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186 おかしな智子 前

 6年1組の生徒たちはいつものように朝の漢字テストを行っていた。


 智子が来る前に行われるため教室に試験官はいない。


 監視する者がいなくても、生徒たちは騒ぐことなくカンニングもせず真面目にテ

スト用紙に向かっている。


 10分のテスト時間が終了するタイミングで智子は教室に入る。


 毎日ほぼ同時刻に智子は入室していた。


 そして今日も智子は予定通りの時間に教室のドアを開けたのだが、生徒たちは彼

女の様子に1つだけいつもと違いがあることに気が付いた。


 教卓の前に置かれたステンレスの台に乗り智子は生徒たちを見渡したのだが、そ

の顔の半分以上が白いマスクによって覆われていたのだ。


「ともちゃん先生、風邪ですか?」

「その前に朝の挨拶だろ」

「ああ……」


 朝陽の質問を智子は一蹴し、まずは日番の合図で挨拶を行う。


 着席をした朝陽は改めて同じ質問をする。


「ともちゃん先生、風邪ですか?」

「うん……」 

「風邪? だったら休めばいいのに」

「私はそうするつもりだったんだけど、お母さんが許してくれなかった……」


(ともちゃん先生が学校を休むかどうかはお母さんの許可が必要なのか……)


「ともちゃん先生が休むかどうかはお母さんが判断してるんですか?」

「そう……」

「俺たちと一緒ですね」


 朝陽から「俺たちと一緒」と言われた瞬間、智子は馬鹿にされたと思い朝陽の顔

をキッと睨んだ。


 しかしよく考えてみると「確かにその通りじゃん。あいつの言う通りじゃん」と

思った。


「別にいいだろ! 私にだって親くらいいるんだよ!」


 生徒たちは、どうして智子が急に怒りだしたのか分からなかったが、まあいつも

のことだからと思い特に気にも留めなかった。



 1時間目、算数。

 2時間目、国語。

 3時間目、体育。

 4時間目、理科。


 智子の授業はいつも通りに行われた。


 声もいつも通りだし、体育も補助教員の手を借りながらつつがなく遂行された。


 ただいつもと違ったのは、智子が朝からマスクをつけっぱなしであるということ

だけだった。



 生徒たちがざわつき始めたのは給食の時間であった。


 いつも通りに智子は教室の前方にある自分の机に座っているのだが、食事を前に

してもまだマスクを外さないのだ。


 さすがに食べ始めたらマスクを外して横に置くだろうと生徒たちは観察したが、

なんと智子は「いただきます」をしたあともマスクを外さず、そのままの状態でパ

ンを細かくちぎり始めたのだ。


 せっせとコッペパンをちぎる智子を見て、「これはもう異常事態だぞ」と生徒た

ちは思った。


 パンをちぎって食べることは珍しいことではない。


 しかし、一心不乱にちぎり続けるのは尋常ではない。


 智子はちぎっては食べ、ちぎっては食べをしているのではない。 


 ただただコッペパンをちぎり続けている。



 生徒たちは一応、手と口を動かしている。


 給食の時間は決まっているので、それまでに食べ終えていないと掃除の時間がな

くなってしまう。


 6年生は自分たちの教室以外にも1年生のトイレなども割り当てられているので

掃除の時間をうしろにずらすことはできないのだ。



 智子の手が止まったことにより、生徒たちは彼女がパンをちぎり終えたことを知

る。


 智子は目の前のパンに集中しているため生徒全員に注目されていることに気付い

てはいない。


 すると智子は右手にちぎりたてのちっちゃいコッペパンを持ち、左手を顎に近付

けてマスクの端をつまんだ。


 そして――



  サッ 


  パクッ



 智子は素早くマスクを上げ、目にもとまらぬ速さでちっちゃいコッペパンを口に

放り込んだのだ。


 その後はすぐにマスクを下げ、もぐもぐしている。


 生徒たちは皆、唖然とした表情で智子のことを見つめている。


「まさか食事中もマスクを外さないつもりなのか?」「そんなのコロナ禍以来じゃ

ん!」生徒たちは口々にそう囁いた。 


 

 今日のおかずは、かぼちゃコロッケと小魚の米粉揚げと野菜のスープである。


 智子は銀のスプーンを右手に握り、パンと牛乳以外は全てそれで食べようとして

いる。


 

  サッ


  パクッ



 智子は細かく刻んだかぼちゃコロッケを上手に口の中に運んだ。



  サッ


  パクッ



 小魚の米粉揚げをスプーンで口に運ぶが、少しこぼしてしまった。


 智子の口に入らなかった破片が床に落ちたが、本人にそれを気にする素振りはな

い。


 ちっちゃくしたコッペパンを再び口に入れ、もぐもぐする智子は手にしたスプー

ンを野菜スープに浸した。


「スープは無理じゃないか?」生徒たちは自分の食事に集中しながらも、心の中で

は智子の挑戦に否定的であった。


「絶対にこぼすよ、ともちゃん先生」


 優花は隣の席の凛の耳元で囁いた。


 生徒たちから注目を集めているとは露知らず、スープをスプーンですくった智子

はそれを躊躇なく口に運んだ。



  サッ


  パクッ


  ピチャッ



 大方の予想通り、跳ねたスープがマスクにかかった。


 いつもの智子なら舌打ちをするところであるが今日の智子にそんな素振りは全く

なく、驚くべき集中力で目の前の食に向かい合っている。



 智子になにがあったのかを生徒たちは知らない。


 風邪のウィルスを撒き散らさないための工夫なのか、それともこれがマスクをす

る者のマナーだと思っているのか。


 生徒たちは担任教師の不可解な行動に動揺しつつも、智子の真剣な表情に圧倒さ

れるのであった。

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