189 大河と秋祭り
滝小学校から歩いて数分の場所に滝特別支援学校はある。
智子が6年生だった昭和63年から両校の交流は続いており、今年も滝小学校か
らは6年生75名が代表して月に1回、合同授業に参加している。
今月のテーマは「秋祭り」だ。
この日に備え、滝小学校の生徒たちは同じ班の滝特別支援学校の生徒の好みに合
わせた「神輿」を手作りしていた。
ダンボールの神輿に生徒たちは思い思いの飾りつけを行う。
電車が好きだと聞けば電車の絵を描くし、かわいいものが好きだと聞けば神輿を
ピンク色に塗った。
進介と駿のいる1班で春から一緒に授業を受けている松井大河は「虫」が好きで
ある。
「大河くんは虫好きだから、それを描いて神輿に貼ろうぜ」
駿の提案で1班の4人は画用紙に虫の絵を描き始めた。
漫画を描くのが得意な瑞穂はカブトムシ、雫は瑞穂の助けを借りてクワガタを描
いた。
それらは写実的ではなくかわいらしいキャラクターになっていた。
「へえ、2人とも上手に描けたな」
見回りにきた智子は2人の絵を褒めた。
「瑞穂ちゃんに教えてもらって描いたんです」
「ふーん。漫画みたいな絵が得意なんだな」
「はい。私も将来漫画家になって、たつきょん先生のように迷える民衆を正しき所
へ導きたいんです」
「そうか……」
瑞穂は漫画家の「たつきょん」を尊敬しており、自らをその後継者候補の1人だ
と思っている。
「で、男子の2人なんだが。なんで2人揃って同じ絵を描いたの?」
進介と駿はとんぼの絵を描いていた。
「相談なんですけど、針金って使えますか?」
駿は智子に聞いた。
「針金? 図工室に行けばあると思うけど、なんで?」
「針金を神輿に付けて、反対側に俺たちの描いたとんぼを付けるんです。そしたら
神輿が動く度にとんぼが揺れて、まるで飛んでるみたいに見えるかなって」
「なるほど。よし、採用だ。図工の先生に聞いてくるから待ってろ」
こうして1班の「虫神輿」は完成した。
迎えた秋祭り当日、会場となった滝小学校の講堂に滝特別支援学校の生徒、保護
者、教員たちは集まった。
講堂に等間隔に並べられた様々な神輿を見て来場した生徒や保護者から笑みがこ
ぼれる。
滝特別支援学校の生徒たちが順番に所属する班に移動すると、まずはピンクの神
輿の生徒と保護者から大きな歓声が上がった。
この企画は毎年この時季に行われており、必ず盛り上がることを智子は知ってい
る。
予想通り今年も順調であることはそこにいる全員の笑顔を見れば分かるのだ。
クラスで最も智子が気掛かりなのは1班であった。
この班に参加している松井大河はベッドのような車椅子で移動をする少年で、言
葉を話すことはなく、眼球が動いているのかも智子には判断がつかなかった。
コミュニケーションを取ることの難しい相手に対してどうすべきか、最終的にそ
れは生徒たち自身が考え、感じてもらうしかないと智子は思っている。
だから智子は1班の生徒たちに対しても他の班と同じく最低限の声掛けしかしな
い。
「虫だ。大河が好きだからみんなが作ってくれたの?」
「はい。大河くんが虫が好きだっていうのは確か初めて会った時に聞いてたんで」
顔をほころばせる大河の母に駿は答えた。
駿たち4人は自分たちの選択は間違っていなかったのだと安堵するが、同時に大
河の表情に変化がないことに不安も覚えていた。
(大河くんは本当に自分たちの作った神輿を喜んでくれているのであろうか……)
4人の心の中は同じ気持ちであった。
4人ともがこの授業から同じことを学ぼうとしていた。
1組3班はこの日も大盛り上がりであった。
山崎空は今日も元気いっぱいで、朝陽たちが製作した電車の絵が貼られた神輿を
見て大きな声ではしゃいでいる。
いつ見ても、空と空の周りの人たちに笑顔は絶えない。
空と違い会話のない大河の班は間が持たず、気が付くと4人は賑やかな3班の方
を見てしまう。
声掛けは最小限にと思っている智子も、この時ばかりは助け舟を出す。
「この虫付きの御神輿は生徒たちのアイデアで作ったんです。それと、このとんぼ
も。ほら、持ち上げて見せてごらん」
智子に促された1班の4人は神輿を抱えて上下に揺らす。
「ほら、とんぼが揺れてるでしょ。このアイデアもこの子たちが出したんです」
大河の母は手を叩いて喜ぶ。
それに嬉しくなった4人は寝たきりの大河にも見えやすい位置を探し始めた。
「これくらいかな?」
「もうちょっと低い方がいいんじゃないかな」
「これくらいか」
「大河くん、見えてる?」
大河に対する4人の気遣いに、智子も大河の母も温かな眼差しを送った。
「そろそろ終了となります!」
佐久間は合同授業の終了を告げた。
帰り支度をする保護者と滝特別支援学校の教員たち。
それを見守る1組1班の4人に大河の母は優しい表情で声をかける。
「今日はみんなありがとう。大河もとても嬉しそうだったよ」
大河の母の言葉に4人は笑顔になる。
この言葉こそが4人が最も欲しいものだったのかもしれない。
しかし、同時に進介はその言葉が本当なのだろうかという疑問も抱いていた。
進介の目にはどうしても大河が喜んでいるようには見えなかったのだ。
(本当に大河くんは喜んでいたのかなあ……)
進介にはこの言葉を口に出す勇気はなかった。
それは大河の人としての尊厳を否定する発言であると感じたからだ。
進介は大河の母の言うことを信じることにした。
春に初めて出会い、それ以降も月に1回しか顔を合わせることのない自分が勝手
な想像をするのは間違いだと思った。
大河を産み、24時間大河とともにいる母の言うことが正しいと進介は信じるこ
とにした。




