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194 なんにでも頷く男

 今日は土曜日なのに授業がある。


「土曜参観日」である。


 専業主婦などの平日でも見に来られる保護者を対象にした授業参観は1学期の平

日に行われた。


 2学期の土曜参観は平日には来られない保護者向けである。



 この日の6年1組の授業は算数である。

 

 智子は2日前の授業で参観日にやるページを生徒たちに告知しており、当日問題

を答えたい者は予習をしてくるようにと伝えていた。


 そして当日を迎えた。



 6年1組の生徒の数は25人、今日訪れた保護者の数は61人……両親+11で

ある。


 滝小学校の参観日は人数制限を設けていない。


 それでも例年ならば都合の悪い保護者もいるので、週末に行われる参観日であっ

ても生徒の数をやや超えるくらいの人数しか集まらないものだ。


 実際、他のクラスはそんなものなのだが智子のクラスだけは例年の倍以上であっ

た。


 もちろんこれは幼女化した智子の存在が関係している。


 幼女の智子が一体どんな授業をするのか見たいという興味本位の保護者が殺到し

たのだ。


 1学期の時はわざわざ有給を取ってまでは来校しなかった親や親戚が、今日はこ

ぞって押し寄せている。


 職員室からやってきた智子は、教室から溢れ出る人を見て心底うんざりする思い

であった。 


 いっそのことこのまま帰ってやろうかとも思ったが、それはさすがに無責任すぎ

るという常識が智子の中にもわずかながらにあったので思いとどまった。



 廊下を渡り教室の前の扉に向かう智子に声をかける1人の女性。


「きゃー、ともちゃん先生」


 笑顔で手を振るその人に智子は見覚えがない。


 家庭訪問には行かなかった家のお母さん、もしくはおばさんであろうか。


 自分のことを芸能人でも見るかのような態度で接してくるその女性が誰の身内な

のかを智子は特定しないことにした。


 してしまうとその生徒のことも嫌いになってしまうかもしれないと思ったから。


 智子はウザいという気持ちを顔に出さないように気を付けながらそのおばさんの

前を通過し教室に入った。



 智子はいつものように教卓の前に置かれている台に乗り生徒たちを見渡した。

 

 自分の親とアイコンタクトを取っていた生徒たちは緩んだ顔で智子の方に向き直

る。


 親たちはというと教室の後方にまるで通勤ラッシュ時の電車の中のようにぎっし

りと立っている。


 教室内に入りきれなかった親たちは廊下にもこれまたぎっしりと立っている。


 そしてその全員がうっすらとにやけているのだ。


 智子を見てにやけているのだ。


 1学期の授業参観の時は参加していたのがほぼ専業主婦の親だったため、その前

に家庭訪問で会って話をしていた。


 そのため授業参観の時は2度目の顔合わせだったから落ち着いていた。


 今回参加している保護者の多くが初見の幼女先生であるため、残念ながら智子は

動物園の猿扱いをされている。


 見世物小屋の珍獣のような扱いをされている。


 智子は怒鳴り散らかしたいのをぐっと堪え授業を始めた。



「今日の授業は31ページからだな」


 内容は「円と台形の面積を求める」である。


「円と台形の面積の求め方は前の授業でやってるから憶えてるかな。それらを使っ

て答を導き出してもらうが、まずは円の面積の求め方を言える人?」


 数人の生徒の手が挙がった。


 参観日の授業は後方に保護者がいるというだけではなく、生徒の態度にもいつも

と違いが表れる。   


 それは特に挙手をする顔ぶれを見れば分かる。


 いつもは静かに授業を受けている消極的な生徒がこの日は勇気を出して手を挙げ

るのだ。


 勇気を出した瞬間から腹を括っているのだろう、そういう生徒はたいてい背筋が

伸び、真っ直ぐ担任の目を見る。


 この日のそれは瑛太であった。


 今まで自分から問題に答えたことなどなかった彼が今日に限っては真っ先に挙手

をし、そして智子から目を逸らさない。 


「それでは、相内」

 

 智子は自信を持って瑛太を指名した。


「半径×半径×3,14です」

「はい、そうだな。円の面積の求め方は半径×半径×3,14だ」


 誇らしげに着席をする瑛太を見て智子も同じ気持ちになった。


 着席する瑛太を見届けたその時、智子の目に飛び込んできたのは腕を組んで何度

も頷く中年男性の姿であった。


 その男は室内なのに薄く色のついた茶色いサングラスをかけている。


 顔は日に焼け、服装は誰の目も気にしないといったふうのくたびれたスラックス

とポロシャツである。


(あいつ、ただものじゃない……)


 その反応から察するに、その男はおそらく瑛太の父であろう。


 しかし実際は誰の保護者なのかを智子は知らない。


 ただその存在感が智子を圧倒した。



「次に台形の面積の求め方を――」


 智子の言葉が終わるのよりも早く瑛太は挙手をした。 


「――誰か答えられるかな」


 智子の言葉が終わるとそのほか数人が手を挙げた。


 今回も瑛太の姿勢が1番正しく、強い目で智子にアピールをしてくる。


「では……荻野」


 2連続で瑛太にいきかけた智子であったがそうしてしまうとこのクラスが「瑛太

とゆかいな仲間たち」になってしまうので、すんでのところでそれは回避した。


「(上底+下底)×高さ÷2です」

「はい、その通り」


 美月を座らせた智子はちらりとサングラスの男を見ると、男はさっき以上に大き

く頷いているではないか。


 これに智子の頭は混乱した。


(誰の答にも頷く!? ということは相内の父親ではないのか!? お前は一体誰

の保護者なんだ!?)



 その後も男は生徒が答えるたびに大きく頷き、遂には智子が教科書を読むだけで

頷き始めた。


 人生は顔に出るというが実際は態度にも出る。


 なんにでも頷くその男がどんな人生を歩んできたのかが気になって仕方のない智

子なのであった。 

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