208 好きな人は誰?
「赤瀬先生って視聴覚室を自分の部屋みたいに使ってましたよね」
滝小学校の視聴覚室は北校舎の3階隅にあり、そこから階段と手洗いを挟んで5
年3組の教室がある。
そのため昨年の赤瀬は最も近い場所にあるのをいいことに休み時間を含めて好き
な時にその教室を利用していた。
「赤瀬先生ってそんなにプロジェクターを使ってたってこと?」
視聴覚室には大きなスクリーンとプロジェクターが置かれており、それを使った
授業の時以外に智子はそこに入ったことはなかった。
「違います。プロジェクターとか使わずにただの部屋として使うんです」
「ああ、なんか学級会の打ち合わせとかで使うって言ってたな」
「そうです。それと生徒を怒鳴りつける時にも使います」
「え? じゃあ、図工の忘れ物の時も視聴覚室に移動して怒鳴られてたってことな
の?」
「違います。教室でも怒鳴るし、視聴覚室でも怒鳴るんです」
「赤瀬先生、やりたい放題だな……」
智子は改めて赤瀬の「怒鳴る教育」に眉をひそめた。
「たまに休み時間に呼ばれることがあるんですよね……」
そう言った進介は、いつもに増して暗い顔をしている。
「赤瀬先生が? 視聴覚室に来いって?」
「そうです。たいていは委員長か副委員長が呼びにくるんです」
「で、怒られるの?」
「9割方怒られます」
「9割かあ。私がチャーハンを食べて『美味しい』って思う確率がそれくらいだな
あ」
(10回に1回は美味しいと思わないのか……)
智子が美味しいと思わない10回に1回のチャーハンが生徒たちは気になった。
「でもさ、残りの1割はなんなの? 雑談?」
「それならわざわざ視聴覚室に呼ぶ意味ないですよ」
「だよな? じゃあなに? 視聴覚室に呼ばれてなにを言われるの?」
「ぼくが覚えてるのは、今年2組にいる寛太が呼ばれた時なんですけど――」
荒川寛太は2時間目の授業のあと、運動場で遊ぶためクラスメイトたちと階段を
下りているところで副委員長の萩尾聖華に呼び止められた。
「荒川くん、赤瀬先生が視聴覚室に呼んでるからすぐに来て」
寛太、それとたまたま一緒にいた朝陽、進介、誠也、武尊の4人は身体が凍りつ
いた。
なぜなら、赤瀬からの「視聴覚室に来い」という命令は彼らにとっては「召集令
状」と同じ意味を持つものだったからだ。
「ああ……」
寛太は寝起き直後の10倍低いテンションで返事をし、寝起き直後の100倍重
い足取りで視聴覚室へと向かった。
残された4人は一様に思った。
(あいつ、かわいそうに……)
なにがどうかわいそうなのかは考えたくもない。
ただ、4人もなぜか寛太と同じようにテンションが爆下げし、もはや運動場へ行
く気力は失せ、階段の踊り場でいつ出てくるともしれない寛太を待つのであった。
それは好奇心からの行動ではない。
友達として、間違いなく半泣きで出てくる寛太に寄り添ってあげようと思ったの
だ。
口に出さなくとも気持ちが1つになる友情が彼らにはあった。
予想外だったのは寛太の退室が早かったことだった。
それはわずか3分後の出来事だった。
朝陽たちは、もしかしたら休み時間中に出てくることはないのかもしれないと覚
悟をしていた。
3時間目の授業が始まってから、泣き腫らし赤い目をした寛太が緊張感に包まれ
た教室に入ってくる……そんな場面も想定していた。
それがたったの3分で……朝陽たち4人は寛太を囲み話を聞く。
「早かったな。赤瀬先生とはどんな話をしたの?」
「いや……」
「なに? 怒られたんじゃないの?」
「うん……」
歯切れの悪い寛太に4人は怪訝な表情をする。
怒られたから言いたくないというのであれば理解はできる。
しかしこの時の寛太は目に涙を浮かべるわけでもなく、怯えている様子も見られ
ない――どう見ても怒られた感じではないのだ。
「他人のプライバシーには踏み込んではならない」などという常識を持ち合わせて
いない少年たちは、ずけずけと寛太に迫っていく。
「赤瀬先生になに言われたの? 怒られたんじゃないんだったら言えるだろ」
「うーん、実は……」
「実は?」
「『荒川の好きな人が誰か教えろ』って言われた」
4人は驚愕した。
まさか赤瀬が自分たち以上に無神経な質問を――いや、無神経な命令を密室の中
で行っていたとは思いもしなかったのだ。
「それで、寛太は答えたの?」
「うん。言った……」
しばしの沈黙。
「気の毒だったな」と言えばいいのか、「最悪だな」と言えばいいのか、4人には
分からなかった。
もしも相手が佐久間や菊池ならば間違いなく後者が口を衝いて出てきただろう。
「最悪だな。なんで先生にそんなこと聞かれなくちゃならないんだよ」と。
しかし、実際の相手は赤瀬である。
そんなことを口にして、もしもそれが本人の耳にでも入ってしまったら……。
赤瀬に対して陰口を叩くなど彼らにはできなかった。
5人は友達であるが、だからといって全面的に信用することなどはできない。
だって全員小学生だから。
口の堅い小学生などこの世にいないことは、自分のことを考えればよく分かる。
だから彼らは赤瀬の悪口を思っていても同級生の前では絶対に言わない。
言うとしたらお母さんやお兄ちゃんなどの信頼できる家族にだけである。
「でも、ぼくなら言わないだろうなあ……」
皮肉ではなく素直な感想を口にしたのは進介であった。
進介は真美のことが好きだ。
でもそのことは1番仲の良い颯介に対しても言ったことはない。
進介は恋愛に奥手なのだ。
だから赤瀬から直接聞かれても、自分なら言わないだろうと思った。
しかし、そんな進介の考えも寛太の次の言葉で揺らぐことになる――
「目の前に赤瀬先生がいるんだぞ? 『荒川の好きな人、誰か教えろ』って直接聞
いてくるんだぞ? 断れるか?」
「……無理か」
進介は呟くように答えた。
「無理だな」
「無理だ」
「無理」
他の3人も白旗を上げる。
赤瀬の圧に勝てる生徒など、いはしないのだ。
進介の話を聞いた智子は「こういうのは、なにハラスメントというのだろうか」
と考えていた。
好きな人を言わせたから「好きハラ」であろうか。
告白させたから「告ハラ」の方が適切か。
いずれにしても赤瀬の横暴は智子の想像の遥か上を行くものだったのは確かなよ
うである。




