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197 ねこの日

 智子は4月に雷の直撃を受けた。


 しかし幸いなことに一命は取りとめ、身体に傷が残ることもなかった。


 ただ、見た目と精神年齢が幼女化しただけである。



「雷を受けたのって記憶力とかに影響はないんですか?」


 スーパー銭湯の話になった時、智子は自分が過去に行った回数を全く記憶してい

なかった。


 太一はそれは落雷の影響があるのではと考えたのだ。


「分からん。そもそも記憶なんて時間が経てば薄れていくものだしな。落雷の影響

があるのかないのかも比較のしようがないし」

「確かにそうですよね。ちなみにスーパー銭湯には友達と行ったんですか?」

「いや、18の時に家族で行った」

「30年以上前ですか。記憶が薄れてて当然ですね」

「だろ? 阪神淡路大震災の直後だったから行ったということは一生忘れないだろ

うけどな」

「え?」


 太一は「阪神淡路大震災」という単語を聞き眉をひそめた。


「あの地震の直後に家族でスーパー銭湯に行ってたんですか?」

「そうだぞ。悪いか?」

「いえ……だってあの地震、大変だったって聞いてるから」

「大変だったぞ。毎年授業でもやってるから知ってるだろ?」


 神戸の児童たちは毎年1月になると阪神淡路大震災についての授業を行っており

滝小学校でもそれを欠かしたことはない。


 来年の1月17日は土曜日なのでおそらく前日の金曜日に行われることだろう。



 太一は智子が地震の直後に家族でスーパー銭湯に行ったということが理解できな

かった。


「そんな大変な時にどうして家族でスーパー銭湯に行ったんですか? 息抜きです

か?」

「あー、そうか。私の体験談はこの学年ではしたことなかったか。詳しくは来年の

1月にまたするけど、簡単に言うと家のガスが止まってたから入浴のために郊外の

スーパー銭湯に車で行ったんだよ」


 周りで聞いていた生徒たちは皆、「あー」という表情をした。


「楽しみに行ったんじゃなくて、純粋に身体を洗いに行ったんですね」

「そうだ。お父さんは会社のシャワーを毎日借りてたから私とお母さんとお兄ちゃ

んの3人で確か平日に行ったんだよ。週末は絶対に込むと思ったからな。でも人で

いっぱいだった。洗い場のシャワーが空かないから順番待ちしたもん」

「みんな家のガスが使えない人たちですか?」

「多分な。もしかしたら水がまだ出てない人もいたかもしれない。ちょっとでも空

いてるところにしようと思って神戸から1時間くらい西に車で行ったところのスー

パー銭湯を利用したんだけど、それでも混んでたもんなあ」


 智子は31年前の光景を思い出していた。


「どれくらいの頻度で通ったんですか?」

「1週間ごとに親戚の家とスーパー銭湯を交互に通った」

「お風呂に入るのが1週間に1度ですか!?」


 風呂好きの太一は驚きの声を上げる。


「そうだ。湯船につかるのは週に1回だった」

「気持ち悪くないですか……」

「真冬だからタオルで拭いてればなんとかなる。ただ、身体よりも問題は頭なんだ

よな」

「頭ですか?」

「うん。頭が痒くなるんだよ。長い毛があるせいでしっかりと拭けないだろ? だ

から皮脂が溜まるんだろうな。痒くて仕方がないんだよ」


 生徒たちは想像もしていなかった被災者の一面を興味深く聞いた。


「ガスが復旧したのはいつごろですか?」

「それははっきりと憶えてる。私の家は2月23日だった」

「記憶してるくらい嬉しかったんですね」

「そういうことじゃない」

「違うんですか? じゃあなにか他の理由があるんですか?」

「ガス業者が来てくれた時、1階でテレビを見てたんだよ。もう私の大学受験も終

えて結果待ちの時期だったから。そのテレビの内容が『ねこの日』だったんだ」

「ねこの日……」

「2月22日、にゃんにゃんにゃんで『ねこの日』」

「なんでその次の日なんですか?」

「『昨日ねこの日でした』っていう話題だったから」

「そういうことですか。憶えやすくていいですね」

「ムカつくだろ?」

「え?」

 

 一瞬で智子の表情が厳しいものになったことに太一は驚き、「またともちゃん先

生の情緒不安定が出たか」と思った。


 しかし今回のそれはいつもと様子が違っていた。


「なにがですか? なにそんなにムカつくんですか?」

「あれだけの大災害が起こってまだ5週間しか経ってないのに、東京のメディアは

現地報道を短縮して『ねこの日』をやってたんだぞ。それでいいのか?」

「……」


 智子の怒りを理解した生徒たちも真剣な表情になる。


「現地と離れた場所で温度差があることは理解できるしいつまでも被災地のことを

報道し続けてくれとも思わない。でも、たったの5週間だぞ? 戦後あの規模の自

然災害は初めてだったんだ。それがたったの5週間で……」


  

 智子の目から一筋の涙が零れ落ちた。


 31年前を思い出し、悔し涙が我慢できなかった。


 毎年1月17日にクラスの教え子たちには自分の経験を語ってきた。


 これまでは理性的に話すことができていたのだが来年はどうだろう。


 精神年齢が1年生と同じになってしまった智子には落ち着いて話すことなどでき

ないかもしれない。

 

 今日と同じように泣きながら話すことになるかもしれないなあと思うと少し嫌に

なる智子なのであった。

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