逃げようかとも思ったが、教師としてはそんな訳にはい

かないのだ。


「あの……」

「ん?」

「騒いだのは私たちが悪かったです。狭い道ですので声も響きますし、お休みの所

本当に申し訳ございませんでした」


 智子は深々と頭を下げ、生徒たちもそれに倣う。

 素直に謝られ、老人は面食らった。しかし、あげた拳を簡単には下ろせないのが

老人の習性だ。更に智子を追い詰める。

   

「謝ればそれで全てが許されるわけではないだろ。何年何組か言いなさい」

「本当に申し訳ございませんでした!」 


 智子はもう一度深々と頭を下げてみた。


「何年何組か言いなさい」

「もう二度とこのような事は致しません! 許してください!」

「謝罪はいいから、学年とクラスを言いなさい!」


 どうしても許して貰えそうにはない。

 そこで智子は賭けに出ることにした。


「何年何組か言わなきゃ駄目ですか?」

「駄目だ」

「反省してるんですけど」

「それは君が言っていい台詞じゃない」

「確かにそうです」

「分かったなら、言いなさい」

「私たち、7年4組です」


 生徒たちが一斉に智子を見た。

「マジで!?」という顔で見た。


「小学校に7年なんて無いだろ! ふざけてるのか!」


 智子の賭けは失敗に終わった。ユーモアでなんとかなるかもしれないと思ったが

そんな訳なかった。


「今すぐに校長に抗議する! 学年とクラスを言いなさい!」


(むしろこれは、火に油を注いだのではないか?)智子は心中穏やかではなかった。


「あの……私の方からもきつく言っておきますので、今日はこの辺りで許していた

だけませんかねえ……」

「さっきから何を言っとるんだ! 馬鹿にするのもいい加減にしなさい! この中

で君が一番年下だろうが!!」

「いえ、私がこの子たちの担任なんです」

「ふざけるな! このバカモンが! 高そうな服を着てからに! 大体なんだその

髪の毛は! 子供の癖に茶色く染めるなんて非常識だ!」

「なんだと……」


 智子の顔が一瞬で険しくなった。肩は怒りで震え、顔は塀を隔てて対峙するその

老人以上に真っ赤である。


「子供の癖に髪の毛を染めてるのが非常識だと言ってるんだ! 親を連れて来い!

まとめて常識を教えてやる!」

「なにを言うか。これはな、これはな……白髪染めなんだよ!!」


 戦慄が走った。

 先生がお洒落で髪を染めていると思っていた子供たちにとっても、智子をただの

子供だと思っている老人にとっても、それは予想外の回答だった。

 鎖に繋がれた犬だけが、無邪気に尻尾を振っていた。


「訳の分からんことを……。最近の子供は屁理屈しか言えんのか。子供なんか黙っ

て社会の規範に従っておればいいんだ!」

「なんだと!」

「なんだとはなんだ!」

「社会の規範がそんなに偉いのか! 子供が自分のやりたいようにやっちゃいけな

いのか! 子供は大人の操り人形じゃなきゃ駄目なのか!」

「子供が大人に対して偉そうな口を利くんじゃない! 子供を自由にさせたら、そ

れこそ好き勝手やり始めるだろ! 子供は子供らしくしていればいいんだ! 口を

慎みなさい!」  

「そっちこそ口を慎め! 子供が髪の毛を好きにして何が悪い! 子供が服装を好

きにしてなにが悪い! 子供こそ自由だ!」


 どのくらいの時間が経っただろうか、智子と老人が睨み合っていると、騒ぎを聞

きつけた颯介の母がやって来て仲裁に入った。

 怒鳴り声を上げたことがストレスの発散になったのか、老人はあっさりと引き下

がり、その場は収まった。


 颯介の母に礼を言った智子は、収まらない怒りを抱えたまま次の家に向かい歩き

始めた。

 そんな智子を、生徒たちは頼もしげに思いながら付いて行く。


「先生、かっこよかったー」

「ふんっ、何が格好いいだ。腹の立つ!」




 翌朝、起床した時から智子は胃が痛かった。きっとあの老人は学校に抗議の電話

を入れている。

 出勤したら智子は校長室に呼ばれるのだ。そして昨日のことを根掘り葉掘り聞か

れる……。


「あの爺、むかつくー」


 智子は布団の中で仰向けに寝転んだまま、地団太を踏んだ。


「智子、やめなさい。床が抜けるでしょ」

「抜ける訳ないじゃん」


 注意する幸子に、智子は涙目で反論した。


「お母さん、私今日学校休むー」

「駄目です」

「なんでよー」

「元はと言えば、そんなところで大騒ぎしてた智子が悪いんでしょ。だったらちゃ

んと、校長先生に叱られて来なさい」

「だって、おっきい犬がいたんだもん……」

「尻尾振ってる犬は噛まないわよ」

「絶対に?」

「まあ、噛む時は噛むわね」

「じゃあ駄目じゃん!」

「そのお爺さんだって、学校に電話したとは限らないでしょ? 喧嘩してすっきり

したかもしれないし、智子のことを小学生だと勘違いしたのなら、大人気なかった

と思って反省してるかも」

「それはそれでむかつくなあ……」

「早く顔を洗って来なさい。遅刻するわよ」

「あー、休みたいよー」


 智子はぶつぶつ言いながら、洗面所に向かった。

 



 午後6時、一日の仕事を終えた智子は、鶯の鳴く声を聞きながら坂道を上った。

暖かな春の陽は、この時刻になってもまだ辺りを包み込んでいる。

 

「ただいまー!」

「おかえり、智子」


 智子は持っていた鞄を放り投げ、ソファに身を委ねた。


「今日も疲れたー! お母さん、晩ごはんできてる? 私が作ろっか?」 

「ごはんならもうすぐにできるよ。それよりもどうしたの、智子。朝はあんなに機

嫌悪かったのに。校長先生からは叱られなかったの?」

「大丈夫だったねー。何も無かったねー。セーフだったわ。学校に抗議の電話入れ

るって言ってた昨日のあの爺さん、悪いやつじゃなかったわ」

「抗議の電話自体が無かったっていうこと?」

「うん、無かった。まあそもそも、抗議されるほどのことはしてないしね。ちょっ

と声が大きかったくらいでいちいち怒られてたら世の中生き辛すぎるだろ。あの爺

さんもそのことに気付いて反省したんだろうよ。ま、結局私の勝ちってことだな。

あー、お腹空いた。お母さん、今日のごはんなにー?」


 そう言うと、智子はどたどたと台所へ向かった。

 フライパンの上では、智子の好物であるピーマンの肉詰めが、食欲をそそる香ば

しい匂いを漂わせていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ