表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/216

19 ギャンブラー

「ともちゃん先生、今日学校終わったら、うちに遊びに来る?」 


 智子にそう話しかけたのは、石塚優花だった。


「あのなあ、お前らと違って私は6時間目の授業後も業務時間内なんだよ。お前ら

みたいに授業が終わったらすぐに遊びに行けるような、お気軽な身分じゃないんだ

よ。そもそも、教師と生徒は友達じゃないんだからな。私とお前らの間には明確な

線引きがあって――」

「私の家、庭におっきな檻があるんだ」

「庭に檻?」


 智子が「檻」に食い付いた。


「うん。おっきい檻」

「おっきいって、どれくらい大きいの?」

「5メートル」

「5メートル?」


 今度は「5メートル」に食い付いた。


「うん。縦も横も高さも5メートル」

「おっきいな……」

「うん。家族全員余裕で入れるよ」

「それで、そこではなにを飼ってるんだ? なんか飼ってるんだろ?」

「猫」

「猫!?」


 智子が今日1番食い付いたのは、「猫」だった。


「なんで檻の中で猫飼ってるの? 外で飼えばいいじゃん!?」

「うちの猫もうお婆ちゃんだから、外で飼うと野良に苛められちゃうの。だから檻

の中で飼ってるの」

「なるほどなあ。苛められると可哀想だもんなあ。家の中では飼えないの?」

「猫ってマーキングしちゃうから、あの臭いをお父さんが嫌がって、中で飼うのは

駄目だって言うの」

「ああ、そうなんだよなあ。うちの母親も同じ理由で猫禁止なんだよ。かわいいの

になあ」

「うん。猫かわいい」


 智子と優花の間にしんみりとした空気が流れた。


「ともちゃん先生、どうしたの?」


 そこにやって来たのは能勢愛梨だった。

 クラス1長身の彼女は、クラス1背の低い優花と何故か馬が合うらしく、休み時

間になるといつも一緒にいる。


「能勢か。いやな、石塚の家の庭に檻があるっていう話を聞いてたんだ。知ってる

か? 石塚んちの檻」

「知ってる。ギャンブラーのいる檻でしょ?」

「え、え、なに? ギャンブラー?」

「あれ? 聞いてない? ギャンブラー」

「なんだよギャンブラーって。ばくち打ちのことか?」

「優花んちの猫の名前だよ?」

「思い切った名前付けたな!」


 智子は猫に「ギャンブラー」と名付ける人間の気持ちなど全く分かりはしなかっ

た。


「それ本当なの? 冗談じゃなく本当にギャンブラーっていう名前なの?」

「うん。ギャンブラー」

「雌だっけ」

「女の子」

「ちなみに何才なの?」

「私のお兄ちゃんと同い年だから、今年15才」

「お前んちの猫は15年間、家族から『ギャンブラー』って呼ばれてる訳だ」

「うん」

「名付け親は誰なの?」

「お父さんだって聞いてる」


 智子は、「だろうな」という顔をした。


「石塚のお父さん、15年前になにがあったんだろうな」

「ギャンブラー、お兄ちゃんが生まれた日の朝にうちの庭で保護されたの。それで

お父さん、これは運命だって言って飼うことにしたんです。名前は、お兄ちゃんが

『賭』なんで、猫は『ギャンブラー』――」

「ちょっと待て、ちょっと待て」

「はい?」

「お前のお兄ちゃん、『かける』って言うの?」

「うん、そうだけど?」

「もしかしてその字って……」

「お金を賭けるの『賭』一文字」

「賭博の『賭』!?」

「うん、そう。賭博の賭」

「だったら猫の名前はギャンブラーだわ」

「納得した?」

「うん。お前のお父さん、狂ってるな」

「ともちゃん先生!」


 智子の辛辣な発言に、思わず愛梨は大声を出してしまった。


「息子の名前が『賭』だぞ? 普通、自分の子供にそんな名前付けるか? 狂って

るとしか言いようがないだろ」

「もしかしたら、なんか他に意味があるかもしれないし……」

「無いだろ。しかも同じ日に来た猫の名前がギャンブラーだぞ。これはもう、確定

だろ」

「……優花ちゃん、どうなの?」


 愛梨は返す言葉が見つからず、優花に尋ねた。


「私のお父さん、親戚全員から狂人扱いされてるよ?」


 優花はあっさりと智子の言い分を認めた。


「親戚全員から……」

「そう、親戚全員から。私とお兄ちゃんはそんなお父さんの遺伝子を50%受け継

いでるから、50%の確率でまともな人生は送れないってみんなで笑ってるんだ」


 無邪気に笑う優花に、智子と愛梨は急に彼女のことが不憫に思えてきた。


「能勢、石塚とは一生仲良くしてやるんだぞ……」

「うん。そうする……」

「なに? 一生ってなに?」

「お前は気にするな。それに親戚の目も気にするな。遺伝子なんかお前自身の力で

突破しろ。人間にはそれだけの力が備わってるんだ。お前の人生は全てお前の努力

次第だぞ」

「なんかよく分からないけど、分かった。それで、どうするの? ギャンブラーに

会いに来る? 私の家、すぐそこだよ?」

「石塚の家って近いのか?」

「うん。校門のすぐ目の前」

「そうだっけ。じゃあ、ちょっとだけお邪魔させて貰おうかな」




「「さようなら!!」」


 帰りの挨拶を済ませた生徒たちは、我先にと教室を後にする。

 全ての生徒を見送った智子は、約束通り愛梨とともに優花の家を訪れることにし

た。


「そこだよ」


 優花は校門から出るよりも先に自宅を指差した。


「本当に目と鼻の先だな」

「徒歩0分だよ。ともちゃん先生、こっちに回って」


 優花の家の門を潜った3人は、横の庭を抜け裏に回った。門の反対側に当たる東

の庭には優花の言う通り、数人が余裕で入れる大きさの巨大な檻がそびえていた。


「うわー。学校の方からは建物に隠れて見えなかったけど、こんな大きな檻があっ

たんだー。知らなかった」

「入って」


 扉を開けた優花が2人を招き入れる。


「上も金網だ」


 智子は見上げながら言った。


「カラスに入られる心配もないですね」

「そうだな……。それより、ちょっと寒くないか?」


 建物の陰になっているので檻の中は少し肌寒く、湿気でじんめりとした。 


(老猫には必ずしもいい環境とは言えないのかもしれないな……)


「はい、ともちゃん先生。この子がギャンブラーだよ」 


 優花はキジトラ柄の猫を智子の顔の前に差し出した。


(うわあ、すごい目ヤニ……)


 ギャンブラーは両目が塞がってしまわんばかりの大量の目ヤニに侵されていた。


「檻の中はギャンブラー1匹だけなの?」

「うん。そうだよ」

「そうか。じゃあ、私は仕事に戻るから」

「えっ! もう帰るの!?」

「仕事中だから」

「えー……。もっと遊んでいけばいいのに」

「悪いな。私こう見えて公務員なんで」



 智子は捨て台詞を残して檻から立ち去った。

  

(家庭訪問だと思えば、これも正当な業務だよな)


 猫を見に生徒の家に遊びに行ったことを、自分の中で無理矢理正当化してしまう

智子なのだった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ