2 幼女の正体
少女は3日3晩、眠り続けた。
精密検査の結果、身体に異常はみられなかった。骨折は無く、脈拍や心拍数も正
常。意識が回復した後に行われた検査でも、多少の記憶障害があったものの、視力
や聴力に問題は無かった。
問題はこの少女は誰なのかということと湊川智子はどこへ行ったのかということ
の2点だった。
落雷の直前、智子が1人で運動場の中央付近に向けて歩いて行くのを複数の生徒
が目撃している。また、その生徒たちの半数以上が智子に雷が直撃したのを目撃し
ている。落雷後、全校生徒の殆どが現場を見ていたが、誰一人として智子が去る姿
も、少女が近付く様子も目撃していない。
しかも驚いたことにそれらの証言内容は、6才児である1年生から50代の教師
に至るまで、完全に一致していたのだ。
果たして、校内にいた全ての者が集団催眠に掛かっていたのか。それとも、この
証言内容が正しいというのか。
証言を集めた兵庫県警の捜査員たちは首を捻るしかなかった。
少女が目を覚ました当日、医師の許可を得て病室に入った捜査員たちは彼女の口
から思いもかけないことを聞くこととなった。
「湊川智子です。48才です」
身長113センチ、体重20キロ。ほぼ、小学1年女児の平均通りの身体つきを
した女の子が、48才の教師を自称している。あどけない顔でそんなことを言われ
ても受け入れられるはずはない。捜査員たちは、ある者は腕を組み、ある者は頭を
抱え、ある者は溜め息を吐いた。
困惑する彼らをよそに、ベッドに近付く1つの人影があった。
「智子……智ちゃんやね?」
声の主は湊川幸子、智子の母親だ。77歳のこの老婆は腰が悪く、杖を突いてい
る。
「智子さんというのは、娘さんの智子さんですか?」
「当たり前やないの。私はこの子の母親ですよ。自分が産んだ子供の顔を忘れる親
がどこにいますか。この子は間違いなく私の子供、湊川智子です!」
幸子の真剣な表情と口振りに圧倒され、非現実的な話にもかかわらず、捜査員た
ちは反論することが出来なかった。
ベッドの上では老婆と曾孫のような少女が抱き合って喜んでいる。
確かにそれは実の親子が互いの無事を喜んでいるかのような光景ではあるが……。
話し合いの結果、少女と幸子の同意の元、DNA検査を行うこととなった。
二人の頬の内側の粘膜を採取し、捜査員たちは病室を出て行った。
「お母さん、あの人たち私たちの言うことを全く信用してなかったね」
「それはしょうがないよ。今の智子はどう見ても幼稚園児くらいなんだから。さす
がのお母さんでも71才で出産は出来ないわ」
2人は声を上げて笑った。
「ところでお母さん、鏡持ってる?」
「これでいい?」
「ありがとう」
少女は幸子から受け取った手鏡を覗き込む。
頭、おでこ、頬、首……。角度を変えながらあらゆる場所を注意深く見ていく。
「シミもたるみも皺も、嫌なものが全部無くなってる!!」
「智子、大きな声出さないの!」
幸子は笑顔でそう言った。
「だって、すごいんだよ! もう、エイジングケアもシミ取りクリームもしなくて
もいいんだよ!」
「これからまた年取って行くんだから、結局同じことよ」
「確かにそうかもしれない……いや、そんなことないぞ。子供の頃は紫外線対策な
んてしてなかったし、洗顔も適当だった。でも、今の私は人生2回目。こっから対
策し放題だ!!」
「だから声が大きいって」
「お母さん、退院までに一番大きな帽子を家から持って来て。あと、今年からは真
夏でも長袖で過ごすから!」
「そんなことしたら熱中症になるわよ。日焼け止めを塗ればいいでしょ」
「だったら外に出ない!」
「それは不健康だから駄目」
「じゃあ死ぬ!」
偶然、個室の前を通りかかった看護師が驚いた顔をして入室して来る。
「どうしましたか? 死ぬって聞こえましたけど」
「ああ、いや……なんでもないです」
少女はバツの悪そうな表情をしてそう言った。
幸子は謝罪をし、看護師はナースステーションへと帰って行った。
「ほら、こうなるでしょ? ここは病院なんだから、もう大きな声は出しちゃ駄目
よ。分かった?」
「うん……ごめんなさい。お母さん」
しょんぼりしながら謝る少女を、幸子は愛おしそうな目で見つめた。
翌日、病室でDNA検査の結果が報告された。
「99.85%の確率で親子関係が認められます。こういうのは100という数字は
出ませんので、実質的な100%です」
「ほら、やっぱり。この子は私の娘、智子ですよ」
そう言うと、幸子は勝ち誇ったように捜査員たちを見た。
捜査員たちは一様に目を逸らした。
続いて、主治医が知能検査と精神鑑定の結果を発表した。
「智子さんの身体は見た目の通り、ほぼ6才児のものと言っていいと思われます。
身長、体重だけでなく、内臓機能も含めてです。ただし、今日の午前中に行われた
テストの結果、知能は成人なみであるということが判明しました。また、智子さん
は、幼少期から落雷を受けた4日前までの記憶を有しており、それらに間違いがな
いことは、お母さまから確認しております」
「学生時代の担任教師や修学旅行先に誤りがないことも兵庫県警の方で確認しまし
た」
ベッドの端に腰を掛け、足をぶらぶらさせながら聞いていた智子は、満足気な表
情で口を開いた。
「つまり、私は大人の知能とこれまでの経験を持ったまま、6才からの人生をもう
一度歩めるわけだな。人生2回目。大人の頭脳で世渡り最高。完全に勝ち確定。勝
ち確だ!」
「ちょっと、勘違いされてるようですが」主治医は困ったような顔で口を挟んだ。
「智子さんは6才ではありません。あくまでも48才です」
「は? どう見ても6才児だろ! こんなちっこい48才がいるか!!」
智子は瞬間的に主治医を怒鳴りつけた。
「昨日、お母さまからあなたが落雷前に使っていた私物を提供していただきまして
そこから採取されたDNA型とも今のあなたは一致しているんです。つまりあなたは
見た目や内臓が若返った48才なんです」
「いやだから……身長、体重、見た目、内臓、それらが全部6才児なんだろ?だっ
たら6才児でいいじゃないか! この状態でどうやって48才として生きていける
んだよ! 無理だろ! 考えろ! 馬鹿!」
主治医は罵られながらも、冷静に反論をする。
「あなたは何らかの要因、おそらくは落雷でしょうが、により幼女化をした。とす
れば何らかの要因により、再び突然大人の身体に戻ることだってあり得るんです。
だとすれば、48才の人間として生きて貰わないとなりません。でないと、他の6
才児と同じようにこれから小学校に通うことになるんですよ?」
「それでいいじゃん」
「よくはないでしょう。もしこれから小学校に通うとして、来年2年生の教室で授
業中に突然身体が戻ったらどうしますか? そのままクラスメイトとともに、『働
く車』について学び続けるんですか?」
「『働く車』は3年生の教材だろ……」
「は? なんですか?」
「なんでもないよ! お前らは私は48才だっていうんだな?」
「もちろんそうです」
「じゃあ、私はこの身体で社会に投げ出されるのか? お前は私にこの身体で警備
員とか道路工事の仕事をしろって言うのか? 無理だろ! 危ないだろ! 6才児
だぞ! おい兵庫県警! なんとか言え!!」
「成長するまでは福祉の手を借りればいいんじゃないですか。今のあなたなら、生
活保護の申請も簡単に通ると思いますよ」
「他人事だな!」
智子は周りにいる大人たち全員を睨みつけた。
「智子、その必要はありませんよ」
「なに、お母さん。私が成人するまで、まだあと12年もあるんだよ。うちにそん
な金あるの? 無いでしょ?」
「ありません」
「じゃあ……やっぱり、生活保護?」
「その必要もありません」
「まさか、お母さんが働くの?」
「80前の老人が杖を突きながら働ける訳ないでしょ」
「もしかして、私を売ろうとしてるんじゃあ……合法ロリとして!!」
「なに馬鹿な事を言ってるの。働くのは智子よ。そもそも、あなたの仕事はなに?」
「小学校教諭……」
「それなら出来るでしょ? 教科書の内容を教えるだけなんだから。明日からまた、
6年1組に戻りなさい」
「えー……」
「なにか問題でも?」
「だって、教師って生徒から舐められたら終わりなんだよなぁ……」
「あなたが6才児なのは見た目だけでしょ?中身は大人なんだから、問題は無いは
ずです」
「そういうことじゃないって、お母さん。見た目で舐められるんだって……」
「あなたには大人の知能があるんですから、論理力でなんとかしなさい。いままで
もそうしてきたでしょ?」
「まあ、そうなんだけど……」
智子は頭を抱え、そのままベッドに倒れ込んだ。
「あの、ちょっといいですか?」
「なんですか先生、智子のことでまだなにか?」
「はい、少し言いにくいことなんですが……」
「どうぞ、遠慮なさらずに仰って下さい。智子の身体のことですか?」
「いえ、身体ではなく、中身の方なんですが……」
「知能も記憶力も衰えてないんですよね? それ以外になにか?」
「知能は実年齢通りです。ただ、精神年齢の方はそうではなくて……」
「と言いますと?」
「見た目と同じ6才児並みなんです」
全員の視線が智子に集まる。
智子は泣きそうな顔で身を起こした。
「私、精神年齢6才なの?」
「残念ながら」
「残念てなんだよ! 6才児の精神年齢が6才なのは当たり前だろ!!」
「あなたは48才です」
「警察は黙ってろ! 上から目線で見てくんな!」
「精神年齢が6才児並みなら、罪を犯した時に成人として裁くのは少し気の毒です
ね。その場合は、裁判で情状酌量を求めてください」
「罪なんか犯さないよ! 犯すこと前提で話進めるな!!」
「こういう場合、医師の立場ではどうお考えですか? やはり、6才児並みの精神
年齢の人物は6才児として扱いますか?」
捜査員の1人が主治医に尋ねた。
「いえ、そんなことはあり得ません。知能障害を持って生まれる方もいらっしゃい
ますが、その方々が一生子ども扱いされることはありません。精神年齢が6才児並
みの智子さんにおいても、それは同じことです」
「私抜きで話を進めるな!嫌な感じだぞ!それとさっきからちょくちょく使ってる
『6才児並み』っていうのもやめろ! 完全に馬鹿にしてるだろ!!」
智子は荒れた。全身をじたばたさせ、掴んだシーツを振り回している。
しかし、そのことを誰も止めようとはしない。6才児の身体で暴れられても、な
にも危険は無いのだ。
「智子、悔しくないの?」
「悔しー! ちきしょー!! ちきしょー!!」
「だったら、あなたが立派な大人だっていうことを、あなた自身の手でこの人たち
に証明しなさい」
「どうやって……」
「もう一度、教壇に立つのです。そして社会人として立派に、生徒たちを正しい道
へと導きなさい。そうすれば、誰もあなたのことを精神年齢6才児並みとは言わな
いでしょう」
「……分かったよ、お母さん! 私、明日から滝小学校に戻って、クラス担任を続
ける!!」
智子は決意を新たに拳を握り締めた。
こうして、幼女化した湊川智子の教職復帰が決まったのだった。