171 教師みたいな生徒
休み時間、普段の教室には無秩序な人の流れがある。
運動場へ遊びに出る者、外を眺めるために窓際に移動する者、仲のいい友達の机
の周りに集まる者……。
それらは全て生徒たちの自由であり、秩序などは誰も必要としていないのだ。
しかし、この日の休み時間は違っていた。
教室の後方に人だかりができており、生徒たちは順番になにかを見ては後方の生
徒に場所を譲っている。
算数の小テストの採点をしていた智子はその手を止め、生徒たちのことをじっと
見つめた。
男子も女子もなにかを見て笑顔になっている。
好奇心旺盛な智子は椅子から降り、いつものように迷わずその輪の中に飛び込ん
だ。
「どうしたの? なにがあるの?」
声を聞いた生徒たちは智子のために道を開ける。
「ともちゃん先生、蓮が面白い絵を描いたんですよ」
朝陽は背の低い智子にも見えるように手元の紙を下に向けた。
そこには、ひょっとこのようなタコのような顔をした男が必死に踊っている絵が
描かれていた。
「なんだよこいつ! この顔ムカつく!」
智子は一目でその絵に魅了された。
「必死に踊ってんのもムカつく! 汗飛ばしてんじゃねえよ!」
ひょっとこ男からは大量の汗が周りに飛び散っていた。
智子は生徒たちと一緒に蓮が描いたその絵を堪能した。
「これってなんの絵?」
「この間の校外学習で行った考古博物館の感想文の挿絵です」
蓮は照れながら言った。
「考古博物館にこんなキャラいなかっただろ!」
「昔の人をイメージして描いたんだけど……」
「昔の人じゃなくて、昔のお調子者だろうが!」
智子のつっこみに生徒たちから笑いが起こる。
「でもこれって国木田のオリジナルなの? だとしたら才能あるよ。ちょっとした
ゆるキャラだもん。みんなもそう思うだろ――」
智子は満面の笑みで周りに同意を求めたのだが、智子はそれをすぐに後悔するこ
とになる。
ほとんどの生徒たちは笑顔で智子の言葉に頷いたのだが、1人だけ違った反応を
する者がいたのだ。
高平進介だ。
なぜか進介だけが蓮のうしろで真顔で佇んでいるのだ。
(なんだよあいつ……。なんで楽しげじゃないんだよ。お前も一緒に笑えよ!)
智子の顔が怒りとも不安ともいえないような微妙な表情に変化した瞬間、休み時
間の終了を告げるチャイムが教室内に鳴り響いた。
そのあとの授業はいつも通り順調に進行し、終わりの会の終了後クラスは解散と
なった。
「ともちゃん先生、さようならー!」
「おう、気を付けて帰れよ」
涼香はランドセルを背負い教室を出る前に必ず別れの挨拶をする。
その直前に全員でしているので智子は「2度手間だなあ」と思うのだが、生徒の
挨拶を否定するわけにもいかず、4月からこれを毎日続けている。
涼香以外の生徒たちも元気に教室を駆け出していく。
彼女たちを眺めながらも智子の視界の端には進介の姿を捉えていた。
進介が颯介や朝陽らと話をしながら廊下に向けて歩き出したのを見計らい、智子
は声をかける。
「おい高平、ちょっと残れ」
智子に命令され、進介は颯介たちと一旦別れた。
「なんですか、ともちゃん先生」
「休み時間のあれだ」
「休み時間のあれ……ってなんですか?」
「国木田の絵だ」
「ああ、ひょっとこみたいな。あれがなにか?」
「お前あの絵を見た時、笑ってなかっただろ。なんでだよ。あんな面白い絵を見て
笑わない小学生なんていねえんだよ!」
進介はいつもながらの智子の暴論に戸惑いつつも、言いたいことはなんとなくだ
が理解した。
「ともちゃん先生、言ってもいいですか?」
「なんだよ、それ。お前の話が聞きたくてこっちは放課後に時間取ってんじゃねえ
かよ。さっさと言えよ」
「はい。じゃあ言わせてもらいます」
進介は智子の目を見て続ける。
「他人が真剣に描いた絵を笑うのはよくないことだとぼくは思います」
進介の意見は至極真っ当なものであった。
智子はその進介の真面目な意見に反論する。
「お前は本当につまんないやつだなあ」
「ともちゃん先生は他人の絵を見て笑ってもいいと思うんですか?」
「それは状況次第だろうがよ。今回の場合は描いた本人も笑ってたし、国木田は普
段からひょうきんなやつだし、笑いが取れて嬉しそうだったし――」
「本人が笑ってても内心では違うかもしれませんよね」
「それはまあ、そうだけど……。なんかお前の方が教師みたいだな」
智子は進介が思っていた以上に「つまんない」価値観をしていることに面倒臭さ
を感じ始めていた。
「国木田がどういう意図であの絵を描いたかは知らん。でも、ひょうきんな絵であ
ることは間違いないだろ? だから笑ったんだ。下手だとか馬鹿にして笑ったんで
はない」
「それは分からないじゃないですか」
「は? 私が馬鹿にしてないって言ってるんだから、馬鹿にしてはないだろうが」
「じゃなくて、蓮があの絵を『ひょうきんな絵』として描いたかどうかは分からな
いって言ってるんです」
「え? そうなの?」
智子は意表を突かれた思いであった。
「あの絵はひょうきんだろ。違う?」
「それは蓮次第です。蓮がどう思っているかです」
「……」
「蓮に聞くっていう方法もありますが、正直に思っていることを言ってくれるとは
限りません。もしかしたらこっちの顔色を窺って気を遣うかもしれないし。そうな
ると傷付いた蓮がさらに自分に嘘を吐くことになる。それは避けないといけません
よね」
「うん……。なんかお前、本当に教師みたいだな」
智子は進介の言うことに対して、ぐうの音も出なかった。
普段は仲のいい友達を相手にする時にしか口を開くことのない進介が、3月まで
担任だった赤瀬の情熱に冷めた態度を取る進介が、頭の中ではこんなことを考えて
いただなんて。
智子自身も4月に落雷を受けるまではこんな感じの人間だった気もするのだが、
半年経ってそれはもう遠い昔のことのような感じがするのであった……。




