18 有名人と同じ名前
「高平のお父さんって高平なの?」
(またか……)
進介は嘆息した。
一体今まで何度この質問をされてきただろうか。そして自分はこれから何度この
質問をされるのだろうか。
そのことを想像すると、進介はいつも憂鬱な気分になる。
進介の住む地域にあるプロ野球チーム「タイガース」に「高平光司」という主力
選手がいる。
もちろん高平選手は進介の父ではないし、親戚ですらない。たまたまその選手と
苗字が同じだったというだけだ。それなのに、進介はクラスメイトたちからもう何
度もこの質問をされ続けてきた。
「高平のお父さんって高平なの?」
何が面白いのか全く分からないこのジョークのせいで、進介は今、高平選手のこ
とがちょっと嫌いになりかけていた。
進介はタイガースのファンである。自身も少年野球チームに所属しており、タイ
ガースの試合は毎日テレビで熱心に応援している。
それでもクラスメイトによって繰り返されるこのくだらないジョークのせいで、
半ノイローゼのような状態にまで進介は追い詰められていた。
風向きが変わったのはプロ野球の試合の無い月曜日の夜のことだった。リビング
のソファでスマホをいじっていた時に、ふと気が付いたのだ。
(そういえば、ぼくのお父さんも高平だよな……)
もちろんタイガースの高平選手ではない。進介の父は、サラリーマンの高平大樹
だ。仮にその質問が、「高平のお父さんってタイガースの高平なの?」だったら肯
定はできない。しかし、「高平のお父さんって高平なの?」ならば、「そうだよ。
お父さん高平だよ」と言っても問題は無いではないか。
このことに気が付いた時、進介は神に救われた思いがした。自分は正しい方向へ
導かれたのだと思った。きっと野球の神が彼に微笑んだのだろう。
(次また同じことを聞かれたら、その時は上手く切り返してやろう)
進介はこの日の夜、何度も何度も頭の中でシミュレーションを重ねながら眠りに
ついた。
そして翌日、早速チャンスは訪れた。
それは昼休みでのことだった。校庭に出ようと教室の出口に向かっていた進介に
近付いた健太が言ったのだ。
「昨日は月曜だしタイガースの試合無かったな。ところで、高平のお父さんって高
平なの?」
にやけ顔の健太の横では、これもまたにやけ顔の昌巳が肩を組んで立っている。
(馬鹿め)
勝利を確信した進介は表情ひとつ変えず、2人に言ってやった。
「そうだよ」
「えっ……」
いつもと違う答えに戸惑う2人。
「高平のお父さん、高平なの?」
2人の細い目が少しだけ見開いた。
(今だ!)
進介は絶好のタイミングを逃すまいと、昨晩遅くまで頭の中で繰り返したキラー
ワードをここで発した。
「お父さん高平だよ。――タイガースの選手ではないけどね!」
「……」
(決まった)
進介は誇らしかった。ユーモアのセンスの無いクラスメイトを制圧する自らの一
言に酔いしれた。ここで1つの時代が終わり、新たな舞台の幕が開けるのだと確信
した。
しかし、2人からの反応は進介を落胆させるものであった。
「なに言ってんだ、お前?」
(え……どういうことだ……)
進介は混乱した。
(ぼくのユーモアが通じていないだと!?)
進介の口からは次の言葉が出てこなかった。本来ならばぎゃふんと言わせる場面
がそうはならなかったのだから無理もないことだ。
「どうした? お前ら、変な空気だぞ」
異変を察知し、3人に近付いたのは智子だった。どうやら智子は、笑いもせず話
もせずただ立ち尽くすだけの3人の間に険悪な空気が流れていると勘違いをしたよ
うだった。
「さっきまで何か話をしていただろ? 気に入らないことでもあったか?」
「高平くんがが変なことを言ったので……」
健太はいつもの薄ら笑いではなく、機嫌が悪い時にだけ見せる真顔で智子に返事
をした。
「変なことってなんだ?」
「昨日はタイガースの試合が無かったっていう話をしてたんです」
「うん。月曜は野球しないもんな。それで?」
「ところで、高平のお父さんって高平なのって聞いたんです」
「そんな訳ないだろ。それで?」
「そしたらこいつ、そうだよって言ったんです」
「え!?」
智子は今まで出したことのないような大きな声を発した。
その声に驚いた生徒たちが一斉に智子の方を見る。
「お前のお父さん、高平なの!?」
再び大きな声を出す智子だったが、すぐに手で口を押さえ考え込んだ。
(いや、さすがに高平のお父さんが高平だったらそれは隠せないだろ。シリーズで
MVPを取ってるんだぞ? そもそも高平って今何才だ?)
智子はポケットから素早くスマホを取り出し、高平選手の年齢を検索した。
(30才。高平が11才だから、19才の時の子供……ありえなくはないか)
智子は真剣な表情で進介を見つめた。進介は困ったような顔をしている。
(子供って平気でしょうもない嘘を吐くからなあ。高平はそんなタイプじゃないと
思っていたけど、所詮は他の奴らと同じということか)
「高平、くだらない嘘を吐いても誰も得しないぞ。それともジョークのつもりなの
か?」
「ぼくのお父さん、高平です」
「だから――」
「タイガースの選手ではないですけど……」
「――は?」
智子は進介の目を直視した。
「ぼくのお父さん、高平大樹です。タイガースの高平選手ではないですけど、ぼく
のお父さんも高平です……」
進介は恥ずかしかった。自分のユーモアを自分の口から説明をすることがこれほ
どまでに恥ずかしいことなのかと思った。
でも、ともちゃん先生ならきっと分かってくれる。見た目が6才児とはいえ、健
太や昌巳とは頭脳が違うのだ。
しかし、進介のその願いは儚くも崩れ去ることとなる
「なに言ってんだ? お前」
そう言いながら智子は、心から見下すような視線を進介に送った。
「タイガースの高平じゃなかったら、それはもう高平じゃないだろ」
「えー……」
「じゃあ、もしお前の父親の名前が『織田信長』だったらどうするよ?」
「どうするよって言われても……」
「『ぼくのお父さん、本能寺の変で自害したんです』って言うのかよ。え?」
「それは別ですけど、名前が『織田信長』なんだったら、ぼくのお父さんも『織田
信長』ですよ」
「お前は馬鹿か? 名前が『織田信長』でも、本能寺の変で死んでなかったらそれ
はもう『織田信長』じゃないんだよ」
「えー……」
「だから、お前の父親も『高平』じゃねえ。『低平』だ。もう2度と『高平』を名
乗るな!」
「えー……」
言いたいことを言った智子は、どかどかと教室を出ていった。
「ぼくもこれからは『低平』を名乗らなきゃ駄目なの?」
残された進介が周りにそう尋ねたが、クラスメイトたちは誰一人として彼と目を
合わせることはなく、進介は孤独に教室内を彷徨うのだった。




