4 また気絶
智子は朝からご機嫌だった。
「お前らはやっぱり所詮は小学生だな。教師から見下ろされるのが仕事みたいなも
んだからな」
智子は教卓に手をつき、25人の児童の顔を順番に眺めた。智子の足元には、高
さ30センチほどの台が置かれている。昨日の騒ぎを聞きつけた校長が端材で踏み
台を作り、智子にプレゼントしてくれたのだ。
「やっぱり、教師はこうでないとな。教師は生徒を見下ろす、生徒は教師を見上げ
る。これで秩序は保たれるんだ」
「先生、顔がむかつくんだけど」
得意気な表情の智子に対し、昌巳は言った。
「そういうお前はちゃんと鼻で呼吸しろ。ずっと口を開けてると馬鹿みたいだぞ」
「先生が生徒に馬鹿って言っていいんですかー」
「松田よ、いいんですかーじゃないだろ。お前はこれから一生、口呼吸を続けるつ
もりか? それで馬鹿にされるのはお前の方なんだぞ? それでいいのか? 嫌だ
ろ? ならば文句ばっかり言ってないで直せよ、その馬鹿みたいな口呼吸を」
昌巳は拗ねたような表情で口を閉じたが、鼻が詰まっているせいで上手く呼吸が
できない。
「なんだ、花粉症か? 鼻が詰まってるんなら無理しなくていいから今日の所は口
で息してろ。その代わり、うちに帰ったら遊びに行かずに耳鼻科に行けよ。病院は
いいぞ。今の時代、病院に行けば大抵の病気は治るからな。もしかしたら、この世
の天国は病院のことかもしれないぞ」
「病院が天国な訳ないだろ。あんなところ行きたくねえよ」
「お前、病院が嫌いなのか? もしかして、怖いのか?」
「別に怖くはないけど……」
「じゃあ、なんだよ。不安なことでもあるのか? あのな、お前は知らないかもし
れないけど、医師っていうのは全員大卒なんだよ。お前なんかよりも頭が良いんだ
よ。全員だぞ、全員。更に、看護師も含めて病院勤務の人間は全員国家資格を持っ
てるんだ。お前なんかよりもよっぽど信頼できる人たちなんだよ。分かったか?
分かったんなら黙って行けよ、病院」
「病院がそんなにすごい場所なんだったら、先生もすぐに大人に戻してもらえばい
いじゃないかよ」
「私のこれは病気じゃないんだよ!」
生徒たちが驚くほどの大声で智子は怒鳴った。
教壇の上と下で睨みあう智子と昌巳。見かねた学級委員長の真美が間に入る。
「病院が大切な場所だっていうのは間違いないですよね。だから、先生も松田くん
も必要な時は行くっていうことで。松田くん、それでいいよね?」
「うん……」
真美に目を見つめられてお願いされた昌巳は素直に頷いた。
「ん?」
「なんだよ」
「ははーん。お前、もしかしてあれか?」
「もしかしてってなんだよ」
頬を少しだけ紅潮させた昌巳を見て、智子はにやにやしながら言った。
「お前、私に身長で負けたのが悔しいんだな?」
「は?」
智子の予想外の言葉に、昌巳の思考が停止する。
「そうだろう、そうだろう。お前、いつも背の順で前の方だもんな。自分よりも小
さいと思ってた相手に一日で抜かされたんだもんな。そりゃあ、悔しいよな」
「いや……小さくはないだろ。今でも俺の方が高いだろ」
「馬鹿か? お前は馬鹿なうえに目も悪いのか?」
「いや、どう見ても俺の方がでかいし」
「じゃあ、こっちに来てみろよ。比べてやる」
クラスメイトたちが見守る中、昌巳は席を立ち、智子の横に並んだ。
「ほら見ろ!明らかに私の方が高い!!」
「台に乗ってるからだろ!」
「だからなんだ?」
智子はきょとんとした顔で答えた。
「だからなんだって、なんだよ!? 台の上に乗ってるだろ! どう考えても、台
は身体の一部じゃないだろ!」
「は? この台は校長先生が私のために作ってくれたんだが?」
「それがどうしたんだよ!」
「お前なあ、校長先生はこの学校で一番偉いんだぞ? トップなんだぞ? その校
長先生が私のために一晩で作ってくれたんだから、これはもう私の一部だろ」
「なんだよ、その理屈……」
呆れる昌巳をよそに、智子は教卓に両手をついた状態で台の上をぴょんぴょん跳
び始めた。
「いいだろー、私の台。しかもこれ、仮だからな。もう既に新しいスチール製のや
つを校長がネットで注文してくれてるから、数日後には更にいいやつが貰えるんだ
ぞー。羨ましいかー。羨ましいかー」
「別に羨ましくはないけど……」
ちょっと引き気味の昌巳。智子はそんな事などお構いなしに、台の上で跳ね続け
る。
そのとき、事件は起こった。
素人が急ごしらえした木製の台が頑丈にできているはずもなく、智子の何度目か
の着地の瞬間、それはばらばらに壊れてしまったのだ。
教卓の向こう側に尻もちをつき、そのまま倒れ込む智子。
「先生!」
駆けつける生徒たち。
頭を打ち、気を失っている智子。
「先生! 死ぬな!」
「保健委員! 保健室に行って、先生呼んできて!」
「私、二組の菊池先生を呼んでくる!」
智子はやってきた菊池に抱えられ保健室に運ばれた。
後に意識は回復したものの、智子がこの日再び生徒たちの前に姿を現すことは無
かった。