165 ぎりぎり
考古博物館の外には竪穴住居があり、生徒たちは順番に入っていく。
中はひんやりとしていて夏は涼しく、冬は暖かいという。
暖かいは言い過ぎだろうと心の中でつっこみつつ、生徒たちは外に出た。
博物館と竪穴住居、そしてその周りには芝生が敷き詰められており、青い空に緑
がよく映えている。
「そろそろ弁当の時間にしようと思う」
3組担任の佐久間が言うと生徒たちから笑みがこぼれた。
「食事場所として会議室を用意して頂いているんだが、今日は天気がいいので希望
する班は芝生の上で食べてもいいそうだ。どっちで食べるかは班ごとに話し合って
決めてくれ」
佐久間の言葉を受けて生徒たちは話し合いを始めた。
折角の機会なのだから外で食べればいいのにと智子などは思うのだが、ほとんど
の班が選んだのは会議室での食事であった。
「なんで外で食べないの? めったにない機会なのに」
「会議室は冷房が効いてるらしいですよ」
「知ってるよ。さっき使わせてもらったのも会議室だったろうが」
「外は暑いし日光が眩しいし、それに埃とかが舞ってるじゃないですか」
「お前らつまんねえ人生だな」
智子は思っていることをはっきりと言った。
生徒たちは、「なんでともちゃん先生にそんなこと言われなきゃならないんだ」
という不満気な顔をするものの、みんな智子のことが好きなのでついつい許してし
まう。
結局、外で昼食をとることにしたのは1組の2つの班だけで残りの生徒は全員冷
房の効いた会議室で弁当を食べることになった。
智子は校長とともに弁当箱を持って外に出る。
「ともちゃん先生も外ですか?」
「お前らの担任だからな。暑いけどしょうがないよな」
「本当は会議室で食べたかったの?」
「当たり前だ。誰が好き好んで臭い芝生のにおいを嗅ぎながら飯食うんだよ」
さっき会議室を選んだ生徒に対して、「お前らつまんねえ人生だな」と捨て台詞
を吐いた人間とは思えない言葉に生徒たちは唖然としながらも、「これがともちゃ
ん先生なんだよなあ……」と妙に納得をするのであった。
「そこの木陰で食べましょうか」
校長の提案により、智子と校長と生徒10名は大きな木の陰に腰を下ろし弁当を
開いた。
「やったぜ! 肉弁当!」
笑顔で叫んだのは健太である。
その声につられて周りの生徒たちが覗くと、サイズのおかしいアメリカ人のよう
な弁当箱にぎっしりと肉が詰まっていた。
「お肉の下にはごはんがあるの?」
心配になった凛が聞く。
「当たり前だろ! 肉にはごはんでしょ! 肉だけ食う馬鹿がどこにいますか!」
健太は太ってパンパンになった顔で叫んだ。
智子はその笑顔に憎たらしさを感じつつ反論する。
「欧米人は肉だけ食うだろ」
「え! 肉だけ!? ごはんは!?」
健太は動揺の色を隠せない。
「主食が米じゃない地域はごはんなんてめったに食わねえよ」
「嘘だろ……。じゃあ、牛丼できないじゃん……」
「牛丼はそんなワールドワイドな食いもんじゃねえよ」
智子はとどめを刺すように健太に言い放つ。
健太はショックを受けながらも食欲に勝つことなどできず、猛然と肉弁当をぱく
つき始めた。
智子は膝の上に水色の小さな弁当箱を乗せ、玉子焼きをもぐもぐしている。
「ともちゃん先生はお弁当自分で作ってるの?」
「いや、お母さんに作ってもらったよ」
「ふーん。私たちと一緒だね。ともちゃん先生も料理ができないんだ」
涼香の「料理ができない」という発言に智子はムッとした。
「料理くらいできるぞ。49年も生きてきたんだからな」
「じゃあなんでお弁当はお母さんに作ってもらったの? お母さんがお弁当係?」
「うちの家にそんな係ねえよ」
「じゃあなんで?」
食い下がってくる涼香を智子はちょっと疎ましく思い始めた。
自分が料理をしなくなった理由をどうして涼香なんかに言わなくちゃならないん
だと思った。
「ともちゃん先生は本当は玉子焼きも作れないんでしょ?」
そう言って無邪気に笑う涼香と周りのクラスメイトたち。
そんな彼女たちに智子は拗ねたような表情で言う。
「だって、流しが高くて上手くいかないんだもん……」
生徒たちはハッとした。
本当ならば自分が料理をしなければならないのに年老いた母親に負担を掛けてい
る智子の辛さを理解せずに笑った自分たちの過ちに気付いたのだ。
「そうだよな。俺でも流しってちょっと高いもんな」
「大人用なんだよね」
「そうそう。大人向けだから、最低でも140センチくらい身長がないと使いにく
いんだよ」
生徒たちは泣きそうな智子を必死でフォローした。
しかし智子の家の台所には教室と同じステンレス製の踏み台が設置されており、
実際は智子でも余裕で料理ができる環境であった。
智子が弁当を作らなかったのは「ぎりぎりまで寝ていたかった」というのが本当
の理由である。
ずる賢い智子は、「事実を隠して生徒たちからの評判を落とさない」ことにまん
まと成功したのであった。




