204 長所がなかなか見つからない
人間が生きていくうえで1番大切なものはなんだろうかと智子は考える。
それは幸せを掴むために必要なものと言い換えてもいいのではないか。
特に教師になってからは生徒たちの成長を見守り、促していくうえでの芯になる
それを絶えず探し続けている。
知能、誇り、誠実さ、友達、家族……。
候補となるものは多数あれど、どれも決め手に欠ける気がする。
そんな中、智子がここ数年最も大切だと思っているもの、それは「自信」であっ
た。
「今日はみんなにクラスメイトのいいところを2つずつ挙げていってもらおうと思
う」
他人が客観的に見た自分のいいところを声に出して言ってもらう、それによって
自信をつけてもらおうというのが智子の狙いであった。
勉強でもスポーツでも芸術でも、なにか特技のある者は自信を持ちやすく心配は
ない。
しかし中には進介や優太、結衣や優花のようになにをやらせても平均的、もしく
はそれ以下の成績しか残せない生徒もいる。
そういう生徒たちのために、智子は5年前からこの授業を行っている。
「まずは市川からだ。みんな市川のいいところを挙げてみてくれ」
「勉強ができる!」
「運動が得意!」
「リーダーシップがある!」
あっという間に3つの長所が挙げられた。
「2つでいいのに、一瞬で3つも出ちゃったな」
智子の言葉に笑いが起きる。
もちろん真美も笑顔である。
「どんどん行くぞ。次は中井のいいところは?」
「勉強ができる!」
「運動が得意!」
「リーダーシップがある!」
「市川と全く同じじゃないかよ!」
毎年、目立つ生徒は必ずこうなる。
普段は言えないことも授業なら言えるし、変な間が空くとかわいそうなので、そ
の辺りにも気を遣いながらクラスメイトたちは言葉を発する。
その後も蓮や颯介、凛や美月に対しても生徒たちは照れることなく長所を挙げて
いく。
そして授業も中盤に差し掛かると今度は地味な生徒や特技の少ない生徒の出番に
なる。
「次は高平のいいところは?」
自分の番が来た進介の顏が緊張で強張る。
智子の見たところ、このクラスで最も自信を持っていない生徒は、男子が進介で
女子が涼香である。
成績が最低ではなくても生まれつきの性質で自信が持てない者もいるのだ。
そんな彼らはクラスメイトたちからどういうふうに見られているのだろうか。
「真面目!」
「確かに高平って真面目だよな。それから?」
「優しい!」
自分のいいところが2つ出て、進介はほっとした表情になった。
進介が真面目で優しいというのは智子の評価と同じであった。
掃除の時間、進介は他の生徒がやりたがらないことを率先してやっているのを智
子は知っている。
トイレ掃除でもどぶさらいでも、進介は嫌な顔をすることなく躊躇なく始め、手
と靴を汚している。
いつも楽な仕事しかしていない生徒を見ると進介よりも智子の方が腹が立って怒
鳴りたくなるのを我慢しているくらいだ。
進介はそのことを当たり前だと思っているようだが、決してそうではないのだと
これを機に気付いてもらえればいいと智子は思った。
「なるほどな。よし、2つ出たから次に行くぞ。では、浜本はどうだ?」
「優しい!」
「真面目!」
「給食を食べるのが早い!」
最後の楓花の発言に笑いが起きる。
「早いのは長所かどうかは分からないだろ。よく噛んで食べてないのかもしれない
し。そうだな、『どんなメニューでも美味しそうに食べる』でどうだ」
「それいいかも!」
「私、食べ物の好き嫌いはないよ」
涼香は笑顔で言った。
「よし、じゃあそれが浜本のいいところだな。次は――」
智子が次に指名するのは健太である。
勉強が得意ではなく、太っているためどん臭い……なかなか長所が見つけにくい
男子だが、クラスメイトはきっといいところを見つけてくれるはずだと智子は期待
する。
「次は田中だ。どうだ?」
「……」
教室がしーんとなった。
「なんで黙っちゃうんだよ! 俺にもなんかあるだろ!」
「……給食を美味しそうに食べてる?」
「食べてる! 美味しく食べてる! もう1個いいところちょうだい!」
「……休み時間、教室のうしろで楽しそう」
「それがいいところ!? 休み時間が楽しいのはみんなだって同じだろ!?」
健太は自分のいいところがなかなか出てこず焦った。
そんな健太に智子は言う。
「休み時間を楽しく過ごすのはいいことだぞ。楽しくなくてトイレの個室に閉じこ
もるより100倍いいだろ」
「それと比べたらいいけど……」
健太は智子に説得をされ、不満気ながらも一応納得はした。
「じゃあ次は松田だ。みんな松田のいいところを挙げてくれ」
「給食を美味しそうに食べてる」
「休み時間、教室のうしろで楽しそう」
「一緒! 健太と一緒!」
昌巳は抗議の叫びを上げた。
「それはしょうがないだろ。お前らいっつも一緒にいるんだから」
「そうだけど……」
「じゃあ一応聞くけど、松田のいいところは他にはあるか?」
智子の問い掛けに生徒たちからの返答はない。
「よし。ない」
「よくないよ!」
昌巳はにやにやしながら叫んだ。
にやけ顔は昌巳のいつもの癖であり、本心がどうなのかは誰にも分からない。
この授業をする上での問題点、それは本人の納得のいく答えが得られるとは限ら
ないということだった。
また、それ以前に長所が2つ挙がらない可能性もある。
智子はそんな場合に備えてあらかじめ生徒全員のいいところを最低2点ずつ紙に
書いて用意をしてきていた。
颯介の場合は「性格が明るい」「友達が多い」「成績が優秀」「誰にでも親切」
の4点、瑛太の場合は「性格が明るい」「友達が多い」「歌が上手い」であった。
では健太と昌巳について智子が用意してきたいいところはなにかというと、「給
食を残さず食べる」「休み時間を楽しく過ごしている」の2点であった。
智子もこの2人の長所は一緒のものしか思いつかず、内容も生徒たちとほぼ同じ
であった。
智子が4月に2人と出会ってから既に半年以上が経過している。
しかし、未だに智子にとって健太と昌巳は「プロレスごっこが好きなおでぶちゃ
ん」なのである。
(長所って見つからない時は見つからないものなんだなあ……)
しみじみと思う智子なのであった。




