131 スーパーボール
「智子、昼過ぎに竹田の叔母さんがお盆のお参りに来てくれるけど、あんたどうす
るの?」
智子の亡父は湊川家の長男であったため、家には祖父母や先祖の位牌が並んだ仏
壇がある。
智子の叔母の竹田恵子は毎年盆と正月にお供えのカステラを持ってお参りに訪れ
ており、1時間ほど前に「昼過ぎに行く」という電話があったのだ。
「どうって、どうせいつもみたいに会って数分話をするだけでしょ?」
「あんたが春からそうなってること言ってないけど、言うの?」
「そうなってる……あ! ちっちゃくなってること言ってないのか!」
智子は4か月前の4月下旬、落雷を受けて身体が小さくなってしまっていた。
そしてそのことは、騒ぎが大きくなることを避けるために親戚にも黙っているの
だった。
「あんたがいいなら言っても別にいいけど、どうするの? 言う?」
「うーん……。面倒臭いなあ」
「でもどうせ、生徒さんから広まってるんじゃないの?」
「最初のうちは、『これ俺の担任なんだ』って画像を見せて言いふらすやつもいた
らしいんだけど、そんなの本気にしてもらえないから最近は誰も言わなくなってる
らしいのよ」
「おそらく恵子さんも混乱するだろうし、分かってもらえたとしてもすぐにとはい
かないでしょうね」
「でしょ? だから言わない。ピンポン鳴ったら2階に避難する」
いずれ突然元の姿に戻ると信じている智子は、親戚には最後まで隠し通そうと決
めた。
昼過ぎ、約束通りの時間に恵子は現れた。
「こんにちは。幸子さん元気? 今年も暑いねえ」
素早く2階に避難した智子は1階から聞こえてくる音を黙って聞いていた。
和室の戸を開ける音と閉める音、お供えのカステラを紙袋から出す音とその紙袋
を畳む音……毎夏繰り返されるそれらの音を聞くと、智子は見えていなくても1階
でなにが起こっているのかが手に取るように分かった。
このあと叔母は線香に火を点け、仏壇に向かって手を合わせるのだ。
それらのことを想像しながら、智子は自分の部屋を見渡した。
智子は今の姿になって以降、2階にある自分の部屋にあまり来なくなっていた。
理由の1つは、「階段が大きすぎる」ことだった。
仕事で疲れて帰った智子にとって、前傾姿勢で両手をぺたぺたとつけながら上ら
なくてはならない家の階段は、少し気が重くなるものだった。
そしてもう1つの理由は、「恐怖」である。
平日、2階に上がるとすれば仕事終わりの夕方以降ということになるが、夕闇時
の廊下と誰もいない部屋の雰囲気が智子は恐かった。
さらに夜になると廊下の灯りを点けるスイッチの場所が高すぎて手が届きにくい
ため、智子にとっては廊下はもはやお化け屋敷に入るのと同じくらいの恐怖体験で
あり、2階の部屋に辿り着くなど至難の業となっていた。
できるだけ2階に来なくてもいいように、智子は春から少しずつ仕事に必要な道
具を1階に集めていき、「引越し」は1学期中に全て終えていた。
智子は1階の叔母にばれないように静かに押入れの戸を開けた。
そこにはアルバムなどとともに、「宝箱」と書かれた智子が両手でやっと持ち上
がるほどの大きな箱が置かれてあった。
それは智子が中学を卒業した時にそれまで集めた漫画やおもちゃを選別して入れ
たものであった。
智子は何年振りかも分からないくらい久しぶりにその箱を開けた。
箱の中には古い単行本数冊と買った記憶のない人形が入っていた。
てっきりお気に入りのぬいぐるみとボロボロになるまで何度も読み返した漫画が
入っているものだと思っていた智子は、それを見て少し困惑した。
どうやら15才の時の自分は好きな物ではなく、綺麗なものを優先して箱に入れ
たらしい。
そのことに気付いた時、智子はあの時の自分を叱りつけたい気分になった。
なんの思い入れもない「宝物」に落胆した智子は蓋を閉め箱を元の場所に戻した
――その時、見覚えのある丸い物体が智子の視界に飛び込んできた。
(スーパーボールだ!)
押入れの隅に転がっていたそれは智子が幼稚園の頃に大切にしていた黄色いスー
パーボールであった。
智子は四つん這いで押入れに身体ごと入ると目当ての物を手に取り、押入れの壁
に背中を当てて座った。
(これって元々はお兄ちゃんの物だったんだよなあ……)
黄色いスーパーボールを手の中に収めた瞬間、それまで記憶の奥底に沈んでいた
忘れられていた古い思い出が目の前に浮かんできた。
智子が5才の時、当時小学生だった兄の一樹が駄菓子屋でスーパーボールを買っ
てきた。
丸くて小さいそれは見たことのない跳ね方をし、智子は一目見て心を奪われた。
翌日、智子も母におねだりをしてスーパーボールを買ってもらったのだが、家の
前の道で遊んでいたところ溝の中に落としてしまい、あっという間に紛失をしてし
まった。
智子が部屋で泣いていると、小学校から帰宅した一樹は母から訳を聞き、それま
では触らせてもくれなかった黄色いスーパーボールを智子に譲ってくれた。
(あの時は本当に嬉しかったなあ。お兄ちゃんの持ってるおもちゃはウルトラマン
のソフビ人形も鉄道模型も全く興味が湧かなかったけど、これだけは違ったんだよ
なあ。あれ以来、なくさないように外では使わなくなったし、そもそも家でもほと
んど使わずにお守りみたいに鞄の中に入れっぱなしにしてたんだっけ……)
智子はお守り代わりにしていたスーパーボールを握りしめたまま目を瞑った。
そしてそのまま遠い記憶の彼方へと旅をするように眠りに落ちたのだった……。
恵子が帰ってからもなかなか智子が1階に下りてこないので、幸子は様子を見に
2階へと上がった。
「智子……。あれ? いない?」
部屋に入った幸子は押入れの戸が開いていることに気付くと、しゃがんで中を見
た。
「智子。寝てるの? 智子――しょうがない」
四つん這いになった幸子は上半身を押入れの中に入れ智子の身体に触れた。
「智子?」
智子の身体が力なく倒れそうになるのを幸子は慌てて支え、外に出した。
「智子、あんた……熱中症!?」
智子の顔は赤らみ、薄目を開けている。
「ぅう……」
「なんでこんなところで寝てるの!」
「スーパーボールが私を守ってくれる……」
「スーパーボールにそんな力はありません!」
智子は幸子の呼んだ救急車に乗り病院へと運ばれた。
幸い軽症だったためその日のうちに帰宅できたのだが、「まさかスーパーボール
のせいで自分が死にそうな目に遭うとは……」そう思う智子なのであった。




