213 泣いて暴力団
「去年の5年生の校外学習って奈良だったのか」
智子は感慨深げに言った。
コロナ禍では校外学習や遠足、運動会や音楽会も全て中止になり寂しい思いを教
師たちもしていたので、みんなでバスに乗って遠出ができるというのはそれだけで
楽しい気持ちになれることだった。
「奈良といえば、大仏と鹿だよな。どうだ? 満喫してきたか?」
「大仏は見ましたよ。まあまあ大きかったです」
進介は適当に言った。
「なんだよ、感動のないやつだな」
「別にあんなもの見たところで」
進介は歴史の物語には興味があったが、物には関心がなかった。
本を読めば実物は見なくてもよかった。
「城とかも興味ないの!?」
「ないです。桶狭間の戦いとか関ヶ原の戦いとかには興味はありますけど」
「だったら実際に関ヶ原に行きたくなるだろ」
「ならないです。ただの土地ですから」
進介は素っ気なく言う。
「城だって改築されたり復元された物だったりしますからどうでもいいですし、当
時のままだったとしても興味ないです」
「ロマンとか感じないのかよ」
「今みたいな重機のない時代にあんな大きい物を作ったっていうのはすごいとは思
いますけど、作れるから作ったわけだし、暇と金さえあればできるよなあとしか思
わないです」
「なんだよ。じゃあ、奈良で高平が楽しかったのは鹿だけっていうことか?」
「鹿は見なかったです」
「え?」
奈良に行ったけど鹿は見ていないという進介の発言に智子は戸惑った。
そんなことなどできないだろうと思った。
「奈良に行ったらどうやったって鹿は目に入るだろ。鹿がお休みの日とかあるのか
よ」
「去年、俺たちが行った日は大雨だったんです」
「あ、そうなの?」
「はい」
朝陽の説明により進介たちが鹿に触れ合えなかった理由が判明した。
大雨で生徒たちは奈良公園に立つことすらできなかったのだ。
「それは残念だったな。奈良に行って鹿なしとはな」
「ちょっと残念でした……」
大仏には全く興味を示さない進介も鹿とは触れ合いたかったようで、がっかりし
た表情を見せた。
「でも、奈良なんか行こうと思えばいつでも行けますから」
奈良までは車で片道3時間、そこまで気軽に行ける場所ではないのだが進介は自
らを慰めるように呟いた。
「それよりも去年はバスの中が楽しかったんですよね」
「バスの中? ゲームかなんかやったの?」
朝陽の言う「バスの中が楽しかった」に智子は食い付く。
「あれだろ? みんなで座ってできるゲームだろ? トランプは無理だから……な
んだ? しりとりか?」
「3時間もしりとりなんかしたくないですよ」
「じゃあなんだよ。シートベルトしてるから立てないしな。不便な時代だよな」
「時代は関係ないでしょ」
「違うぞ。私の子供の頃は運転手と助手席以外はシートベルトをする義務はなかっ
たんだぞ」
「え? そうなんですか?」
朝陽と進介は驚きの声を上げた。
「そうだぞ。だからバスでもタクシーでもベルトせずに乗ってたんだぞ。遠足の時
とかは、うしろ向いてトランプとかしてたからな」
「へー。昭和ですね」
「平成でもそういう時代はあった」
智子は自分が昭和だけではなく平成も生きてきたことを強調する。
昭和生まれだが「昭和おばさん」だとは思われたくないのだ。
「シートベルトしなくてもいいっていうことはバスが走ってる時に座席を移動して
もいいていうことですよね? だったら椅子取りゲームくらいならできますよね」
進介はいいことを思いついたという顔で言った。
「できねえよ。お前は椅子取りゲームをやったことないのかよ」
「ありますけど」
「椅子の周りをぐるぐる回るんだぞ。動いてるバスの中でどうやってやるんだよ。
というか、さすがに運転手が注意するわ」
「あー、運転手って常にイライラしてますもんね」
「そういう問題じゃねえ」
進介の頭には客に横柄な態度を取るタクシー運転手の姿が思い浮かんでいた。
「そんなことよりも、去年のバスの中の楽しかった思い出を早く教えろよ。椅子取
りゲームとかどうでもいいんだよ」
「歌です」
「歌? え、急に結論?」
「早く言えって言うから」
「順序立てて言え。『歌です』じゃねえよ」
智子はちょっとイラッとした。
進介はコミュニケーション能力がやや低いのだ。
「『歌のしおり』っていう歌詞カードが配られてて、それを見ながらみんなで歌い
続けたんです」
「歌のしおり?」
「事前に歌いたい曲を提出して、その中から赤瀬先生が選んでくれたんです」
「へー、準備万端だな」
「赤瀬先生ってやる気だけはあるんです」
「なんで上から目線なんだよ」
智子は偉そうな態度の進介を注意した。
「赤瀬先生のおかげで楽しかったんだろ? よかったじゃん」
「そうなんですけど……」
進介は首を捻る。
「ともちゃん先生って、『長口剛』って知ってます?」
「知ってるよ。最近大変なあいつだろ?」
「そうなんですか?」
「知り合いじゃないから詳しくは知らんが、芸能界から消えかかってるらしいぞ」
「そうなんですか?」
進介と朝陽はよく知らない芸能人が消えかかっているという情報に驚いた。
「というか、お前らこそよく知ってるな。もうお爺ちゃんだぞ、剛って」
智子は長口のことを剛と呼んだ。
「赤瀬先生が1番好きな歌手がそのお爺ちゃんなんです」
「へー。赤瀬先生、まだ若いのに剛ファンなの? 確かに剛って熱いからな。赤瀬
先生が好きそうではあるよな。で、その剛がどうしたの?」
「赤瀬先生が急に歌ったんです。そのお爺ちゃんの曲を」
「そうか。それが歌のしおりにはない曲だったっていうことか?」
「そうです。全曲を歌い終わったあとに『聞いてください』って言って1回だけそ
のお爺ちゃんの曲を歌ったんです」
「ふーん。多分あれだな。その曲が赤瀬先生の『十八番』だったんだろうな。知ら
んけど」
智子は適当なことを言った。
「別にいいじゃん。古い曲を聞くのも勉強だと思えば」
「別にいいんですけど……」
「なんだよ」
「初めて聞いた曲だったんですけど、それのタイトルが『泣いて暴力団』だったん
です」
「ふっ」
智子は赤瀬の意外な選曲に思わず吹き出した。
「それでは聞いてください。泣いて暴力団」
進介は赤瀬の真似をした。
「ふふっ。真似すんな」
「泣いて泣いて泣いて暴力団になりてー♪」
「ひでえ歌詞だな!」
赤瀬は10才の子供たちの前で暴力団員になりたいという歌を熱唱した。
教師が生徒たちの前でなぜそんな歌を……。
「剛だけでなく剛ファンもちょっとアレなのかもしれない……」そんな気持ちが芽
生えた智子なのであった。




