198 ぼく史上、最もダサい一言
教師の仕事が授業をするだけではないのは当然のことである。
生徒たちが休み時間中も校則を守っているように、教師もその時間も生徒たちに
気を配りその役割を果たしている。
「進介、昨日こけたけど怪我はなかった?」
進介に声をかけたのは蓮であった。
「いや、別に……」
進介はなにやら煮え切らない態度を取る。
「なに、怪我したの? 大丈夫?」
側にいた智子は2人に聞くが、それはどちらかというと心配からというよりも好
奇心からであった。
「怪我はないです。ちょっとこけただけです」
「遊んでてこけたのか。まあ、小学生ならよくあることだな」
「はい……」
身体の大きい大人がこけるとそれだけでも大怪我になり得るが、子供は軽いので
そこまでの心配はない。
しかしそんなことよりも進介が伏し目がちなことの方が智子は気になった。
「なんだ? こけただけだろ? 他にもなにかあったの?」
「実は……」
進介は昨日の夕方の出来事を話し始めた――
自転車に乗った進介は海の近くで蓮と3組の賢一と合流した。
港のすぐ近くで自転車から降りた3人は、水面近くを漂う小魚を眺めながら水辺
を歩いた。
「こういうのって釣れないのかなあ」
「見えてる魚は釣れないって言うよな」
「なんで見えてると釣れないんだろう」
「向こうからもこっちが見えてるからじゃない?」
キラキラ光る水面と小魚たちの鱗を見ながら、3人は西へ西へと歩いていった。
しばらく行くと船を引き上げるためのレールがあり、小さな波が寄せては返すを
繰り返している。
足元には海藻と小さな蟹。
「この間、YouTubeでちっちゃい蟹を油で揚げて食べてるのを見た――」
蟹動画の報告をした瞬間、両足が滑り、進介は見事に尻もちをついてしまった。
そこは海藻が生えているだけでなく、海に向かって緩い勾配になっていて歩き辛
いのだ。
恥ずかしさに耐えながら立ち上がる進介に対して賢一は言った。
「絶対誰かこけると思った」
3人の間にピリついた空気が流れた。
言われた瞬間、進介がムッとしたのはもちろんのことである。
かといって賢一がにやついているというわけでもない。
間に立った蓮は「なんで賢一はそんなことを言ったんだ?」と不思議に思ってい
た。
こういう場合、進介は笑いながら反論するのが正解だったのかもしれない。
しかし微妙に負けず嫌いなところのある彼にはそれができなかった。
3人は黙ったまま、なおも海藻の生えたその斜面を歩き続けた。
ほんの数十秒後、進介の次にこけたのは賢一であった。
進介に対して憎まれ口を叩いた賢一が、その直後に進介の前で同じように尻もち
をついたのだ。
進介はその機を逃さなかった。
「絶対次、誰かこけると思った」
空気が凍り、時間が止まった。
進介のこの発言に対して、賢一と蓮はなにも言葉を発することはなかった――
教室の窓際に立った進介は日の光を浴びながら昨日のことを話し終えた。
ここでもまた微妙な空気が流れている。
「その発言って、どうなの?」
智子は自分の意見を言う前にまずは進介自身の考えを聞いた。
聞かれた進介は断腸の思いで正直な気持ちを口にする。
「ぼく史上、最もダサい一言です……」
本当に辛そうな顔をする進介に智子と蓮は思わず吹き出してしまう。
「そうか。自分でも分かってるのならよかったよ」
「はい、分かってます」
進介は恥ずかしそうに笑った。
「我慢できなかったのか」
「はい。ズボンのお尻がぬるぬるしてイライラしてる時にそんなことを言われたら
ムカつくじゃないですか」
「まあな」
「だから賢一がこけた瞬間、『今だ!』って思ったんです」
「で、言っちゃったのか」
「はい。我慢できなくて、つい」
「なんて言ったんだ」
「『絶対次、誰かこけると思った』です」
「ダサいな」
「ダサいです」
進介はそれを言った瞬間には「ダサい」と気が付いていた。
それは進介のセンスなのかもしれない。
しかし本当にセンスのある人間はそもそもそんなこと言わない。
それはさておき、進介のお尻が2度とぬるぬるすることがないことを智子は心か
ら願ってやまないのであった。




