168 全力で叫べ! そしたら助けにいってやる!
公園の縁石を跨ぎ舗装された道へ出た智子たちは家へ向けて歩を進める。
楓花と雫は笑顔で並んで歩いている。
楓花の母の法子はその横で遊び終わった花火の入ったバケツを手に歩調を合わせ
ている。
3人のうしろを智子と凛は腕を組み、震えながら付いていった。
前の3人は法子が話した怪談などもう忘れてしまったかのように陽気であるが、
うしろの2人はそれどころではない。
怪談もそうだが、「どうして楓花の母は花火大会なのに怖い話をしてきたのか」
という不可解さに2人は納得がいかなかった。
「お前、震えてるだろ……」
「ともちゃん先生だって震えてるじゃないですか……」
ビビりの2人はお互いにしか聞こえないほどの小さな声で、相手のことをいじり
合っている。
「お前、そんなんで夜トイレとか行けんのかよ。まさか、お母さんに付いていって
もらってるんじゃないだろうな」
「それは、ともちゃん先生でしょ。私は家のトイレくらい1人で行けます」
「私だってトイレくらい1人で行けるし。それに頭だって目を瞑って洗えるし。お
前、1人でシャンプーできるのかよ」
「お風呂は、お母さんと入ってもらう……」
「そうかよ。まあ、私も小学生の時はお母さんと一緒に入ってたけど」
最後はなぜか凛をフォローする智子。
なんだかんだでお互い依存し合っているのである。
しばらく歩くと法子は立ち止まり、智子に向けて言った。
「湊川先生、私たちはこっちですので。雫ちゃんを家まで送ってから帰りますから
凛ちゃんの方はお願いしますね」
「「ともちゃん先生、さようならー!」」
別れの挨拶をした3人は楽しそうな声を上げながら振り返らずに去っていく。
法子らの家は三叉路の左の道、智子らの家は右の道の先にある。
てっきり自分たちも法子に家まで送ってもらえると思い込んでいた智子と凛は、
小さくなった3人の背中を絶望的な顔で見つめた。
「ど、どうするんですか、ともちゃん先生……」
「どうするって、帰るしかないだろ……」
今にも泣き出しそうな凛。
智子も本当は凛と同じ気持ちなのだが、教師の意地が彼女を奮い立たせている。
「帰るぞ」
智子は勇気を出して一歩踏み出した。
時刻は午後8時過ぎ、立ち止まっていたらそこに座り込んで眠ってしまう恐れも
あった。
人通りのない住宅街には車の往来もなく野良猫すらいない。
「そういえば芦田って足速いよな」
「は?」
突然の問いに凛は驚いた。
「うちのクラスで1番速いのって誰だ? 市川か?」
「多分、北山くんです」
「ああそうか。確かにあいつ速いよな。で、その次が市川?」
「はい。私はその次か、その次です」
「クラスで3位か4位ということか。なるほどなあ」
智子が一体なにを考えているのかが分からなかったが、とりあえず凛は話を合わ
せた。
そうこうしているうちに智子と凛の家への分かれ道に差し掛かった。
そこから2人の家まではそれぞれ200メートルほどなので、2人の家は400
メートルほど離れていることになる。
凛は智子の右腕にしがみつき、潤んだ目で判断を待った。
「よし、まずは私の家に行く」
「……」
「どうした? 足が動いてないぞー」
「そのあと私はどうなるんですか?」
凛は当然、智子の家に到着したあとのことを聞く。
「今度は私の家に送ってくれるんですか?」
「それだと朝まで行ったり来たりになるだろうが」
「じゃあどうするんですか?」
智子は「やれやれ」という感じで溜め息を吐く。
「よく聞け、芦田」
「はい……」
「お前は足が速い」
「はい……」
「だから走って帰れ」
「えー……」
想像していたより100倍子供っぽい智子のアイデアに、凛は全身の力が抜ける
のを感じた。
「4月に計った50メートル走は何秒だった?」
「確か8秒とかです」
「なら100メートルは15秒くらいで走れるから、400メートルだと1分だ。
よかったな」
「よかったな……」
「1分くらいなら恐くても我慢できるだろ?」
「だったら、ともちゃん先生が我慢して走ればいいじゃないですか」
「私、この身体だぞ? この短い足でどうやってお前と同じ速さで走るんだよ。無
理だろ」
「でも……」
凛は言葉に詰まった。
そういう問題じゃないだろと思った。
気が付くと凛は智子の家に向かって歩を進め、あっという間に到着をした。
「ふぅ。やっぱ、我が家の灯りを見ると心が落ち着くな。芦田、お疲れさん。サン
キューな」
「……」
「おいどうした。腕を離してくれないと家に入れないんだが」
「ともちゃん先生のお母さんに送ってもらうことはできないんですか?」
「あのな、私の母親70過ぎてて腰が悪いんだよ。杖を突いて歩くけど、そんな人
間に送ってくれって頼める?」
さすがの凛もそれはできないと思った。
そうなると智子に送ってもらうしかないのだが……。
「なんでともちゃん先生が送ってくれないんですか! 私の方が生徒なのに! な
んで先生が生徒に送られてるんですか! おかしいです!」
「それはお前の方が足が速いからっていうことで解決しただろ?」
「解決はしてません!」
「というか、そもそもおばけとかいないと思わない? いても無視すりゃいいじゃ
ん。おばけを無視したって誰にも怒られはしないだろ? 同級生じゃないんだから
さ」
「おばけがいなくても悪い人がいるかもしれないじゃないですか! 私が人に襲わ
れたらどうするんですか!」
智子はたじろいだ。
凛の言い分は正論だと思った。
「だから全力で走って帰ればいいでしょ!」
「えー……」
智子は全力で言い返した。
なぜなら智子は正論が嫌いだから。
「襲われたら全力で叫べよ! そしたら助けにいってやるから!」
「そんなぁ……」
智子の逆切れとも言える暴論に凛は為す術がなかった。
「ともちゃん先生の馬鹿!!」
結局、凛は智子の家から自宅へ向けて車も人通りもない夜の道を全力で走った。
わずかに下り坂になっているためか、凛のその走りはいつもの10%増しの速度
であった。
街灯の下を全力で走る少女の姿を、「まるで映画のワンシーンのようだった」と
智子はのちに親しい友人に話すことになるのである。




