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26 でぶが溝にはさまる

 智子は昌巳の左膝に包帯が巻かれているのに気が付いた。


「おい松田、それどうした? 怪我したのか?」

「え? あ、これ? ヘヘヘ……」


 昌巳は照れ臭そうに笑った。


「へへへじゃないだろ。その包帯昨日はしてなかったよな? 放課後になにかあっ

たのか?」

「別にたいしたことじゃないから。ヘヘヘ……」


 昌巳は詳しいことは言わずに智子に背を向けた。


「だから、へへへじゃないんだよ。誰か事情を知ってるやつはいないか? 今日は

このあと体育もあるんだぞ。できるのか?」

「ともちゃん先生」

「中井か、なにか知ってるのか?」

「はい。昌巳、昨日のこと言ってもいいな?」

「別にいいけど……。言わなくてもいいけど……」


 昌巳の態度に智子はイラッとした。


「中井、いいから言え」

「はい。昨日の夕方なんですけど、俺がみんなと自転車に乗ってたら、こいつが溝

に、はさまってたんです」

「ん? 溝? はさまって? なに?」


 思わね話の展開に智子は混乱した。


「このちょっと上に老人ホームがあるのは知ってますか?」

「ああ、特別支援学校の上だろ? 知ってるよ」

「その駐車場の前の道を通りかかったら、昌巳が溝にはさまってたんです」

「溝って道の横にあるやつか? こいつが? そんな狭いところに?」

「はい。きっちり嵌まってました」

「松田それどんな遊びだよ? お前は溝に入っていい身体じゃあないだろ。なあ、

誰か写真とか撮ってないの? 見たいんだけど」

「俺、撮ってます」

 

 蓮が手を挙げた。


「ほんと!? スマホ? 見せて! いいから見せて!」


 滝小学校では、生徒による休み時間のスマホ使用は原則禁止している。しかし教

師が認めた場合はその限りではない。本来は緊急時など特定の場合に限った話であ

るはずなのだが、智子にその常識は通用しない。


 蓮は智子に昌巳の恥ずかしい写真を見せるため、ランドセルからスマホを取り出

した。


「これです」


 蓮のスマホの画面には、座った状態で細い溝にぴったしとはさまった昌巳の後ろ

姿が映っていた。


「なんだよこれ! すげー! すげー! まじでぴったしだ! もうこれ、松田の

ための溝だろ! 松田のために作られた溝だろうが! ひゃーっひゃっひゃっ!」


 溝の中にいる昌巳の寂しげな後ろ姿に大爆笑する智子。周りの生徒たちもつられ

て笑った。


「この1枚だけ? もっとないの? もっと見たいんだけど!」

「あと何枚かありますよ」

「早く見せろよ! もったいぶってんじゃねえ!」


 智子は蓮を叱りつけた。


「これとかどうかな?」


 2枚目は正面から撮られたもので、昌巳の拗ねた顔が映っていた。


「なんだよこの顔は! むかつく! むかつく! でも魅力的!」


 蓮は続けて3枚目を映し出した。そこには、大勢の大人に囲まれた昌巳が映って

いた。  


「え……。なにこれ?」


 大人も子供も、映っている全員が深刻な表情をしている。状況が読めず、さっき

までの笑顔が嘘のように智子は困惑している。

 朝陽が説明をする。


「大人の人に助けてもらったんです」

「助けてもらった?」

「はい。実はこのとき、昌巳の左膝が中で詰まってたんです」

「……どういうこと?」

「この手前は道路で、溝をはさんだ向こうが駐車場になってるんです」

「うん」

「その間の溝に身体を入れてるんですけど、昌巳のすぐ前は車が通れるように上の

部分がコンクリートで蓋をされてるんです」

「コンクリートの端から足だけ入れてるっていうことだな」

「そうです。上半身は外に出てますけど、おしりは溝の下についてて、足はコンク

リートの下に入ってるんです」

「それで、どうして大人の助けが必要なんだ?」

「昌巳の足が抜けなくなったんです」

「は? 自分で入ったんだろ? なんで抜けないんだよ」


 智子はさらに頭が混乱した。ぴったり嵌まったといっても隙間はあるはずだし、

脂肪を動かせばなんとかなるとしか思えなかった。


「昌巳、中で膝を曲げてたんです」

「あー……いや、だとしても」

「骨が引っ掛かって抜けなくなったんです」

「嵌まったとしても、元に戻せばいいだけだろう?」

「どうやら、手前に抜こうとしたらしいんです」

「無理だって途中で気付くだろ」

「昌巳は気付かずに突っ走ったんです。で、抜けなくなったんです」

「そうか……」


(松田って、私が思ってた3倍くらい馬鹿なんだな……) 


 思っていることを全ては口には出さない――智子は少しずつだが成長している。


「昌巳と一緒にいた健太から助けてくれって言われたんですけど、最初はみんなで

写真撮って笑ってたんです。だって、自分で入れた足なんだから自分で抜けるに決

まってるじゃないですか。そしたら昌巳、ぽろぽろ泣き出したんです」

「あー、泣いちゃったか」

「その段階になってようやく俺たちも事の重大さに気が付いたんですけど俺たちだ

けではどうすることもできなかったので、まずは近所のおばさんたちに助けを求め

たんです。そしたら台所用の洗剤を持ってきてくれて、膝の辺りに噴射してくれた

んですけど、それでもうんともすんともいわなくって、それでおばさんたちが男の

人を呼んでくるって言って、近所で工事をしていた男の人を連れてきたんです」

「それがこの写真か」

「はい」


(自分の知らないところで、まさかそんな大事になっていたとはなあ)


 智子は昌巳を見た。こちらに背を向け、黙って席に座っている。落ち込んでいる

のだろうか。  

 

「おじさんたちも手を入れてなんとか足を引っ張り出そうとしたんですけど、でき

なくて結局そのコンクリートを壊すことにしたんです」

「壊したのか……」

「はい。工事現場からハンマーを担いで持ってきてくれました。なんか格好良かっ

たです」

「そうか。松田はそれどころじゃなかっただろうけどな」

「おじさん2人が端からちょっとずつコンクリートを割っていって、やっと抜け出

すことができたんです」

「そうか、仕事中に協力してくれた人たちに感謝だな」

「そのあとの写真がこれです」


 蓮が差し出したスマホには、生徒たちの他に大人の女性3人と男性2人が夕陽に

染まった路上で映っていた。

 昌巳以外の全員が満面の笑みをたたえている。

 一方昌巳はというと、鬼のような表情でこちらを睨んでいた。


「ふっ」


 智子はそれを見て、堪えきれずに吹き出してしまった。


「なんだよお前、この顔。助けてもらったくせに。ひっひっひっ――」

「足が痛かったんだからしょうがないだろ!」


 昌巳は顔を横に向けて怒鳴った。


「ほんとだ! お前足から血ぃ出てんじゃねえかよ! ひーっひっひっ」

「なにがおかしいんだよ! 包帯巻くほどの怪我なんだぞ!」

「病院には行ったのか?」

「行ってない」

「行ってないのかよー! 大袈裟! 大袈裟!」

「大袈裟じゃねえよ! 風呂に入る時も沁みたんだぞ!」

「それ普通の擦り傷じゃねえか! ひーっひっひ」


 

 昌巳を取り囲み、みんなで盛り上がる智子とクラスメイトたち。


 中身はともかく表面上は仲良しクラス――それが滝小学校が誇る「6年1組とも

ちゃん学級」なのである。 

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