209 次から気を付けてよね!
昨年5年3組の担任だった赤瀬が男子生徒を密室に呼びつけ、好きな人を言わせ
ていたという事実に智子は震えた。
なによりも智子には赤瀬の意図が理解できなかった。
(赤瀬先生は子供たちを支配したかったのかなあ……)
考えたくもないことだがその可能性も否定はできないと智子は思った。
ただしそれは可能性の話であり真相は分からない。
赤瀬は今年度から県内の別の小学校に赴任しているが、わざわざ連絡を取ってま
で彼の真意を確認をするつもりは智子にはなかった。
「よく分からないけど、その荒川っていう男子のことが気になっていたのかもな。
赤瀬先生なりの優先順位があったんだろう」
智子は苦しいと思いながらも赤瀬をフォローした。
それに異を唱えたのは進介であった。
「委員長が賢一だったんですけど、その時にあいつも視聴覚室にいたんです」
寛太が好きな人を赤瀬に無理矢理言わされた現場には賢一もおり、全てを横で聞
いていたというのだ。
「プライバシー完全無視ですよ」
「荒川の好きな人を志村も聞いていたということか……」
「はい。副委員長の萩尾も聞いてます」
「それは、もうちょっと配慮が必要だったかもな……」
「そんな配慮のできる人ならそもそも恐い顔して生徒に好きな人を聞いたりはしな
いでしょ」
「……」
智子はぐうの音も出なかった。
同僚をかばうことがこんなにも難しいことだったとは思いもしなかった。
ここで進介は、さらに朝陽たちも知らない新たな事実を明かす。
「賢一曰く、『他の男子の好きな人も寛太に聞いていた』そうです」
進介の証言に教室内に「えっ」という声が上がった。
それは悲鳴にも似た響きであった。
「ということは俺の好きな人のことも?」
朝陽は進介に聞いた。
「寛太が朝陽の好きな人が誰だか知っていたとすれば絶対に言ってる」
「絶対に……」
「絶対に。だって賢一がにやにやしながらそんな感じのことを言ってたから。赤瀬
先生が強引に聞き出して、そのおこぼれを賢一があずかっていたっていうこと」
朝陽は去年赤瀬学級の生徒だったので、クラスのある程度のことは知っていると
思っていた。
しかし、現実はそうではなかった。
こんな狭い小学校の中でも知らない世界があるのだと朝陽はショックだった。
進介の話に衝撃を受ける朝陽をはじめとした生徒たちに智子は危機感を抱いてい
た。
(このままだと生徒たちが学校や教師に不信感を抱いちゃうじゃん……)
智子は密室で寛太から好きな人を聞き出した赤瀬とそれを盗み聞きして進介に伝
えた賢一とそのことをここで暴露した進介の3人が憎かった。
1番悪いのは赤瀬だが、盗み聞きして話を広めた賢一も悪いし、自分の授業中に
それを暴露した進介も悪いに決まっている。
イライラした智子はここであることに気が付いた。
(登場人物、全員男じゃん!)
この気付きにより、智子の怒りは全ての男へと向かうことになる。
智子はいわゆる「フェミニスト」ではない。
しかし社会で大事件を起こすのは大体が男だし、思い返せば智子の教師人生でも
馬鹿なことをするのはほぼ男子だった気がする。
10年前にマンションの屋上から水風船を落として管理会社を怒らせた山田も、
15年前に更衣室を覗いて女子生徒の父親から刑事告訴するとキレられた佐藤も、
20年前に嫌いな生徒の水筒につばを入れていた斉藤も、みんな男子だった。
馬鹿な男子たちの言動が、智子の頭の中でこだまのように響く。
そして――
「全部男が悪いんだよ!」
教卓に手を付いた智子の突然の叫びに生徒たちは呆気に取られた。
「いつもいつも迷惑ばっかりかけて! なんなの、もう!」
もちろん生徒たちは智子の過去を知らない。
「水風船事件」も「刑事告訴事件」も「水筒つば事件」も、中には生徒たちが生ま
れる前のものもあり、知るわけがない。
「おい、高平!」
「はい……」
「お前が代表して謝れ!」
「謝るってなにをですか?」
「説明はしない! 謝ればいいの!」
「えー……」
頭の中のことをなにひとつ説明しない智子と、突然名指しで謝罪要求をされた進
介。
クラスメイトの視線が進介に集まる。
そんな中、彼が下した決断は――
「ともちゃん先生、ごめんなさい……」
進介は謝った。
意味もなく謝った。
そう、進介はできる男なのである。
1年生並みの精神年齢の智子に対して、意地もプライドも捨てて素直に謝る……
なかなかできそうでできないことである。
進介はできる男だ。
「次から気を付けてよね!」
智子はそう言うと教科書を開き授業の準備を始めた。
気の小さい進介にとって謝るだけならばそれは容易いことである。
しかしそのあとの智子の捨て台詞に関しては「それはどうなんだろう……」と思
うのであった。




