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172 ハアハア

 蓮の描いた絵を笑った智子と笑わなかった進介は放課後、教室で話し合いを行っ

ていた。


「4年の時の賢一の話をしてもいいですか?」

「関係ある話ならいいよ」


 智子の許可を得た進介は2年前のあることを話し始めた――



 秋も深まった11月、スポーツの秋にちなんで「クラス対抗競技会」というイベ

ントが4年生の3クラスで行われることになった。


 行われるのは卓球とミニサッカー、その2つをクラス対抗で行うのだ。


 進介と賢一のいた班はパンフレットのイラストを担当することになり、絵の得意

な賢一が代表して描くことになった。


「紙に描いて取り込んでもいいですし、直接タブレットに描いてもいいです」


 担任の楢崎にそう言われた賢一はアナログを選択し、教室に備え付けてある真っ

白な紙に鉛筆で絵を描いた。


 賢一が描いたのはバレーボールで、3頭身のキャラクターがアタックを打つ場面

であった。


「できた!」


 完成された絵を見た時、進介は「上手いもんだなあ」と素直に思った。


 どうしてサッカーか卓球ではなくバレーなんだろうという疑問はさておき、その

イラストは進介には到底描くことのできない出来栄えであった。


 ネットの網目も丁寧に描き込まれているし、描くことが好きな人はこういうとこ

ろも面倒がらずにできるんだなあと進介は感心した。



 同じ班の女子が絵の確認をしている間、賢一と進介はタブレットを手に画像の撮

影場所を探していた。


「照明がしっかり当たらないと駄目だよな?」

「明るさ調整でなんとかなるんじゃないの? 1回撮ってみようぜ」


 2人が絵の回収に女子の元へ向かうと、ちょうど寺川菜美が紙を手に持ってくる

ところであった。


「これ描いたの志村くんだよね。すごい上手だと思う」

「ああ。ありがとう」


 賢一は照れながら礼を言った。



 ここまでは自然な流れであったと今でも進介は思う。

 

 しかし、問題はこのあとに訪れた。


「すごい上手なんだけどさあ、この足ってどうなの?」


 そう言って菜美は賢一の描いたイラストのとある部分を指差した。


 菜美が指摘したのは、右手でアタックを打つ身体の傾いたキャラクターの右足で

あった。 


 膝を曲げた右足のかかとがネットの上に出ていたのだ。


 菜美はそれを「おかしい」と指摘したのだ。


 それを聞いた時、進介は「そんなことどうでもいいだろ」と思った。


 確かにそれは現実ではありえないことではある。


 しかしそれはデフォルメされたイラストなのだから、なんの問題ないと賢一も進

介も思っていた。


「これはイラストだから。わざとこう描いてるから」


 けちを付けられた賢一もこの時はまだ冷静であった。


「それは分かるよ。でも、ねえ?」


 菜美は同じ班の優花に同意を求めたが、彼女は愛想笑いをするだけだった。


 優花もイラストなのだからこれでいいと思っていたのだ。


 この時点で菜美は班の中で孤立した。


 もし進介がその立場になったなら、それ以上はなにも言わず黙ったことだろう。

 

 しかし菜美はそういう性格の持ち主ではなかった。


「やっぱりこれは変だわー。だってネットから足が出てるもん」


 菜美は一切引くことはなく、そればかりか賢一を馬鹿にするかのような半笑いで

主張を続けた。


 それを見た賢一は感情的になり菜美に詰め寄る。


「だからこれはわざとこう描いてるって言ってるだろ!」


 賢一は感情的になった時、声を荒らげるのではなく声を震わせ静かに怒りを露わ

にするタイプであったのが進介たちには救いであった。


 そうでなければ授業が中断される事態になっていたかもしれない。


「それは分かるけど。でも、いくらなんでもー」


 決して譲ろうとしない菜美に、普段は温厚な進介もだんだん腹が立ってきた。 

 

「イラストだって言ってるだろ? 賢一は分かって描いてるんだって」

「それは分かるよ、それは分かる。でも、これはいくらなんでもー」


 3対1になってもまだ譲らない菜美と苛立ちを隠せない賢一と進介。


「イラストだからいいんだって。賢一は分かっててわざとこういうふうに描いてる

んだって!」


 賢一だけでなく進介までが怒りだしたため、菜美はようやくそこで矛を収めるこ

とにした。


「おかしいと思うけどなあ……」


 いつもは笑顔の菜美だったが、この時は明らかに不満気な表情であった……。  

  


「ということがあったんです」

「つまり、他人が描いた絵を軽々しく馬鹿にしてはいけないと言いたいんだな?」

「はい、そうです。伝わりにくいですけど、この時の賢一めっちゃキレてましたか

らね」

「そうなの?」

「あいつ、怒鳴ったり暴れたりするんじゃなくて静かにキレるタイプなんで言葉で

は伝えにくいんですけど、なんかハアハア言ってました」 

「興奮しすぎてるってこと?」

「分かりませんけど、なんかハアハア言ってました」


 進介はやたらと「ハアハア」を押してくる。


「いや、ハアハアの意味は分からんけど……」

「賢一って興奮するとハアハア言い出すんです」

「それだと意味が変わってくるだろうが。怒って興奮するとって言え」


 智子は賢一のことはあまり知らないので本当に彼が怒るとハアハア言うタイプな

のかの判断はできない。


「ちなみに寺川は同じ年にぼくともう1回同じ班になってるんですけど、その時は

翔太をブチ切れさせてるんです」

「なんでそんなに男子にばっかりキレられるの?」

「なんででしょう」



 進介は不思議そうに首を捻った。


 智子は賢一だけでなく菜美のこともよく知らないのでなんとも言えないが、世の

中には他人を不快にさせるキャラクターの持ち主がいることは事実である。


 もしかしたら菜美はそういう女子なのかもしれない。


 もしかしたら賢一と翔太が怒りっぽいのかもしれない。


 もしかしたら進介のなにかしらの態度がそういう状況を誘発してしまっているの

かも……。


 この時点では、智子にはなにも分からないのであった。

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