119 運命の日
「ともちゃん先生……」
歯磨きとトイレを済ませた生徒たちがテントへと入っていく中、智子を呼び止め
たのは健太と昌巳であった。
「なんだ? もう就寝時間だからお前らも早く自分のテントに戻れよ。歯は磨いた
んだろ?」
「ええ、まあ……」
「じゃあ、なんだ?」
健太はもじもじしながら昌巳と目を合わせる。
「あー……そうか。うんこか。うんこなんだな? 恥ずかしがるなよ、そんなもん
誰でもやることなんだからな。今ちょうどトイレも空いてるし、行ってこい」
「いや、違うって……」
「私はお前のうんこの臭いを嗅ぎたくないから、これから風上に100メートル移
動する。だからお前はゆっくり100数えてからうんこするように。分かったな」
そう言って智子は、さっさと背を向けた。
「風上ってどっちだ? まあ、どっちでもいっか」
「ともちゃん先生、違うって!」
健太の訴えに智子は振り返る。
「なんだよ、でっかい声出してよ。いっぱい食べて、いっぱいうんこするのが強い
横綱になる秘訣だって昔、貴乃花の整体師も言ってたぞ?」
「誰だよ、それ」
「誰ってどっち? 貴乃花? 整体師?」
「どっちも知らないし、どっちも興味ないよ!」
「そうなの? ちゃんこダイニングの弟だぞ?」
「ちゃんこダイニング?」
「お前は本当になんにも知らないな」
智子は健太たちの生まれる前のネタを元にマウントを取る。
智子はこれを冗談ではなく真面目にやるのだから、教師としては決して褒められ
たものではない。
「そんなことよりスマホ持ってるでしょ?」
健太は智子に聞いた。
「持ってるぞ。先生方と連絡取ったり、学校や生徒の保護者からの緊急連絡用だ。
なんか家に連絡でもしたいのか? 重要な事ならいいけど、声を聞きたいからとか
そういうのは駄目だぞ。林間学校は生徒の自立心を養うという目的もあるからな。
お母さんの声が聞きたいとかそういうのなら諦めてもう寝ろ」
「違うんだよ」
健太はじれったそうに言う。
「ニュース見て欲しいんだよ」
「ニュース?」
「ニュースサイトのトップページだけでいいからさ、見てくれないかな」
「いいけど、ニュースが気になって眠れないの? スポーツか?」
「スポーツはいい。普通のニュース」
智子は成績の良くない健太がニュースを気にしているというのが信じられなかっ
た。
しかもスポーツではなく一般のニュースだというのだ。
智子はスマホの電源を入れ健太たちに見せる。
「これでいいか?」
真剣な表情で覗き込んでいた健太と昌巳は心から安堵をしたという表情になり、
そして言う。
「たつきょんの予言、外れたっぽいな」
「!」
「いや、まだあと2時間あるから油断できないよ」
「!!」
たつきょん……久しぶりに聞くその名前に智子は震えた。
1学期の終わりに生徒たちの口から出た、「たつきょん」という名前を智子はそ
れまで知らなかった。
職員室に戻り他の先生たちと情報を共有し、ネットで調べ、あらかたのことは頭
に入れていたつもりだったが、夏休みになり生徒たちとの交流がなくなると自然と
そのことを忘れてしまっていた。
そのため、運命の日が今日だということを智子は完全に失念していた。
『8月5日、東南アジアで大地震が起こり日本列島を大津波が襲う』
日本中の馬鹿と子供たちを恐怖に陥れた予言の真偽が今日判明する。
それは明日の話題にすればいいと智子などは思うのだが、健太と昌巳は我慢がで
きなかったらしい。
「地震があるとしたら、インドネシア?」
「そこから大津波が沖縄に来て、太平洋側全域に襲来する」
2人の会話を聞き、智子はあることに気が付いた。
「地震の可能性があるのはインドネシアだけなの? 他の国はないの?」
「たつきょんの描いたイメージ図だとインドネシアだと思う。でも、可能性として
はマレーシア、フィリピン、タイ、カンボジア、ベトナム、ブルネイ、ミャンマー
もある」
「ミャンマーは地理的に違うんじゃない? あとタイとカンボジアも」
「ああ、そうか。やっぱり本命はインドネシアかな。あとフィリピン」
(こいつら東南アジアの地理を把握していやがる……)
普段はなにをやってもさっぱり成績の上がらない2人の口から、すらすらと国名
が出てくるのが智子には驚きであった。
「沖縄のあとに津波が来そうなのは何県なの?」
「鹿児島と高知と和歌山は確実だな」
「そう。それに加えて熊本と長崎と宮崎も注意しておいた方がいいかも」
「人類が経験したことない規模の大津波だから、場合によっては愛知とか静岡とか
もしかしたら房総半島にまで行くかもしれない」
興奮しながらも、すらすらと地理について答える健太と昌巳。
(もしかして、オカルトを利用すれば勉強ってもっと捗るんじゃあ……)
普段は勉強に全く興味を示さない健太と昌巳の口から次々と国名や地名が出てく
る。
智子はそんな様子を見て、生徒たちのやる気を引き出すためならオカルトを利用
するのも悪くないかも……と思い始めていたのであった。




