162 だってお前、偉そうなんだもん
9月も下旬になるというのに気温の高い日が続いている。
湿度が下がり蝉の鳴く声が聞こえなくなっていたので、「夏」という感じはしな
くなっているものの、長袖が必要になるのは当分先のことになりそうだ。
毎日行われている漢字テストが終了し、6年1組でも朝の会が始まっている。
「終わりの会でも改めて言うが、明日は着衣水泳がある。忘れないように着替え一
式を持ってくること!」
智子は大きな声で生徒たちに伝えた。
その態度、声色……智子がいつになく不機嫌である。
「着衣水泳は去年もやっているから、みんな分かってるな。分からない者は周りに
聞け! それか帰ってネットで調べろ!」
ここまで不機嫌だと授業にも支障が出る恐れがあるため、こういう場合は委員長
の真美が話を聞くというのが生徒たちの間では暗黙の了解となっていた。
「ともちゃん先生、着衣水泳に関してなにか問題でもあるのですか?」
智子は手元を睨みつけてなにも答えない。
「もしかしてともちゃん先生も私たちと一緒に着衣水泳の授業に参加するとか?」
冗談のつもりで言った真美の発言を聞いた瞬間、智子の表情がキッとなった。
それを見て生徒たちは全員、「ともちゃん先生も参加するんだ。だからあんなに
機嫌が悪いんだ……」と気が付いた。
「なんで、ともちゃん先生も参加することになったんですか?」
「知らねえよ! 校長に聞け!」
生徒たちは「校長先生に言われて参加することになったんだ……」と思った。
「それは、ともちゃん先生が川なんかで溺れた時のためじゃないですか?」
「なんで教師の私が生徒たちと一緒にプールなんかに入らなきゃいけないの! そ
んなの溺れなきゃいいだけでしょ!」
「それ言ったら私たちだって溺れなきゃいいじゃないですか」
「お前らは溺れるでしょ! 子供なんだから!」
生徒たちは、見た目が自分たちよりも子供な智子に子供扱いされ、ちょっとだけ
納得がいかなかった。
「ともちゃん先生も今は子供ですよね?」
「大人だろうが! 立派に教鞭を執ってるんだぞ!」
生徒たちは、「立派なのか?」と首を傾げた。
「川とか海で溺れる可能性は誰にだってありますから、絶対にやっておいた方がい
いですよ」
「だったら他の先生もやるべきでしょ! なんで私だけなの!」
「他の先生よりも危なっかしいからじゃないですか?」
「なんで!? 私のどこが危なっかしいって言うの!?」
「ともちゃん先生の好奇心って私たちと比べても大きいですよね? もしも河原で
亀がひなたぼっこをしてたとしたら、近付かずにいられますか?」
「……」
「漁港の足元に魚がいるのを見付けた時、身を乗り出して見ずにいられますか?」
「……水の中に落ちなきゃいいだけじゃん」
「誰も落ちようと思って落ちるわけではありませんから、落ちた時のために訓練が
必要なんです。そもそも、それが我慢できるかどうかが分かれ目なんです。我慢で
きないともちゃん先生は私たちと同じ側の人間ですから、校長先生の指示通りに着
衣水泳の授業を受けてください」
智子はぐうの音も出なかった。
そんな今の状況が憎かった。
いつもは誰よりも頼りになる真美のことが憎くてしょうがなかった。
智子の頭の中は、ここからどうやって真美にぎゃふんと言わせるかだけになって
いた。
そして智子の頭の中には1つのアイデアが浮かび上がった。
「分かった」
「分かってくれましたか」
「じゃあ今日の授業は全部、私に代わって市川がやれ」
「は?」
智子の突飛な発言に真美は素っ頓狂な声を出す。
「なんで私が……」
「だってお前、偉そうなんだもん。だったら代わりに授業しろよな」
「なんでそうなるんですか……」
「生徒が教師以上に偉そうにしてんじゃねえよ!」
「えー……」
「できるでしょ! 授業できるでしょ!」
「できませんよ。私まだ12才ですよ」
「できないんだね!」
「はい、できません」
「じゃあ、謝って!」
「えー……」
「私にちゃんと謝って!」
智子は真美に誠意のある謝罪を要求した。
それは今流行りの「カスタマーハラスメント」そのものであった。
真美はこのあと不本意ながらも智子に謝るのであるが、その理不尽さもこのクラ
スのいいところ――なのかもしれない。




