176 見習え!
滝小学校では春に運動会をやる。
その代わりというわけではないだろうが音楽会は秋に行われる。
40年前は音楽会も1学期にやっていた気がするが、それは智子の記憶違いかも
しれない。
「再来週の金曜日に音楽会がある。お前らが歌うのは『美しく青きドナウ』で演奏
するのは『ハンガリー舞曲第5番』だ。詳しくは音楽の河野先生から聞いてくれ」
火曜日の終わりの会で智子は生徒たちに言った。
「楽譜はタブレットを見ればいいって私は聞いてるんだけど、みんなは?」
「先週の音楽の授業の時に説明を受けました。紙の楽譜ももうもらってます」
「そうなの? 全体練習が明日から始まるから担当楽器を決めておくように言われ
てるんだけど」
「それはまだ決まってないです」
「そうか。じゃあ、みんな楽譜をもらってなにをやりたいかを決めてきたんだな」
智子の言葉に対して生徒たちの表情に変化はない。
運動会と違って音楽会が楽しみだという生徒はあまりいないのだ。
「まずピアノだけど、これは3組の女子がやることに決まってるから。名前はなん
て言ったっけかな……あー、忘れた。3組の女子だ。お前らならなんとなく分かる
だろ? ピアノが弾ける3組の女子だ」
生徒たちは「おそらく寺川菜美だろうなあ」と思ったが、なかなか思い出せない
智子の姿がかわいくて面白かったので教えずに放置をした。
「誰だっけなあ。3組の女子……あー、出てこないなあ。やっぱあれだな、興味が
ないと脳が働かないな」
智子はさらっと本音を口にした。
「ともちゃん先生が興味がないのはピアノを弾く3組の女子についてですか、それ
とも音楽会のことですか?」
「両方だ。子供の頃から音楽会に興味を持ったことなんて1度もない。お前らもそ
うだろ? 違う?」
優花の質問に智子が正直に答えると、さっきまで無表情だった生徒たちの顔に笑
みが浮かんだ。
「な? そうだよな? 音楽会になんて興味の持ちようがないよな? でも――」
智子は突然声を潜めた。
「このことは絶対に河野先生には言うなよ。音楽会は音楽の先生にとっては年に1
度の晴れ舞台だからな。河野先生、毎年入学式と卒業式は同じスーツ着てくるくせ
に音楽会の時はわざわざそれ用の衣装を新調してくるからな。相当な気合の入れよ
うだぞ。音楽会に興味がないなんて知られたらメトロノーム投げつけられるぞ」
そんなことするわけないだろ!……というつっこみを生徒たちは各自、心の中で
行った。
「河野先生を犯罪者にしないためにも、お前らには気合を入れて頑張ってもらわな
ければならない。では、楽器決めを行う」
智子は我ながら上手い進行だと心の中で自賛した。
「ピアノ以外だと、鉄琴、木琴、トライアングル、タンブリン、小太鼓、大太鼓と
シンバルがあって、それ以外の者は鍵盤ハーモニカだ。うちのクラスからは鉄琴と
トライアングルとタンブリンと大太鼓を1名ずつ、計4名を出すことになってるか
ら、今から立候補を募るぞー」
滝小学校では、いわゆる「オーディション」というものは行われていない。
立候補を募り、希望者が多ければじゃんけんで決めることになる。
問われるのは「やる気」であり「技術」ではないのだ。
「まずは鉄琴――」
優花が手を挙げた。
「石塚だけか? よし、鉄琴は石塚に決定。次はトライアングル――」
朝陽と春馬と蓮と駿と拓海と結衣と瑞穂と楓花と雫が手を挙げた。
「ん? 多いな……9人も? じゃあ、じゃんけんで1人に決めて」
その結果、結衣がトライアングルに決まった。
「よし。次はタンブリン――」
智子がタンブリンの希望者を募ると、さっきの9人から結衣を除いた8人が手を
挙げた。
「またお前らか。じゃあ、じゃんけんして」
今度は雫が勝者となった。
「最後は大太鼓――」
さっきの8人から雫を除いた7人が手を挙げる。
「……じゃあ、じゃんけんして」
予想通りの流れの中、チョキを出した朝陽が1発で勝者となった。
「よっしゃ!」
大喜びをする朝陽と肩を落とす敗者6人を怪訝な表情で眺める智子。
「ねえ……」
「はい? なんですか、ともちゃん先生」
蓮のことをあおるようにガッツポーズをしていた朝陽が智子の方を向く。
「なんでトライアングルとタンブリンと大太鼓をそんなにやりたかったの? なん
で鉄琴には立候補しなかったの?」
「楽だからですけど?」
朝陽は「当然でしょ?」という顔をし、智子は「おー」という顔をした。
「最後の3つは鉄琴とか鍵盤ハーモニカと違って適当に叩くだけなんです。覚える
ことが少なくて済むんです。特に大太鼓なんて出番も少ないから最高ですよ!」
朝陽の言葉に智子は大きく頷いた。
「立候補したお前ら頭いいな! 見直した! 立候補をせずにただなんとなく鍵盤
ハーモニカを選んだ馬鹿者どもよ! 見習え!」
智子は楽な楽器に立候補しなかった鍵盤ハーモニカ組に喝を入れた。
それはクラス25名中15名である。
智子は大部分の教え子を馬鹿者扱いしたのだ。
他の教師がこれをやったら保護者から抗議がくるかもしれない。
場合によっては懲戒処分が下るかもしれない。
今はそんな時代なのであるが、智子の場合は大丈夫。
世の中は智子にだけは甘いのである。




