185 担いでく?
土曜日の午後、智子は駅前のスーパーに向かっていた。
毎晩食べている納豆が切れていることに昼食後に気付き、面倒だと思いつつも買
いに行くことにしたのだ。
アレルギー体質の智子は積極的に発酵食品を摂る「腸活」を本当に効果があるの
かと疑問に思いつつも続けている。
温暖な秋の気候の中を歩きながら、「散歩だと思えばこれも悪くないかな」と智
子は上機嫌で坂を下った。
スーパーの前の道に来た智子は歩道の人たちが皆、スマホを手に西側を向いてい
ることに気が付いた。
好奇心旺盛な智子は納豆のことなど忘れ人の群れに吸い寄せられる。
智子は人ごみに混ざり観察をする。
すると目の前の車道には警察官が立っており交通規制が行われているのが見て取
れた。
(神輿が来るんだな……)
電柱には神輿が通る時刻が記されていて、もうすぐここにやってくるようであっ
た。
智子はそれを見るのがここに来た目的であったかのように歩道の最前列に陣取り
他の見物人と同様にスマホを手に持って待ち構えた。
数分後、遠くから聞こえてくる笛の音と「わっしょい」という声。
智子はスマホの電源を入れ、録画を開始した。
どうやら神輿は海側から右折してくるらしい。
警察官は交差点の中央に立ち、車の往来を止めている。
智子の位置からはスーパーの入居した巨大なビルが邪魔をして海側の道が一切見
えない。
ただ神輿の近付く音だけが微かに聞こえてくる。
スマホの画面を見つめていた智子が顔を上げた瞬間、微かに聞こえていた音が一
気に大音量になり、法被を着た子供たちと小さな神輿が眼前に現れた。
(子供神輿だ……)
智子はこの時、生まれて初めて子供神輿というものを見た。
青い法被を着た子供たちが「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかけながら、
神輿を担いでいる。
その前には笛を吹く係と大きな団扇を扇ぐ係の子供がいる。
(笛は注意喚起? 団扇はなんだ? 涼しくしてるのか? それとも宗教的な意味
合い?)
子供たちは大人と警察官に囲まれながら安全に車道を渡っていく。
智子はそのまま前を通過する場面を撮影しようと構えていたが、5メートルほど
手前で神輿は停止してしまった。
歩道にいるお母さん方が子供たちに紙コップを渡している。
どうやら給水地点であるらしい。
(神輿って給水しながら担ぐのかあ)
神輿を担いだ経験のない智子には知らないことだらけである。
「あれ? ともちゃん先生?」
大きく「祭」と書かれた法被を着た瑛太が紙コップを手に近付いてくる。
「相内か。たまたま通りかかったんで見てたんだ」
「時間あるなら、ともちゃん先生も担いでく?」
「なんでそんなラフな感じなんだよ。神輿ってもっと重々しい雰囲気のもんだろ」
「そんなの気にしなくてもいいよ? 担いでく?」
「ちょっとは気にしろ。というかお前にそんな権限はない」
智子はラフな態度の瑛太を軽く退けた。
「この町にも子供神輿ってあるんだな。いつごろからなんだろう」
「ともちゃん先生の頃はなかったの?」
「どうだろう……。祭りといえば神社の屋台だったからなあ……」
そもそも智子の子供の頃の祭りの思い出の中に神輿はいなかった。
この町を神輿が練り歩いていると知ったのも大人になってからのことだった。
智子は瑛太の着る法被に「丸ヶ丘自治会 子供会」と書かれていることに気が付
いた。
「神輿を担いでるのって、みんなそこの子供会に入ってるの?」
智子は瑛太の法被を指差しながら聞いた。
「うん、そうだよ。終わったらお菓子セットがもらえるんだ」
「そうか、それは聞いてないけどな」
智子の家は丸ヶ丘ではないし、子供会にも入ったことはなかった。
もしかしたら智子の地区には子供会自体がないのかもしれない。
「瑛太くん、行きますよー」
「はーい。それじゃあ、俺行くから。ともちゃん先生は? 担いでく?」
「いや、遠慮しておく」
智子は瑛太の誘いを断り、彼の背中を見送った。
子供神輿は再び子供たちに担がれ、今度は住宅街の中へと入っていく。
智子の家はここからさらに1キロ近く離れた場所にあるため神輿が上ってくるこ
とはない。
50年近くこの町で生きていても知らないことはまだまだあるもんだなあとしみ
じみ思う智子なのであった。




