表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

132/217

132 人類発祥の地、奈良

 夏休み最後の土日が今年は30日と31日だった。


 多くの児童が宿題に追われ、目の前に迫った9月1日に吐き気を覚えている頃、

滝小学校6年男子5名と教師1名は宇部先輩の父の運転する車で奈良県に向かって

いた。


「お昼ごはんも施設でいただけるんですか?」


 2列目シートの中央に座った智子は運転席でハンドルを握る宇部靖男に聞いた。


「ええ。明日の昼ごはんまでの4食付きですよ」

「1泊4食付きで3千円か。激安ですね」

「営利事業じゃないからね」


 靖男は声を上げて笑った。


 

 智子たちは靖男の入信している奈良教の施設へ1泊2日の旅行に行くところだ。

 

 智子は宇部先輩も一緒なのかと思ったが、中学生の先輩は部活で忙しいらしく、

今年の夏は後輩たちだけが行くことになっていた。


「去年は宇部先輩も一緒だったの?」

「うん。でも、今年は野球部が忙しくて無理だってさ」

「そうか。中学になると一気に生活が変わってくるからなあ。お前らも今年のうち

に目一杯遊んでおけよ」


 智子は来年から偏差値教育の始まる教え子たちにアドバイスを送った。



「ともちゃん先生、寝ちゃったなあ」


 智子は林間学校での経験を元に車に乗り込む前に酔い止め薬を飲んだため、走り

出して30分もしないうちに完全に意識を失っていた。


 夏休み最後の土日ということもあってか高速道路は渋滞し、智子たちを乗せた車

もなかなか前に進まない。



 車は料金所に差し掛かった。


「あれ……。あれって高平じゃねえか!?」


 朝陽の指差す先には黒の高級外車があり、運転席にはタイガースのレギュラー選

手である高平光司がハンドルを握っていた。


「高平だ!」

「ほんとだ! 高平だ!」


 ついさっきまでは眠たそうにしていた生徒たちの目が一気に覚める。


「ともちゃん先生! 高平だよ! 高平が運転してる!」


 隣に座る陸斗が声をかけるが智子は一切目を覚まさない。


「あー! 行っちゃう! 高平行っちゃう! ともちゃん先生!」


 陸斗は必死に智子の肩を揺さぶるが、智子の口が開いただけで目を覚ます気配は

一切ない。


 そのまま高平選手の運転する車は料金所を抜け走り去った。



 高平選手の車を見送ったあと、車内では緊急会議が開かれていた。


 議題は「ともちゃん先生が目を覚ましたら高平選手の運転する車を見たことを伝

えるべきか否か」である。


 伝える派の意見は「ともちゃん先生にも自分たちの味わった感動を伝え共有した

い」「ともちゃん先生がどんな反応をするのか見てみたい」などであった。


 一方、伝えるべきではない派の意見は「絶対に拗ねる」「どうして起こしてくれ

なかったんだと怒る」「嘘吐き呼ばわりしてくる」「高平選手に逆切れする」など

であり、いずれにしても言っても誰も得をしないから言うべきではないというもの

だった。


 特に高平選手と同じ姓を持つ進介は伝えることに猛反対であった。


「絶対にぼくに火の粉が降りかかるから。絶対だから」


 智子のクラスの生徒は春から彼女の理不尽さに振り回されてきた。


 せめて夏休みの最後の休日くらいはそんなことから解放されたいというのが進介

の願いであった。


 話し合いの結果、「伝えない」ということになり進介は胸を撫で下ろした。


「拗ねるとか逆切れするとか本当にそんなことあるの?」

「賢一は3組だから信じられないだろうけど、本当にあるんだよ。ともちゃん先生

は知能は大人だけど、中身は子供以下だから」

「そうなの? 子供以下なの? じゃあなんなの?」


 賢一は智子のそんな姿をちょっと見てみたいと思った。 



 3時間を超える旅の末、7人は奈良教の施設に到着した。


「ともちゃん先生、着いたけど」

「あ……ああ……」


 薬の効きやすい体質の智子であるが、さすがに3時間も寝れば目が覚めるらしく

自分の足で降車し奈良の地を踏んだ。


「ここが奈良教の総本山? 随分と車が多いな」

「駐車場だからですよ」


 まだ薬の抜け切れていない智子に進介は冷たくつっこんだ。


「お前は相変わらず心のないゾンビ野郎だな。脳味噌食う時は自分のを食えよ」

「え? 脳味噌?」

「ゾンビといえば脳味噌だろうが。お前ら世代は、『バタリアン』も観てないのか

よ」

「え? バタリアン?」

「もういいよ。全く……」


 智子と進介が噛み合わない会話をしていると駐車を終えた靖男がやってきた。


「私はこれから手続きをしてくるから、みんなはあっちの広場で椅子に座って話を

聞いていてくれるかな」


 智子ら6人は言われた通りに広場へ移動すると、そこには100を超える数のパ

イプ椅子が並べられ、3割ほどが埋まっていた。


 智子たちは中央付近の椅子に2列になって3人ずつ座った。


 前方には舞台があり、その背後には山と空しか見えない。

 智子はそれらを見て、この国の宗教が自然と密接に関係していることを表した素

晴らしい装置だと感心した。



 舞台ではマイクを持った女性がなにやら話をしている。

 どうやら、「奈良は人類発祥の地であり、みなさんは今日ここに帰ってきた」と

いう内容のようだ。


(奈良が人類発祥の地かあ。随分と思い切ったことを言うなあ……) 


 奈良が人類発祥の地というのは一般的な教科書には載っていない。 

 智子は生徒たちがこの話をどう受け止めているのかが気になり、隣の席の進介に

聞いてみることにした。


「なあ、この話って去年と同じ?」

「同じですね。単純な話の繰り返しなので覚えてます」

「奈良が人類発祥の地って言ってるけど、どう思う?」


 智子の質問に進介は少し考え、そして答える。


「アフリカの人が聞いたら笑いながら踊りだすでしょうね」

「ちょっ……」


 進介の答に智子は吹き出した。


「なんで踊りだすんだよ! お前のアフリカ人のイメージどうなってんだよ!」

「でも、人類発祥の地ってアフリカですよね?」

「じゃなくて、なんでアフリカ人が踊りだすのかって聞いてんだよ!」

「アフリカ人って意味なく踊りだすじゃないですか? あれ? ブラジル人だった

かな?」

「どっちもだよ!」



 進介の本気なのか冗談なのか分からない発言に、智子も最後は雑なつっこみをし

てしまった。


 進介がどう思っていたとしても、奈良が人類発祥の地だったとしても、もうどう

でもいいやと思う智子なのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ