178 マーガリンは俺のもの
みんな大好き給食の時間。
特に食いしん坊の生徒にとってそれは「生きがい」と言っても差し支えがない。
「俺のだ!」
「いや、俺のだ!」
そんな楽しい時間に喧嘩?
6年1組が誇る食いしん坊のでぶ2人、健太と昌巳が言い争いをしている。
「俺がもらう!」
「いや、俺がもらう!」
健太と昌巳といえばいつも一緒にいる大親友である。
その2人がなぜ?
滝小学校では週に3回がごはんの日、残りの2回がパンの日である。
かぼちゃパンなど味の付いたパンの日もあるが、たいていはただのコッペパンで
あった。
ジャムなどが出る日はよかったがそんなことは稀であり、生徒たちは味気のない
冷えたコッペパンをまるでそれが義務であるかのように口に運び咀嚼した。
「俺のだからな!」
「いや、俺のだから!」
この日はマーガリンがついてくる日であった。
アルミで包装された銀色のキューブ型のマーガリンは見た目もかわいらしく、生
徒たちに大人気のメニューであった。
「俺がもらう!」
「いや、俺がもらう!」
滝小学校では「余った食材は早い者勝ちでおかわりができる」という暗黙の了解
があった。
カレーや焼きそばの日は行列ができ、冷凍ミカンやチーズケーキはそもそも余ら
ないように数が調整されて各クラスに配られていたが、マーガリンなどはいい加減
なもので、欠席者がいたりするとクラスで余ることがあった。
健太と昌巳はそれに目を付けたのだ。
最初のうちは「これ俺もーらい」などとおどけて言っていた2人であったが、見
る見るうちにヒートアップし、遂には「いただきます」の前に口喧嘩が始まってし
まった。
「あのマーガリンは俺のものだ!」
「違う! あのマーガリンは俺のものだ!」
成績が悪く語彙力のない2人。
健太はただ所有権を主張し、昌巳は同じ文句を繰り返す……いかにも馬鹿の喧嘩
である。
日番がいただきますの合図をする直前、昌巳があるルールを健太に提示した。
「今あるマーガリンを食べてからだぞ! まだ残ってるのにもう1個もらうのはな
しだからな!」
「おう! 分かってるよ!」
昌巳のこの提案も滝小学校における暗黙の了解の1つ、「同じメニューを食べ終
える前にはおかわりはできない」であった。
焼きそばをおかわりするにはまずは自分の器の中の焼きそばを空にすること、カ
レーをおかわりするにはまずは自分の器の中のカレーを空にすること、マーガリン
をおかわりするにはまずは自分のマーガリンを全部食べきること……。
それは当然のことである。
おかずであれば先に大盛りにしておくというやり方もあるが、食べ切れないと無
駄になってしまうのでそれは避けなければならない。
マーガリンは本来ならば1個で十分であり、おかわりの必要のない物のはずだが
どうしても必要であれば余った物をその生徒にあげればいい。
「俺が先に食う!」
「いや、俺が先に食う!」
健太と昌巳の争いは、今やクラス中の生徒たちの注目の的であった。
にやにやしながら2人を見つめる男子たち、それに対して智子は「嫌だなあ」と
思いながら2人のことを見つめていた。
マーガリンを早く消費するということは、パンの早食い競争をするということで
ある。
ただでさえ給食中の児童の窒息死が定期的にテレビや新聞で報じられているのに
まさか自分のクラスでそんなことが起こったら……智子は想像するだけで恐ろしく
なってしまう。
「手を合わせてください」
「おあがりなさい」
「「いただきます!」」
智子が2人に注意するかどうか迷っているうちに、日番の合図で生徒たちの食事
は始まってしまった。
智子は「まずい」と思った。
「田中と松田のどっちかが死ぬ」と思った。
「もしかしたら2人同時に死ぬかもしれない」と智子が思った瞬間、2人のでぶは
自分のマーガリンを手に取ると目にも留まらぬ速さで包装をむき、マーガリンのブ
ロックを口の中に放り込んだ。
(直接!?)
もはやこれが誰の感想なのかは分からない。
目撃した全員が思ったのだ、「まさかマーガリンをパンに付けずに直接口に放り
込むとは」と。
健太と昌巳は打ち合わせをしたわけでもないのに同じ行動を取り、席を立ち、そ
して教卓の上に置かれたマーガリンの入った箱に同時に手を伸ばした。
すると――
「「あっ!!」」
2人の大声が教室に響き渡る。
「ない!」
「マーガリンがない!」
「箱から消えた!」
箱の中にマーガリンはなかった。
そもそもマーガリンは人数分しかなかったのだ。
2人が最後に見た時、確かにマーガリンは箱の中にあった。
しかしそれは余っていたのではなく、優太に配られていないものだった。
席にマーガリンがないことに気付いた優太は給食係に言わずに自分でマーガリン
を前まで取りにいった。
その結果、マーガリンは箱から消えたのだった。
マーガリンが余っていなかったという勝者のいない幕切れにクラスが笑いに包ま
れる。
「なんだよー! マーガリン、一口で飲んじゃったよー!」
「コッペパンだけ残った! コッペパンだけ!」
中でも当事者の2人が1番の大爆笑をしている。
智子は健太と昌巳がパンを咽喉に詰まらせて死ななかったことに安堵したうえで
改めてマーガリンを一気飲みした2人の姿を思い出し、大笑いをするのであった。




