36 カエルとザリガニ
5月になりゴールデンウィークも終わると、クラスの中での人間関係も固まって
くる。
「クラスみんな仲良くに」とは言うが実際はそうなるわけもなく、気の合う者や
家の近い者同士が朝から夕方までを共に過ごしている。
「みんな、休みの間は家族とどこかに行ったのか?」
朝の会も終わりに近付いた頃、智子は生徒たちに問い掛けた。
「どこも行ってなーい」
「甲子園に野球観にいった」
「親戚んちに行った」
今年はたったの4連休しかなかったため、遠出した生徒はいなかったようだ。
「俺の婆ちゃんちって姫路の田舎なんだけど、この時季になるとカエルとかザリガ
ニとかがめっちゃ捕れる」
「えー、いいなー」
健太の自慢に主に男子たちから羨望の声が上がった。
「朝行って夕方には帰ったんだけど、袋の中カエルでいっぱいだったから。婆ちゃ
んちでもらったスーパーの袋に入れて持って帰ったけど、電車の中でもずっと見て
たからね」
「ん? ちょっと待て」
「なに? ともちゃん先生」
智子は健太の話に割って入った。
「電車? 車じゃないのか?」
「電車で行ったよ? うちの家、車持ってないし」
「カエル持って電車に乗ったのか?」
「そうだけど? なんで?」
「お前はやっぱり学校の外でも迷惑なガキなんだな」
「え!?」
唐突に、智子が健太のことを普段から迷惑なガキだと思っていることが明らかに
なった。
「電車っていうのはいろんな人が乗り合わせる公共機関なんだから、カエルみたい
な汚くて臭いもんを持って乗り込むのは非常識だろうが。お前の親は一体どんな教
育方針なんだよ」
「電車の中では袋から出してはいないし」
健太は不貞腐れたように言った。
「そんなことは当たり前だ。袋から出さなくても駄目なんだよ、普通は」
「でも、狭いから袋の中でばしばし飛び跳ねてた」
「でもじゃねえよ。それこそ最悪なんだよ」
智子は真顔でつっこんだ。
「俺の周りのお客さん、男の人ばっかりだったから……」
「男でも嫌だろ、カエルだぞ? よそ行きの服着て電車乗ったら、隣で知らないガ
キが袋の中のカエルを覗いてるんだぞ? 私ならブチ切れるな。市川もそう思うだ
ろ?」
「うーん……」
少し離れた席で話を聞いていた真美は智子の厳し過ぎる健太への態度に、「とも
ちゃん先生って、もしかしたら教師に向いてないのでは……」と感じ始めていた。
「男ってみんなカエル好きだよ。な? カエル好きだよな?」
健太の問い掛けに男子たちは同意する。
しかし智子は認めない。
「お前らはまだ小学生だからだよ。大人になったらそんな汚いもんに興味なんか湧
くわけないだろうが。お前らの親だって休みの日に虫やカエルを捕りにいったりし
ないだろ?」
「確かに。ということは、俺のお父さんってそういうのに興味がないってこと?」
「それはお父さんに聞け。私に聞かれても分からん」
「ちなみに、ともちゃん先生はどうなんですか? カエルとかザリガニに興味はな
いんですか?」
颯介の問いに、智子は目を逸らし口をつぐんだ。
「ともちゃん先生?」
「……」
「ともちゃん先生、もしかして……」
生徒たちの注目が集まる中、智子は叫ぶ。
「興味あるよ! ありありだよ! カエルとかザリガニとか網ですくいたいよ!
だって私の好奇心は6才なんだから仕方ないだろ!」
智子の正直な心の叫びに生徒たちはほっこりした。
「別に誰もともちゃん先生のこと馬鹿になんてしてないよ」
すかさず朝陽がフォローする。
「嘘だ! あいつ大人の癖にって思ってる! お前らは絶対に思ってる!!」
智子は発狂するように叫んだ。
「俺たちはともちゃん先生が6才児だって知ってるんだから、そんなこと思うわけ
ないって」
「6才児じゃねえよ! 見た目と精神年齢が6才なだけで、中身は大人なんだよ!
責任感のある大人なんだよ!」
「精神年齢が6才なら、中身も6才だろ……」
「うるさーい! お前ら朝からうるさーい!!」
今にも泣き出しそうな智子に、颯介はある提案を持ち掛けた。
「ともちゃん先生、俺のおじいちゃんちの近くでカエルとかザリガニとか余裕で捕
れますけど、今度みんなで一緒に行きます?」
颯介の言葉に生徒たちは色めき立った。
「……光井のおじいちゃんちってどこ?」
「ここから自転車かバスで10分くらいです。あ、ともちゃん先生ならバスの方が
いいか」
「颯介、それほんと?」
「ほんとって、なにが?」
颯介の言葉を蓮は疑った。アスファルトとコンクリートに囲まれたこの町で生ま
れ育った彼にとって、カエルやザリガニは田舎に行かなければ見ることのできない
遠い存在だった。それが自転車でたった10分の場所にいる?
「自転車で10分の所でカエルとかザリガニが捕れんの?」
「捕れるよ。カブトとかクワガタも捕れる」
「!」
「みんな知らない? 知ってるのかと思ってた」
「マジで!? カブトとクワガタも!?」
「だから捕れるって言ってるだろ。俺、弟と毎年捕ってるし」
「誘えよ!」
蓮は怒ったように言った。
「お前らはお前らで親とかと行ってるのかと思ってたから……」
「行ってるわけないだろ! 行くとしたら近くの公園か遠くの遊園地だよ!」
「あー……確かに。休みの日に家族とバスで10分の場所になんか行かないか」
「うわー……そのこと知ってたらもっと楽しい小学生生活を送れた気がする。颯介
のせいで……」
「俺のせいか?」
蓮の言葉に颯介は納得のいかない顔をする。
「ともちゃん先生、もしよかったら次の週末にでも引率してもらえませんか。今の
時季はまだカブトとクワガタは無理ですけど、カエルとザリガニならもう出てます
よ?」
「みんな、行きたい?」
「行きたい!」
智子の問いに半数を越える生徒たちが声を上げた。
「そうか。カエルとザリガニなら早起きしなくてもいいし、1回希望者だけで行っ
てみるか」
智子の言葉に教室が沸き立つ。
「土曜は少年野球があるから、日曜がいいな!」
「私も土曜日は予定がある!」
「俺はどっちでもいい!」
「よし、じゃあ次の日曜だ。お昼は各自家で済ませて、1時にバス停に集合!」
すかさず駿が手を挙げる。
「どうした、北山」
「バス代って、いくらくらいですか?」
「バス代か。光井、いくらか分かるか?」
「120円です。往復だと240円」
「ということは、大人は片道240円だな?」
「え?」
「大人料金って倍だろ? 違うのか?」
「お母さんはいつも230円で乗ってますけど、日曜日は誰か大人も一緒に行くん
ですか?」
颯介のなんの悪意もない素朴な疑問、それに智子は再びブチ切れる。
「ふざけるな! 私が大人なんだよ!」
「……子供料金でよくないですか?」
「よくねえよ! 先月だって私はちゃんと年金払ってるんだよ!」
見た目は子供でも年金は毎月ちゃんと支払っている。智子はやはり、大人なので
ある。
「意地でも大人料金で乗ってやるからな! お前らは120円払ってどこまでも子
ども扱いされてろ! 私は230円払って大人になってやる!!」
生徒たちは、「意味が分からない」という顔をする。
今日もまた、興奮しすぎて変なことを口走る智子なのであった。




