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182 ひよこ釣り

 智子――


 そろそろ起きなさい、智子―― 



 遠くに聞こえる母の声。



「智子、晩ごはんはできてるからちゃっちゃと食べちゃいなさい。遅れるのは嫌な

んでしょ?」


 幸子の声で目を覚ました智子は上体を起こした。


「まずは顔を洗っておいで」


 食卓の椅子に座った幸子はソファで眠っていた智子に声をかけた。 


「今日は何曜日?」

「金曜日」

「金曜日?」

「そう、今から晩ごはん食べてお祭りに行くんでしょ?」

「うわー、まだ今日なのか……」 


 智子はこの日は朝からいつも通りに出勤し、夕方はいつもよりも2時間早く帰宅

していた。


 2時間早く帰った理由、それは「秋祭り対策」であった。


 3ヶ月前の夏祭りの日、見回り役の智子は最後まで起きていることができず、幸

子に背負われてタクシーで帰宅するという失態を演じていた。


 その反省を生かし、今回は家で昼寝をしてから祭りに参加するという方法を取っ

たのである。


 ソファの上で眠った時間はおよそ90分。


 たったのこれだけでどれほどの効果があるのかは分からないが、それでも智子は

勝算があると考えていた。


 智子は深い溜め息を吐き、洗面台へと向かった。



「智子、上着も持っていきなさいね」


 食事を終えテレビを見ながら準備をする智子に母の幸子は言った。


「大丈夫だって、お母さん。スウェット着てるし、そこまで寒くはならないから」

「雨降ってるけど大丈夫?」

「うそ! 雨降ってるの!?」


 智子は窓を開け外の様子を確認した。


 小雨が葉っぱを濡らしている。


「あー……嫌なことは先に片付けようと思って金曜にしてもらったけど、土日が正

解だったかー。雨の中を見回りって最悪だよー。面倒臭いー」

「智子、仕事なんだからそんなこと言わないの」

「祭りは年に1回って法律で決めてくんないかな……」 

「傘とレインコートも持っていく?」

「レインコートは雨がやんだら邪魔になるからいらない」

「防寒にもなるよ」

「そっかー。じゃあスウェットの代わりに着ていくか」


 智子は半袖シャツの上にレインコートを羽織り家を出た。


 幸いにも雨はやんだので智子は長い傘ではなく折り畳みの傘を持っていくことに

した。



 智子が到着した頃、境内には人影はまばらであった。


 雨が降ったせいだろうか子供以外の参加者はあまり見当たらない。 


 午後7時を過ぎ、境内には見知った顔が続々と集まってくる。


 ほんの数時間前に教室で別れたばかりなのに、再会を喜ぶ生徒たち。


「ともちゃん先生、イエーイ」

「イエーイじゃないよ。今日は遅くなる前に帰れよ」

「ともちゃん先生が寝ちゃう前にね」


 夏祭りの日の失態を早速いじられる。


「今日は早退して家で寝てきたから大丈夫なんだよ」


 智子は得意気に言った。


「ともちゃん先生、昼寝してきたの?」

「そうだ。大人っていうのはな、失敗をしない生き物ではないんだ。失敗を次に活

かす生き物なんだ」

「昼寝しないと起きてられないって、どう考えても子供だけどなあ」


 涼香は今日もズカズカとものを言う。 


「お前なんかムカつく……」


 天然な性格の涼香に悪気はないことは分かっているので、智子はそれ以上はなに

も言わない。


 智子も人を見て態度を変えるのだ。



 秋祭りは夏と違い浴衣の人は少ない。


 それでは少し肌寒いというのもあるだろうし、秋祭りといえば神輿に法被という

イメージもあるのだろう。 


「ともちゃん先生の子供の頃のお祭りって、どんな感じだったの?」


 智子の周りを囲んだ女子たちは、りんご飴やたこ焼きを食べながら幼女の姿をし

た智子に昔話をねだる。


「まあ、基本的には今と変わらない気がするけど、1番違うのは生き物系だな」

「生き物系?」

「昔は『亀すくい』とか『ひよこ釣り』があったんだよ」

「亀をすくうの!?」

「ひよこを釣るの!?」


 知らない世界の扉を開き驚愕する女子たち。


「それってともちゃん先生もやってたの?」

「亀は記憶にないけど、ひよこは持って帰ったのを覚えてる」

「釣ったの?」

「釣った覚えはないんだよなあ……。でも、持って帰ったってことは釣ったのかな

あ……」

「そもそもひよこを釣るってどういうこと?」

「紐の先に餌を付けて、ひよこが食い付いたら持ち上げるんだよ」

「釣り針?」

「違う違う。針なんて付いてないぞ。いくら昭和でも、さすがに屋台でひよこが出

血してたら祭りどころじゃないだろ」


 智子は笑いながら言った。


「お母さんから昔はカラーひよこがいたって聞いたことある」


 真美は母から聞いたという知識を披露した。


「私が持って帰ったのは普通の黄色いひよこだったな。確かその頃はもう『カラー

ひよこは動物虐待だ』っていう風潮があったからな。その流れでひよこ釣り自体が

なくなったんだよ」

「でも、金魚すくいは今でもやってるよ?」

「そこが人間の抱える矛盾だ。結局は感覚で決まるんだよ、そういうのも。『ひよ

こはかわいいから駄目。でも、金魚は魚だから食べ物だし別にいい』って」



 智子の言う「それらしいこと」に女子たちは頷く。


 別に智子も深く考えてしゃべっているわけでもないのに。   


 秋の夜長、気付くと教育者っぽい振舞いをしている智子なのであった。

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