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129 森に慣れた生徒たち

 林間学校3日目の朝を迎えた。


 朝靄に包まれた世界は昨日よりも見通しがよく、頭上の空も生徒たちがここに来

てから最も青く澄んでいるように見えた。


 朝食も済み、既に目も覚めているはずの生徒たちの元気がないように見えるのは

きっと彼らが、「終わる」ことに感傷的になっているからであろう。



 次の予定までの間、生徒たちは青空の下に置かれた背もたれのない素朴な木の椅

子に座って過ごしていた。


 木工クラフトを作ったり、ちょっとした休憩の際に使用したその木の机と椅子

もこれが生徒たちにとっては人生で最後の利用になる可能性が高い。

 

 生徒たちはそこまで深くは考えないものの、名残惜しさを感じている。



 生徒たちにとっては2度と来ないであろうキャンプ場であるが、もちろん教員は

別である。


 来年再び6年生の担任になればまた訪れるし、別の学年の担任になっても補助要

員として来ることになるかもしれない。


 教員にとっては最後の朝も淡々と過ぎていくのみなのである。



「おい、光井」

「ん? ともちゃん先生?」


 木の椅子に座る颯介の耳元で智子は小さな声で呼びかけた。


「ちょっと、こっち来いよ」

「え? なんですか? 仕事?」


 颯介は智子からなんらかの仕事を言いつけられるのだと思い、あとをついていっ

た。 


 クラスから少し離れた場所で智子は立ち止まり、真剣な表情で颯介に言った。


「お前、高平の股間の臭い嗅いだか?」

「嗅ぐわけないでしょ!?」

「やっぱり私がやるしかないか……」

「やらなくていいですよ、そんなこと!」


 智子が進介の股間の臭いを嗅ぐしかないと思っている理由、それは進介が6年生

にもなって未だに「おねしょ」をしていると智子が思っているからである。


「確認しなきゃ駄目だろ」

「なんでですか! 必要ないでしょ!」

「あるだろ。6年生がおねしょだぞ? 担任として知っておくべきだし、その権利

があるし、知りたいし」

「ともちゃん先生が知りたいだけでしょ!?」

「お前だって知りたいだろ?」

「知りたくないですよ!」

「え? マジで言ってる? 本当は知りたいんだろ?」


 進介がおねしょをしたかどうか知りたくないと言う颯介のことを智子は疑った。


「本当に知りたくないの?」

「ないです」

「それはなんで?」

「俺もう12才ですよ? 6才児とは違いますって」


 智子は颯介から明確に馬鹿にされたと感じた。

 しかし、それ以上にクラスメイトのおねしょに興味が無いという感覚の方が気に

なって仕方がなかった。


「そうかよ。分かったよ」

「分かってもらえてよかったです」

「私1人で嗅いでくるよ」

「分かってないでしょ!」

「え? やっぱり一緒に嗅ぐ?」

「嗅ぎません! 嗅ぐ人数は0人です!」

「お前、なんの権利があって……」

「進介の人権です!」


 颯介は進介を守るため、必死で智子を説得した。

 しかし、好奇心旺盛な智子にはどんな立派な言葉を並べても通用などしない。


「普段から高平と仲良くやってるなとは思ってたけど、結局お前はあれだな、人権

派弁護士ならぬ人権派親友だな。お前らみたいなのが世の中をつまらなくしてるん

だぞ。1回、滅びろ」


 智子は教師とは思えない台詞を教え子に投げかけ、その場をあとにする。

 

 向かうはもちろん進介の股間だ。



「少年たちよ大志を抱いているか?」


 智子は軽妙な口調で進介たちのいる机に近付いた。


「少年よ大志を抱けって誰かの言葉だよな」

「クラーク博士? 北海道の人かな?」

「クラーク博士はアメリカ人だから北海道の人ではないな」


 蓮と進介の会話に智子は口を挟んだ。


「ところで少年よ、お前らの机の下に珍しいキノコが生えてるっていう情報が入っ

たんで、ちょっと調べさせてくれないか」

「え? キノコ?」


 その机を囲んで座っている生徒たちが一斉に身を引き、机の下を覗こうとする。


「あ、高平はそのままで。その下だから私が見る」

「ここ?」


 不思議がる進介の身体を残しつつ智子はその股間に顔を近付けた、その時――


「ぬぉわ! 蛾だ! でっかい蛾だ!!」 


 智子は叫びながらうしろに仰け反り、土の上で盛大にこけた。

 

 机の天板に片手をつき顔を下げた智子の目の前の幕板に、10センチを超える大

きな蛾が羽を広げてとまっていたのだった。


「蛾?」


 1人で大騒ぎをする智子を無視して、男子たちは進介の身体の近くにとまる蛾を

覗き込んだ。


 そこにいたのは白くて神秘的ともいえる蛾で、朝の光に耐えているのか身動きひ

とつしなかった。


「結構でかいな」

「これは蝶じゃなくて蛾だろうな」 

「白いのはやっぱり珍しいのかな」


 女子たちの手を借りて立ち上がった智子は男子たちの余裕の態度に驚いていた。


「お前ら恐くないの? でっかい蛾だぞ?」

「森なんだから蛾くらいいるでしょ」

「でっかいんだぞ? めっちゃでっかいんだぞ?」

「でも蛾ですよ? 森なんだからいて当然でしょ」

「そうだけど……」



 生徒たちは林間学校を通じて森での生活に慣れ始めていた。


 まだたった45時間程度しか滞在していないのにもかかわらず、普段ならば大騒

ぎするような大きい蛾に全く動じない生徒たちに、智子は成長ではなく気味の悪さ

を感じていたのであった。

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