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147 半紙が足りなかっただけ

 教室に墨の香りが漂っている。


 今日の5時間目は週に1度の習字の授業だ。


 今日の課題は「地球」。


 生徒たちはひたすら自分たちの住む惑星の名前を白い紙に書き続けた。



 最初のうちは静かに集中して半紙に向かっていた生徒たちも15分もすると話を

始め、さらに15分後には席を立って仲のいい友達の所へ移動している。


 智子はそんな賑やかな教室で1人黙々と生徒たちから受け取った夏休みの宿題の

添削作業をしていた。 



「ともちゃん先生、できたら提出してもいいですか?」


 習字が得意な真美の手には、お手本通りに「地球」と書かれた半紙が握られてい

る。 


「ああ、教卓の上に置いといて。あとは自由時間だから遊んでていいよ」

「遊んでていいんですか?」

「ん? いいじゃん、遊んでれば」

「はい……」


 まだ授業中にもかかわらず「遊んでいい」という智子の発言に真美は引っ掛かっ

た。


「なに? 遊ぶの嫌い?」

「いえ、嫌いではないですけど。まだ授業中なので、どうかなと思っただけです」

「市川ってそんな真面目っ子だったの? 子供なんだから無邪気でいいんだぞ」

「去年の習字の授業とあまりにもかけ離れてるんで驚いてるんです」

「去年の担任は誰だっけ」

「赤瀬先生です」

「ああ、赤瀬先生か。でも、習字の授業でそんなに違うことってある?」


 智子の疑問に真美は赤瀬学級での自らの体験を語り始めた――  

 


「全員、持ってきた半紙は机の中にしまいなさい」


 授業開始とともに発せられた赤瀬の言葉に生徒たちは戸惑った。

 習字の授業なのに半紙を使わないとはどういうことか、想像もつかなかった。 


「それぞれが持っている半紙の枚数にはばらつきがあるはずだ。裕福な家の者は多

いかもしれない。それだと不公平になるので、全員に同じ枚数の半紙を俺がこれか

ら配る。1人5枚、それ以上は書いてはならない」



「え? 5枚しか書いちゃ駄目なの?」


 智子は驚いて目を丸くする。


「はい。赤瀬先生の授業では毎回5枚でした」

「習字って書いた枚数だけ上達すると思うんだけど……」

「私もそう思いますけど、赤瀬先生は5枚しか書かせてくれなかったんです」


 智子は腕を組み、首を捻る。


「なんでだ?」

「赤瀬先生にとって学校の習字の授業は採点のためのものなので公平に行うのが重

要だったんだと思います」 

「小学校の通知表の採点なんてそんなに気になるものか? 適当でいいんじゃない

の?」

「いや、適当は困りますけど……」


 智子の反応に困惑しつつも真美は話を続ける。



 習字の授業で生徒が話を始めるのは珍しいことではない。

 字の美しさに個人差があるように書く速度にも当然違いがあるので、早く終わっ

た者は暇潰しに近くの席の友達と話を始める。

 それ以外にも、周りに相談したり書くたびに感想を言いたい者もいる。

 小学校の習字の授業とはそういう賑やかな環境で行われるのが定番である。


 しかし、赤瀬は決してそれを許さなかった。


「習字というのは精神統一をして行われるものだ。しゃべりながら行うものではな

い。自分が書き終わっていても、周りにまだ終わっていない者がいた場合は邪魔を

しないように。全員が書き終わるまで、一言も言葉を発してはならない。以上」



「だから赤瀬先生の習字の授業では黙々と字を書いて終わるんです」

「習字の時間だから、別にそれでいいんだけどなあ……」


 智子はなぜか赤瀬のやり方に納得ができなかった。

 習字の授業で生徒が皆、真面目に書写しているのだから問題はないはずだ。

 なのにどうしてこうも腑に落ちないのであろうか。


「そのやり方でみんなは楽しかったの?」

「楽しくはないです。でも授業ですから」

「そうなんだよなあ……。授業が楽しくなくちゃならないっていうことはないんだ

よなあ」


 考え込む智子の横で、真美はあることを思い出した。


「そういえば、高平くんが赤瀬先生になにか言いにいったことがあった……」

「高平が? 習字の授業中に?」

「はい。隣の席だったんで、なにを言いにいったか聞きたかったんですけど、私語

厳禁だったんで聞けなかったんです」

「おい、高平! ちょっと来い!」


 智子は大声で進介を呼び付けた。


 朝陽たちと遊んでいた進介は突然のことに驚き、不安気な表情で智子の元へと歩

み寄った。


「なんですか、ともちゃん先生」

「お前、去年の習字の授業中に赤瀬先生になにか言いにいったことがあったそうだ

な?」

「は? 習字の授業中?」


 進介はピンときておらず、言葉に詰まる。


「ほら、私が隣の席で多分2学期だと思うけど……」

「……半紙のやつ?」

「ん? 半紙?」


 進介の口から出たのは、「半紙」というキーワードであった。


「半紙がどうした?」

「赤瀬先生ってみんなに半紙を配ってたんですけど、ぼくだけ2枚少なかったんで

す。だから勇気を出してもらいにいきました」

「……それだけ?」

「それだけですけど、なにか?」

「赤瀬先生の授業に意見を言いにいったんじゃないの?」

「ぼくが? ともちゃん先生はぼくが授業中に意見を言うような人間だと思ってる

んですか? しかも赤瀬先生に?」

「いや、そんなこと堂々と言われても……」



 進介が赤瀬に意見を述べたのではないかという期待は一瞬にして崩れ去った。 


 よく考えてみれば、それは進介の普段の言動から容易に想像できそうなものなの

だが、この時はちょっとだけ進介の「男らしさ」に期待をしてしまった智子と真美

なのであった。

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