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154/216

154 2人が分かり合える日は永遠に来ない

 昼過ぎから空が厚い雲で覆われ始めた。

 

 午前中は明るかった教室が一転、人工的な灯りが必要なほどの薄暗さになってい

た。


 給食の時間、生徒たちは食べたり話したり、せっせと口を動かしている。

 

 料理の香りが漂う賑やかな室内で椅子を引く音が響いた。

 立ち上がった健太はなにも持たずに教室前方へと歩いていく。

 これまで健太が食べ終える前に席を立ったのは、100%おかわりが目的であっ

た。

 この日のおかずはポークシチュー、器なしにおかわりするのは不可能である。


「おい田中、おかわりするなら器を持っていけよ。まさか素手で食うつもりじゃな

いだろうな。汚いからやめろよ」


 智子は健太に助言をする。

 健太はそんな智子の声を無視して前に出ると、おかずの入った食缶の横を通り抜

け、扉の前で立ち止まり振り返った。


「田中健太、これより係の仕事を行いたいと思います!」


 大きな声でそう言った健太はスイッチに指をかけ、そして押した。


 6年1組の教室を電気の灯りが照らす。

 いつもと変わらない光なのに、生徒たちはなぜか笑顔になった。


「任務完了!」


 そう言うと健太は席に戻り、残りのポークシチューをがっつき始めた。



 2学期の係決めの結果、健太は「電気係」に就任していた。


 電気係、それは適切なタイミングで電気のスイッチを押すだけの係である。

 その仕事のほとんどが体育や移動教室の時に電気を消すことであるが、たまに点

けることもあり、その時に健太は毎回自分がヒーローになったかのような大袈裟な

演出を行っていた。


 

 掲示係、保健係、新聞係……数ある係の中で電気係は断トツで1番人気の係であ

ることに智子は驚いていた。

 1学期もそして2学期も、クラスの半分近い11名が立候補をし、じゃんけんの

結果、健太と春馬が2学期の電気係の座を射止めていた。

 

「なんでお前ら電気係なんかやりたがるんだよ」

「楽だからです」


 智子の問いに朝陽はそう答えた。

 それは智子を納得させるのに十分であった。

 智子も面倒なことは極力避けたい性質の持ち主であったため、朝陽の言い分は腑

に落ちるものであった。


 

 それがここ数日の健太の仕事ぶりを見て智子はある疑問を感じ始めていた。


(あいつ、楽しんで電気係をやってないか?)


 健太が電気を点ける時、必ず彼は大はしゃぎをしてクラスメイトにアピールをし

ている。

 健太が電気を消す時、必ず彼はにんまり微笑んでいる。


(電気を点けたり消したりするだけでどうしてテンションがあがるだ?)


 智子は混乱した。

 生徒たちが電気係に殺到したのは、それが楽な仕事だからではないのか?

 少なくとももう1人の春馬はそんな感じである。

 係が決まって以降、智子は春馬が電気を点けたり消したりするのを見たことがな

かった。

 彼は仕事を全て健太にやらせていた。

 もしも春馬も電気係を楽しんでいたのなら、健太と交代でその仕事を行っている

はず。

 そうなっていないのは、春馬はその仕事に興味がないからであろう。


 智子はそんな春馬に共感する。

 仕事なんて無い方がいいに決まっているじゃないか。


(なんで田中はあんなにもノリノリなんだ?)


 仕事が終わった健太はもうそんなことは忘れ、目の前の食べ物に集中している。


 気になって仕方がない智子の食欲は減退し、頭の中は健太に理由を聞くことだけ

になっていた。



 涼香に続く2番目に食事を終えた健太は食器を戻しに前へとやってきた。


 智子はタイミングを見計らい声をかける。


「おい田中」

「ん? なに?」

「ちょっと、こっち来い」


 健太を自分の机の近くに呼んだ智子は疑問を正直にぶつける。


「電気係は楽しいか?」

「うん。1学期はじゃんけんに負けてできなかったけど、2学期は奇跡の3連勝し

たからね。憧れの電気係だから」

「……お前は電気係に憧れてたのか?」

「うん! ずっとやりたかったけどできなかったんだ。中学生になる前にできて本

当に良かった!」


 興奮する健太の様子に智子と他の生徒たちは訳が分からなかった。

 それまで賑やかだった教室が健太のせいで静まり返る。

 生徒たちも智子同様に健太が電気係に憧れていた理由を知りたくて、聞き耳を立

てていた。


「あっ! もしかしてともちゃん先生、俺から電気係を奪うつもりじゃないだろう

な! 渡さないからな! 絶対に渡さないぞ! 俺の電気係!」


(そんなもんいらねえよ……)


 智子は呆れて声が出なかった。

 なんで教師が電気係なんかやらなきゃいけないんだよ……と思った。 


「私はいいから、電気係は今後も明石と2人でやってくれ」

「本当だな! 嘘吐いたら許さないからな!」

「そんなしょうもない嘘は吐かないよ。それよりも電気係ってなにがそんなにいい

の? なにがお前をそんなにも惹きつけるの?」


 智子の核心を突く質問に健太は真顔で答える。


「スイッチを押したいからだけど?」


 健太の口から出た意外な言葉に生徒たちから驚きの声が漏れた。 


「えっ、なんで? みんなも押したいだろ? スイッチ」


 今年の春休み、滝小学校では照明が全てLEDに交換されており、その際に一部の

教室ではスイッチも取り替えられていた。

 その新しいスイッチは従来のものではなく、「ワイドスイッチ」と呼ばれる大き

いものであった。

 健太が押したいと言ったスイッチとは、そのワイドスイッチのことであった。


「俺んちのスイッチこんな大きくないし、去年の教室もこんなじゃなかった。これ

すげえよな。押すと『パタッ』っていうんだぜ。あれ? みんなどうしたの? み

んなも押したいだろ? でっかいスイッチ」


 生徒たちは健太の言葉のあまりの馬鹿馬鹿しさに言葉が出ない。

 智子が質問を続ける。


「スイッチが大きいとどうして押したくなるの?」

「どうしてってなんだよー!」


 智子の問いに健太は大爆笑した。

 大きいことは良いことだという価値観の中で育った健太には、智子の質問の意味

を理解することは不可能であったのだ。 



 健太が電気係を喜んでやっている理由は、「でっかいスイッチを押せるから」で

あった。


 そのことを疑問視する智子とは話が噛み合うことすらない。

  

 同じ国に生まれ、同じ文化の中で育ち、同じ言語を話している……しかし、その

2人が分かり合える日は永遠に来ない。

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