127 ラッキータイム
佐久間の怪談に恐怖した智子であったが、教師としての役割を果たすため、坂本
に手を引かれて所定の位置に向かった。
生徒たちは男女2人で組になり、懐中電灯1つで夜の森の中を1周する。
分かれ道には智子ら教師が配置されておりそれに従っていれば迷うことはない。
「進介!」
1組のクラスメイトたちと順番待ちをしていた進介に声をかけたのは、昼間オリ
エンテーリングを一緒に回った誠也であった。
「どうしたの?」
「肝試しのコース、昼間に俺たちが迷い込んだあの一本道らしいぞ!」
「え! あんな長い道行くの!?」
昼間進介たちの班は地図読みに失敗し、本来ならば行く必要のない道をひたすら
歩いていた。
その長い道が今から歩く肝試しのルートだと聞き、進介は軽く眩暈を覚えた。
「そんなに長い道なの?」
「うん。ゆっくり歩いたら10分くらいかかるかも」
「そんなに!?」
朝陽の問いに進介は答えた。
歩いて10分といえば子供でも1キロは行けるはずなのだが、進介の感覚は恐怖
で麻痺してしまっているため、本人にも嘘を吐いてるとか大袈裟にしゃべっている
とかいう意識は一切なかった。
そんな進介を見て、周りの仲間たちは進介以上に恐怖に駆られるのであった。
「1番手が帰ってきたぞ!!」
誰かがそう叫んだ。
くじで1番を引いた男女がコースを1周して戻ってきたというのだ。
「1番って誰と誰?」
「駿と高木」
同じ1組の2人、駿と高木雫が1番手だと朝陽は進介に教えた。
進介たちがコース脇に押し寄せると、向こうの方から腕を組んだ2人がやってく
るところであった。
「どうだった! 恐かった?」
「全然、恐くない」
群衆からの問いに懐中電灯を持った駿は満面の笑みで答える。
「本当に? 本当に恐くない?」
「全然、余裕。全然、恐くない」
何度聞いても、「恐くない」を繰り返す駿。
しかしその言葉とは裏腹に、駿の足は異常なまでの速度で前後を繰り返し、あっ
という間に2人は群衆の前からその姿を消した。
(あいつ、絶対恐がってたよな……)
その場にいた全員が駿の強がりに気付いていたが、かといってそれを馬鹿にする
者はいなかった。
なぜなら、このあと自分が同じようにそうなるかもしれないと思ったから。
進介の手の中の紙に書かれた番号は、「16」だった。
スタート地点に行くと、松尾が大きな声で順番待ちの生徒を仕切っていた。
「15番の2人、スタートして! 16番の2人、こっち来て待機!」
進介はスタート位置で懐中電灯を渡され、初めてパートナーが3組の熊田玲奈で
あることを知った。
進介は今まで玲奈と話をしたことがほとんどなかった。
別の学年の時にたまたま同じ班になり必要最小限の会話を交わしたくらいで、雑
談などはたったの1度もしたことがなかった。
控え目で口数の少ない玲奈を嫌う生徒は男子にも女子にもおらず、誰からも好か
れてはいないが誰からも嫌われてもいないという生徒であった。
「16番の2人、スタート!」
松尾の指示で進介たちは歩き始めた。
進介が右手に懐中電灯を持つと、空いた左腕に玲奈は腕を絡ませ身体を密着させ
た。
(肝試しとはこういうものだから……)
進介は心の中で繰り返しそう呟き冷静を装ったが、実際は咽喉がカラカラになる
ほど動揺していた。
(駿はこの状況で早歩きしてたのか……)
進介は男として、駿のことをちょっとだけ見下した。
「怖い……怖い……」
「大丈夫だって」
「怖い」を繰り返す玲奈と「大丈夫」を繰り返す進介――コミュニケーション能
力の乏しい2人がパートナーを組んでしまったせいで、壊れた人形が肝試しをして
いるかのような気持ちの悪い空間が夜の森にできてしまっていた。
最初の分かれ道、街灯の下に智子と坂本は立っていた。
「おう、高平か。お前ら何番だ」
「16です」
「ということは、真ん中よりちょっと前だな」
今の智子には佐久間の怪談に恐がっていた姿はなく、いつもの強気な幼女に戻っ
ていた。
「ともちゃん先生、機嫌いいですね。ほんのちょっと前まで佐久間先生の話に震え
てたのに」
「うん。だってここ明るいもん」
智子のいる場所には街灯があり、そこには森の雰囲気はなかった。
進介は街灯を見上げた。
5メートルほど上から照射される強い光には都会では考えられないような大きさ
の蛾が2匹と小さな蛾が数匹吸い寄せられ、何度も何度も光の周りをくるくると回
り、必死で羽を動かしていた。
「ともちゃん先生、あれ」
進介は上を向いたまま指を差す。
「ん?」
智子たち3人も揃って上を向く。
「蛾」
「!」
「!」
「!」
3人の女性は街灯に集まる蛾と撒き散らされる鱗粉を見て、血の気が失われるの
を感じた。
「お前、なに教えてくれてんだよ!」
「え……ぼくが言わなくても蛾はずっといたと思いますけど」
「だとしても知らなかったら問題なかったんだよ!」
「知っても別にいいじゃないですか。たかが蛾ですよ」
「お前、悪魔か! 鬼の子か! 幽霊みたいな顔しやがってよ!」
そう言うと智子は坂本の着ているジャージを掴んで泣き始めた。
「悪魔、鬼の子、幽霊……ぼく、どれですか?」
「全部だよ!!」
巨大な田舎の蛾に智子の心は打ち砕かれた。
泣き止まない智子に困った坂本は、「2人はもう行きなさい」と進介と玲奈に
指示を出すのが精一杯であった。
ゴールを目指し再び歩き出した2人であったが、それまでと違い玲奈が進介の
腕にしがみつくことはなかった。
頭上の蛾を教えてあげただけなのに……。
進介のラッキータイムは儚くも終了を迎えてしまったのであった……。




