130 奈良教
2泊3日の林間学校が終わり、翌日の金曜日は休日になっていた。
丸2日以上も生徒たちと行動を共にしていたため、しばらくは子供の甲高い声は
聞かなくてもいいかなと思い、智子は家でごろごろしている。
「智子、ちょっとスーパーに行って納豆2パック買ってきて」
夕方、リビングのソファに左足を乗せながら床に寝転んでいた智子に、母の幸子
は言った。
「……」
「智子? 寝てる?」
「起きてるけど……」
「じゃあ、聞こえてるでしょ? 納豆2パック。晩ごはんまでに買ってきて」
「私、別に納豆いらないけど……」
「お母さんが健康のために毎日食べてるの。買ってきて」
「……」
「どうしたの? 体調悪いの?」
「悪くはないけど、外には出たくないかな……」
智子は電源を落としたスマホを机の上に置き、ソファに座った。
「昨日までの林間学校で体力使ったから?」
「いや、林間学校中は毎日昼寝してたから睡眠時間はばっちりだったんだ」
「毎日昼寝させてもらってたの?」
「うん。校長先生と保健の先生の判断で初日は昼前に、2日目はオリエンテーリン
グ中の森の中でたっぷりと寝させてもらったから、全くしんどくはない」
「じゃあ行けるよね、納豆」
「うーん……。しんどくはないけど、生徒と会いたくないんだよなあ」
伸びをしながら、智子は本当に嫌だという顔をする。
「教師がそんなことを言っちゃ駄目でしょ」
幸子はたしなめるが智子はだるそうに欠伸をしている。
「子供っていうのは有名人と同じでね、たまに会うからいいんだよ。ずっと一緒に
いるとただの人になるから」
「よく分からないこと言ってないで、おつかい頼んだよ。納豆2パックね。どこの
メーカーのでもいいから」
結局幸子に押し切られ、智子は渋々外に出た。
「家が滝小の校区内にあるのがいけないんだよ。絶対誰かに会っちゃうんだよ」
智子はぶつぶつ言いながら駅前のスーパーに辿り着いた。
「あっ、ともちゃん先生」
智子に声をかけたのは朝陽だった。
もちろん智子はその声に気付いていたが、無視をして入り口に向かう。
「ちょっと、ちょっと。ともちゃん先生?」
朝陽は明らかに無視をされたことに戸惑いつつ、一緒にいた陸斗と進介とともに
智子を囲んだ。
「なんだよ、もう夕方なんだから家に帰れよ。というかお前ら、今日も外で遊んで
るのかよ。どんな体力してるんだよ」
「それは、ともちゃん先生も同じだろ?」
「私は買い物に来たんだよ。生きるために必要なことなんだよ!」
「なんで急に怒った?」
いつもに増して情緒不安定な智子に3人は改めて戸惑いの表情を見せる。
「そうだ。宇部先輩のやつにともちゃん先生も誘ってみようよ」
「おっ、いいね!」
陸斗の提案に残りの2人が同意し頷く。
「なんだよ、宇部先輩って。私そんなやつ知らないぞ?」
初めて聞く名前に智子は警戒する。
そんな智子に朝陽は説明をする。
「宇部先輩っていうのは俺たちの少年野球の先輩で今は中1です。俺たち去年、
宇部先輩に誘われて奈良教の施設に泊まりにいったんですけど、今年も誘われた
んですよ。それがあと1人行けるんですけど、ともちゃん先生どうですか?」
「なにそれ……」
「夏休み最後の土日に1泊2日で奈良教の施設に泊まって遊ぶの。最初にちょっ
とだけ変な話を聞かされるけど、あとはずっと遊ぶだけ。費用は3千円」
「……」
智子は考えた。
奈良教といえば、奈良県に本部を置く仏教系の宗教団体でその知名度は全国レ
ベルである。
おそらく宇部家はその信徒で、布教活動の一環として夏休みに子供たちを招待
しているのだろう。
果たしてそこに教師の自分が参加してもいいものであろうか。
そもそも、教師の自分が生徒からのこのような誘いに乗ってもいいものであろ
うか。
「ちょっと、電話してくる……」
智子はそう言うと朝陽たちから離れ、スマホで幸子に連絡をした。
「もしもし、お母さん? ちょっと相談があるんだけどさあ――違う、納豆のこ
とじゃない。今、店の前で男子生徒に会ったんだけど、奈良教のお泊りに誘われ
たんだけど――違う違う、奈良教に誘われたんじゃなくて、お泊り――泊まって
話をちょっと聞いて、あとはずっと遊ぶんだって。どう思う?」
智子が母親に相談をする姿を離れた場所で見守る3人。
「ともちゃん先生、お母さんに相談してるよな」
「うん。『もしもし、お母さん』って言ってた」
「親に相談するのは大切なことだけど、先生がそれをやってるのを見ると不思議
な気持ちになるな」
3人は改めて自分たちの担任は子供なんだなあと思い知った。
「分かった、そうしてみる。ありがとう、お母さん」
智子は幸子との通話を終え、朝陽たちの元へと戻った。
「答えたくないのならいいんだけど、ちなみに3人の家は奈良教っていうことな
の?」
「え? うちは違うけど」
「うちも」
「うちもです」
「じゃあ、奈良教の人間じゃなくても行っていいんだな?」
「それは大丈夫ですよ。去年も入信しろとは言われませんでしたし」
「こっちに帰ったあと、電話とかかかってくる?」
3人は顔を見合わせ、そして首を傾げた。
「分かんないけど、親からそんな話は聞いてないから多分ないと思う」
「そうか。じゃあ、勉強の意味も込めて1回行ってみようかな」
「ほんと! じゃあ、宇部さんに伝えておく!」
「ちょっと待て。その宇部さんって、私のこと知ってる?」
「去年までは滝小だったから、知ってると思うけど……」
「それは落雷前だろ? 落雷後は?」
智子の身体が縮んだのは4月の落雷後のことであり、テレビや新聞でも一切報道
されていないため、卒業生にもその情報はほとんど漏れていない。
「宇部さんはお姉ちゃんがいるだけだから知らないかも」
「よし、じゃあ私が本当は大人であることは隠してくれ。近所の小学1年生ってこ
とにしよう」
「ともちゃん先生がそれでいいなら」
智子は夏の終わりに再び旅に出ることになった。
目的地は奈良県にある奈良教の総本山。
そこで智子は一体どんな発見をするのであろうか。
もしかして心と身体が元に戻る不思議な力を授かるのであろうか。
智子はなんの期待もせずに、とりあえず今日は幸子に頼まれた納豆2パックを買
うために地下にある食品売り場へと向かうのであった。




