145 智子抱っこ写真
進介が登校すると教室の前には人だかりができていた。
そこには1組だけでなく2組と3組の生徒も集まっており、みんな揃って笑顔で
ある。
教室に入った進介は教科書などの勉強道具を机の中に入れると、ランドセルを教
室後方の棚にしまい、廊下へと出た。
廊下の壁には昨日智子が言っていた通り、林間学校の写真が貼り出されていた。
そこに写るのは懐かしい風景。
カメラを意識してピースをする男子たち。
カメラに気付かず地図を見る女子たち。
肝試しの途中にはしゃぐ男子と怯えた表情の女子。
たった4週間前のことなのに、それらの記憶は今日とは地続きではない遠い所に
あるような気がする――そう思いながら進介は写真を眺めた。
生徒たちが盛り上がっていたのはもちろん、眠っている智子が女子たちに抱っこ
をされている写真である。
その5枚の写真は最も見えにくい1番下の左端に貼られていた。
それは智子なりのささやかな抵抗なのだった。
滝小学校では写真の販売は5,6年生に限られており、進介は昨年は自分が写っ
ているものだけを購入した。
中には自分がいなくても、好きな人が写っている写真を購入する者もいたが、進
介にはそんなことをする勇気はなかった。
ほとんどの生徒と同じく、他人に見られても恥ずかしくない自分が写ったものだ
けを手に入れていた。
(ともちゃん先生が抱っこされてる写真、欲しいなあ……)
進介は素直にそう思った。
しかし、その番号を購入希望に書くのは躊躇われた。
番号を書いた写真は焼き増しされ、後日担任から生徒に手渡される。
つまり、担任は生徒がどの写真を購入したかを全て把握することになる。
もし自分が智子の抱っこされている写真を購入したら、間違いなく手渡しされる
時に睨まれ、嫌味を言われる……それは進介でなくても容易に想像のつく話であっ
た。
隣で女子たちは、「買う! 私5枚全部買う!」と無邪気に騒いでいる。
(いいなあ。ぼくも勢いで買っちゃおうかなあ……)
進介はあと一歩が踏み出せずに、左下の写真を眺めていた。
すると――
「俺、買ったよ。ともちゃん先生が抱っこされてる写真」
一気に男子の注目を集めたその声の主は拓海であった。
「買った?」
「うん。だって欲しいから」
拓海といえば、「ムカつくやつはとりあえず殴る」で有名だが、ここでも思い切
りのよさは遺憾なく発揮されたようだ。
「お前らも欲しいなら買えばいいじゃん」
拓海のこの言葉は、それまでうじうじしていた男子たちに勇気を与えた。
男子たちは堰を切ったように、「智子抱っこ写真」の番号を用紙に書き始めた。
「俺も買ったよ。進介も1枚くらい買えば?」
「うん」
親友の颯介に背中を押してもらい、進介は真美が智子を抱っこしている写真の番
号を購入希望用紙に書き加えた。
「もうとっくにチャイム鳴ってるぞ!」
生徒たちが振り向くと智子が鬼の形相で立っていた。
「なんで1組以外のやつまでいるんだよ!」
智子は2組3組の生徒たちを蹴散らした。
「全員さっさと教室に入れ!」
智子は今日は朝から不機嫌である。
正確には、写真を貼り出す準備をしていた昨日の放課後からずっとだ。
1週間後、生徒たちに写真を配る時にもう1度不機嫌になるのだが、それはまた
別の話。