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28 5年前の100円

「進介、今日遊べる?」

「うん。いける」

「じゃあランドセル置いたら、太郎の家に集合な」

「えっ、太郎んち……」

「じゃあな!」


 進介を遊びに誘った朝陽は小走りで教室を出ていった。


 誘われた時は笑顔だった進介は、なぜか浮かない表情で立ち尽くしている。



「どうした? 用がないなら早く帰れよ。私はこのあとも職員室で仕事があるんだ

よ。お前がいたら鍵が閉められない――高平、お前顔真っ青じゃないかよ!」


 進介の顔は真っ青になり、唇は紫色で、身体は小刻みに震えている。


「おい、お前大丈夫か!? お腹痛いならすぐトイレに行けよ」

「遊びに誘われたんです……」

「は?」

「さっき朝陽に遊びに誘われたんです……」

「お、おう……。聞こえてたぞ。遊べばいいじゃないか。休み時間いつも一緒に遊

んでるだろ?」

「集合場所が、太郎の家なんです……」

「太郎って、永井だろ? 確か家庭訪問で行ったはずだけど、なんか都合でも悪い

のか?」


 進介は泣きそうな顔で、ひとつ大きな溜め息を吐いた。


「1年の時、しばらく遊んでた時期があったんです」

「永井とか?」

「はい、太郎と2人で。1学期だったんですけど」

「それのなにが問題なんだよ」

「初めて訪れた時、太郎が『お母さんからお小遣いをもらおう』って言い出したん

です。ぼくは遠慮してたんですけど『大丈夫、行ったら100円もらえるから』っ

て言うから台所までついていったんです」

「そしたらもらえたのか、100円」

「はい。1人100円ずつもらえました。2人ですぐにコンビニに行って駄菓子を

買いました」

「そうか。別にそれくらいなら気にすることないんじゃないか? 永井のお母さん

だって、小学校に通い始めたばかりの自分の息子が家に友達連れてきて嬉しかった

だろうし」

「最初はそうだったと思います」

「最初は?」

「5日連続で100円もらいにいったんです」

「あぁ……」


 5日連続で2人に100円ずつということは、1000円も払ったことになる。


「月曜から金曜まで太郎のお母さんにもらった100円で駄菓子を買い食いし続け

たんですけど、金曜日にもらいにいった時『毎日毎日100円ずつもらえるのなん

か、日本中探してもあんたらくらいやで!』ってブチ切れられたんです」

「永井のお母さんの言ってることが正しいかどうかは知らんが、ブチ切れる気持ち

はなんとなく分かるよ。それでお前はどうしたんだ?」

「その日を限りに太郎とは遊ばなくなりました」

「えらい極端だな」


 智子はそうは言ったものの、大人から叱られると怖くなって遠ざかってしまうの

も仕方のないことのようにも思えた。


「もしかしてそれが永井の家に行きたくない理由か?」

「はい」

「いつものことだけどさあ、お前考えすぎだろ」

「でも、めっちゃ怖かったんです。太郎のお母さんの迫力が半端なかったんです」

「いや、だとしても5年も前の話だろ? お母さんももう忘れてるだろ」

「忘れるわけないじゃないですか! たった5年ですよ!?」

「お前なあ……」


 智子は軽く息を吐いた。


「もらった500円はそのあと永井のお母さんに返したのか?」

「いえ、返してないです」

「なんで返さないんだよ」

「だって、もらったから……」

「だったら気にする必要なんてないだろ。お前のもんなんだから」

「でも、太郎のお母さんはまだ怒ってるかも……」

「だったら謝っておけよ。あの時はすいませんでしたって。それでお互いすっきり

するだろ」

「……もし忘れてたとしたら、それで思い出して怒りが再燃するかも」

「5年前の500円を怒り続けてる大人なんていねえよ。大人の器なめんなよ」

「でも、ともちゃん先生って、ちょっとしたことですぐにうちらと喧嘩になります

よね?」

「あ?」


 智子のこめかみに青筋が立った。

 進介は言ってはならないことを言ってしまった。


「私は精神年齢が6才なんだよ! でも知能は大人だから大人として扱え!」

「はい」

「はいじゃねえよ! お前はなんでもかんでも気にしすぎなんだよ! まともな大

人は500円くらいで5年も他人を恨んだりしないんだよ! お前が忘れれば済む

話なんだよ!」


 進介は智子から目を逸らし、不安気な顔で床を見つめている。

 智子は困り果ててしまった。こういう繊細で傷付きやすいタイプの生徒の扱いは

智子は落雷を受ける前から得意ではなかった。


「高平はスマホは持ってるのか?」

「はい。安いやつですけど」

「値段は聞いてないけどな。他の奴らもみんな持ってるのか?」

「はい、大抵みんな持ってます。颯介のだけ『iPhone』です」

「機種は聞いてないけどな。じゃあ、永井の家に着く直前に連絡入れて外で遊んで

もらえばいいだろ。家の中に入らなきゃ、永井のお母さんと顔を合わせることもな

いだろうし」

「中で遊ぼうって言われたら……」

「その時は誰かと一緒に入ってもらえ。というか、招き入れられてる時点でもう大

丈夫だろ」

「ぼくだけ入れてもらえなかったらどうしよう……」

「そんな、昔のクラブみたいなことあるわけねえだろ」

「え? 昔のクラブ?」


 進介は意味が分からないという顔をした。


「私の若い頃はな、クラブに入店しようとしてもダサい格好のやつは黒服に止めら

れて入れてもらえなかったんだよ」

「黒服?」

「いいよもう! 子供には関係のない話だよ!」

「黒い服を着てる人は入れてもらえなかったんですか? だったら今日のぼくのズ

ボン、ちょっと黒いですけど……」

「もういいんだよ黒服の話は! お前はもう、いろんなところ気になるなよ! 話

はこれでおしまい! 早く家に帰ってランドセル置いて永井の家に行ってこい!」


 智子に背中を押された進介は重い足取りで教室を後にした。




 翌日1時間目の終了後、智子は早速進介に昨日の報告を求めた。


「普通でした」


 進介は表情一つ変えずに呟いた。


 朝陽とともに太郎の家に入り挨拶をした時、太郎の母は朝陽と進介の2人を笑顔

で出迎えてくれたという。


「多分、ぼくのこと憶えてないと思います」



 何事もなかったかのように漂々と語る進介に、智子はもう笑うしかなかったので

あった。 

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