3 気絶
生徒たちは、唖然とした表情で智子の姿を見つめた。
一方智子はというと、口を真一文字に結び、眉毛は不快なものを見たときのよう
に吊り上がっている。
場所は滝小学校6年1組の教室。智子は教卓の横に立っており、その隣には付き
添いの校長がいる。
生徒たちにとって校長先生とは、「朝礼や運動会などの行事の時に挨拶をするお
爺さん」という認識だったので、自分たちの教室にそのお爺さんがいるというのは
非常に大きな違和感を覚える状況の筈なのだが、今はそれどころではなかった。そ
れを大きく上回るインパクトのある状況が目の前にはあった。
「みなさん、突然のことなので混乱をしていると思いますが、繰り返して言います
よ。今、みなさんの目の前にいるこの子……失礼、この女性が、みなさんの担任の
湊川智子先生です」
(そんなこと言われても……)
6年1組の生徒25人、全員の心の声である。
「湊川先生のお子さんということですか?」
発言したのは学級委員長の市川真美だ。彼女は男子から最も人気のある、いわゆ
る学年のマドンナ的存在である。
「普通はそう思いますよね。校長先生も最初はそう思いました。しかし、お医者さ
んが言うには、そうではなくてこの子……失礼、この女性が湊川先生自身だという
ことです」
「つまり、雷が直撃したせいで湊川先生自身が子供になったということですか?」
「そうとも言えますが、違うとも言えます」
「どういうことですか?」
「まず、見た目はみなさんの見た通り、子供ですよね。しかし、重要なのはそこで
はありません。重要なのは外見ではなく中身です。湊川先生の中身は、今もみなさ
んがよく知る湊川先生そのものなのです。みなさんと過ごした思い出もそのままで
すし、教師としてのスキルもそのままですので、子供になった訳ではありません。
ですので、湊川先生には今日からまたみなさんの担任として授業を受け持っていた
だきます」
えっという驚きの声が生徒たちから上がった。彼らは互いに顔を見合わせ、苦笑
した。
「それじゃあ湊川先生、あとはよろしく頼みますね」
校長はそう言うと、足早に教室から立ち去った。
動揺する生徒たち。「これからどうするんだよ……」という空気が辺りを包む。
「注目!!」
突然、聞き馴染みのない少女の声が室内に響いた。
生徒たちが驚いて前を向くと、智子が教卓の向こうから顔を覗かせていた。プル
プルと小刻みに震えており、足元は見えないが爪先立ちをしているのは明らかだっ
た。
智子は必死だった。
「決して舐められてはいけない。教師という職業は生徒から舐められたらやってい
けない」その一心から、智子は必死で教卓から上半身を出そうとした。
しかし、どう足掻いてもそれは無理な話であった。教卓の高さが90センチなの
に対し、智子の身長は113センチ。いくら背伸びをしても、上半身どころか肩す
ら見えない。
そこで智子はまず身体を安定させるため、伸ばした状態の両腕を教卓の上に置い
た。すると狙い通り、身体のブレはぴたりと止まった。
智子は勝ち誇ったような顔で室内を見渡した。
一方生徒たちは皆、仔猫を見る時のような柔らかな表情で智子を見つめている。
続いて智子は、その場でぴょんぴょんと跳び始めた。出来るだけ自分を大きく見
せたかったのだ。
「今日から改めて私がこのクラスの担任を受け持つからな。私は今、見ての通りの
状態だから、お前らに迷惑を掛けることもあるかもしれない。しかし、社会という
のはそういうものだぞ。お互い持ちつ持たれつで人間社会というのは成り立ってい
る……」
繰り返しのジャンプにより、智子の息が上がり始めた。しかし智子は挫けない。
引き続きジャンプを繰り返す。
「まあ、あれだ……担任が私みたいに小さいと損なこともあるかもしれないが……
いずれは良い思い出になるかもしれないし……体育はあれだけど……教室の勉強は
問題無いし……」
繰り返されるジャンプによる酸欠状態のため、言葉が途切れ途切れになってし
まう。
それでも智子は頑張った。
「……ここにいる…全員の卒業を……見届ける…のが……私の……使命だから……
ああぁぁ――」
ジャンプ力は徐々に失われ、表情は虚ろになり、そして遂に力尽きてしまった。
尻もちをついた智子は、そのまま床の上に倒れ込んだ。
「先生!」
駆けつける生徒たち。
酸欠状態で気を失う智子。
「先生! 死なないで!」
「誰か保健室の先生を呼んできて!」
「二組の菊池先生も!」
気絶した智子は、駆けて来た菊池に抱えられ保健室に運ばれた。
後に意識は回復したものの、智子がこの日再び生徒たちの前に姿を現すことは無
かった。