35 ミラクルちゃん
5時間目の理科の授業に備え、智子は教室で準備をしていた。すると、数人の男
子たちが爆笑をしながら教室に戻ってきた。
以前の智子ならば、「みんな楽しく学校生活を送れていてよろしい」と思うに留
まっただろうが、今の智子は6才児の好奇心を持ち合わせているためにそれができ
ない。相手が生徒であろうとも、まるで友達のように接してしまう。
「どうした? なんか面白いことでもあった?」
智子は問い掛けたが、爆笑している春馬、健太、昌巳は返事ができずに必死で息
を整えようとしている。
「大丈夫か? そんなに面白いことでもあったのか?」
「――はい、ちょっと運動場で」
なんとか喋れるようになった春馬が答える。
「さっき、俺たちと2組のメンバーで相撲を取ってたんです」
「相撲か。いいよな、相撲。男の子って感じがする。それで?」
「最初は2組のやつらがやってるのを眺めてたんですけど、ともちゃん先生は2組
の西悠生って知ってますか?」
「いや、他のクラスの生徒はまだあんまり分からないな」
「いるんです。西悠生っていう男子が。そいつ相撲がめっちゃ強いんです」
「へえ。太ってるのか?」
「いえ、全く。背も普通くらいです」
「だとしたら、相撲だけじゃなくスポーツ全般が得意なんだろうな」
「それは分からないです」
「分からないってなんだよ。そいつ1年からいるんだろ? それとも転入生か?」
智子は不思議そうな顔をした。
「1年からずっといますよ。友達も多いはずです」
「じゃあなんで分からないんだよ」
「悠生って、基本的にスポーツに興味を示さないんです。野球に誘ってもサッカー
に誘っても絶対に断って帰っちゃうし、休み時間もそういうのには加わらずにその
辺をふらふらしてるんです。でも、相撲に誘った時だけは必ず参加するんです」
「しかも強いのか」
「そうなんです。あいつ、でぶだったら絶対に相撲取りになってるんですよね」
「それは相撲取りのことをなめすぎだと思うぞ。で、なにが面白かったんだ?」
智子は相撲取りへ敬意を払いつつ、話を先に進める。
「2組の滝田大輝は知ってます?」
「運動神経のいいやつか?」
「そうです。スポーツをやらせたらなんでも学年で1番になるのが大輝です」
クラス決めの時、運動神経のいい滝田大輝をどのクラスに入れるか会議で話題に
なったのを智子は覚えていた。
「その大輝がさっき、悠生に相撲で負けたんです」
春馬の話に教室内で「えっ」という声が上がった。そのくらい、大輝が運動で負
けるのは同級生にとって想像のできないことだったのだ。
「この学年には他の競技には目もくれず、ただ相撲だけがやたらと強い男がいるん
だな。そうかそうか。相撲の化身として、今度からそいつのことを『おすもうちゃ
ん』と呼ぶことにしようぜ」
智子は嬉しそうに提案した。
「その悠生に健太が挑戦することになったんです」
「田中が? 体重差があるだろ。どれくらいだ?」
「多分、倍以上ですね」
「倍以上か……。それだけの差があると相当な技術がないと難しいよな」
「でも大輝に勝ってるからもしかしたらと思って、みんなで砂場に移動して本格的
にやる事にしたんです」
「へー、いいじゃん」
「靴と靴下も脱いで始めたら、お互い組み合って一進一退なんです」
「西っていう奴、そんなに腰が重いのかよ。すげえな」
智子は素直に悠生の頑張りを褒め称えた。
「健太も本気になって悠生のズボンをまわしを取るみたいに掴んだんです。そした
ら中のパンツも一緒に握っちゃって、悠生のお尻がぺろんて露わになったんです」
「砂場でケツ出したのか!」
智子は笑顔で身を乗り出す。
「学校でケツを放り出すとは、なかなかいい根性してるじゃないか。今度からそい
つのことを『メンタルちゃん』と呼んでやろう」
「話はここからなんです」
「なに! まだ続きがあるのか!?」
「その剥き出しになったケツの柔らかそうな部分になんとポケモンの絆創膏が貼っ
てあったんです!」
「!」
「悠生、パンツの中にポケモン隠してたんです!」
春馬は思い出しながら腹がよじれるほどに笑った。
「48年生きてるけど、ケツに絆創膏貼ったことなんて1度もないぞ」
「俺だってないですよ!」
「もしかしたら、そいつもケツに絆創膏を貼るのは今日が人生で初めてだったのか
もしれないな。偶然その日に相撲を取って、偶然そっち側のケツが露わになって、
偶然それを同級生に目撃されたんだ! これはもう奇跡! 奇跡の連続だ! 今度
からそいつのことを『ミラクルちゃん』と呼ぶべきだ!!」
智子は笑った。生徒たちも笑った。女子も男子も分け隔てなく笑い転げた。
その時、隣のクラスで西悠生は、自分が1組のみんなを幸せな気分にさせている
とは露知らず、いつも通りの柔和な顔で窓の外の眺めていたのだった。




