101 お前もう2度と保健室使うな
「ともちゃん先生、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なんだ、桐谷」
「さっきの朝礼の時の貧血の話なんですけど」
智子は、「昔の朝礼では暑さにやられた生徒が貧血や熱中症で倒れることがあっ
た」という話をしていた。
「朝礼や終業式がリモートになったのってコロナ以降だと思うんですよ。それまで
は夏でも外でやってたんじゃないですか?」
「そういえばそうだな。リモートの朝礼ってコロナの時が初めてだったもんな」
「ですよね。ということは、ともちゃん先生が教師になってからも朝礼や終業式で
倒れる生徒っていたんじゃないですか?」
諒の指摘に智子は考え込むふりをした。
痛いところを突かれたと思ったし、このあとの諒からのつっこみも容易に想像が
ついた。
「ともちゃん先生が教師になってからも倒れる生徒が定期的に現れていたのに、な
んの対策もしなかったのは何故ですか? せめて暑い時季だけでも講堂で行うとか
校長先生の話を短くしてもらうとかできましたよね? どうしてやらなかったんで
すか? そもそも生徒の健康を危険に晒してまで朝礼ってやらなきゃ駄目ですか」
「朝礼はずっと続いている行事だし、他の学校だってやってるし……」
「講堂でやればいいじゃないですか」
「講堂だと全校生徒は入りきらないじゃん……」
「だったら辞めればいいじゃないですか。朝礼なんか、校長先生が誰も聞いてない
無駄話を披露するだけのイベントですよ。普段なにしてるか分からない校長の自己
満足に、どうして俺たちが付き合わなきゃいけないんだか――」
「お前、うるさーい!!」
諒の意地悪なつっこみに、智子はキレ返した。
諒の話を聞きながら周りの生徒は、「今日のともちゃん先生、意外と我慢強いな
あ」と思っていたので、智子がキレた時に驚く者はいなかった。
「週に1回くらい校長の長話を聞いてあげてもいいでしょ! もうお爺さんなんだ
ぞ! お爺さんの定年退職前のささやかな楽しみを奪うなー!」
智子が校長のことを「お爺さん」と呼んだことと校長の朝礼での話を「定年前の
ささやかな楽しみ」と解釈していることに生徒たちは苦笑した。
どうやら智子にとっては、その辺のお爺さんと校長先生の間に線引きはないらし
い。
「お前らは黙って朝礼に参加してればいいんだよ! 意味とか考えんな!」
智子の1学期最後の失言は続く――。
「校長なんてな、お客さんが来てない時は草むしりくらいしかやることがないんだ
ぞ! 週に1度の長話が最大の見せ場なんだよ! 校長から朝礼取ったらなにが残
るっていうんだよ! 加齢臭しか残んないよ!」
そんなことないだろ……と生徒たちは思ったが、校長先生の実際の業務内容を把
握しているわけではないので反論はできなかった。
「じゃあ、聞きますけど――」
再び諒が口を開く。
「生徒が貧血や熱中症で倒れた日は職員会議は開いていたんですね?」
「そ、それは……」
智子は諒から目を逸らした。
「職員会議を開いてすらいなかったんですか? どうしてですか? 生徒が意識を
失うなんて大事件ですよね?」
「大事件は言い過ぎだろ……」
智子は諒の言葉が大袈裟すぎると感じたのだが、諒は智子のその言葉を聞き逃さ
なかった。
「ともちゃん先生は、生徒が学校で意識を失って倒れるのが普通だと思ってるんで
すか?」
「それは思ってないけど……」
「じゃあ大事件じゃないですか」
「別に助かったんだからいいじゃん。すぐにクラスに戻ったし」
「それは結果論です。救急搬送されていた可能性だってあったはずですし、次はそ
うなるかもしれませんよ」
「もうリモートになったんだから、そんなことねえよ!」
智子は反論の機会が訪れ、ここぞとばかりに大声を出した。
「でも暑い時季以外は、また外でやりますよね?」
「そりゃそうだろ! それが駄目ならどうすりゃいいんだよ!? 生徒はずっと椅
子に座らせておくのかよ!?」
「生徒が倒れるのはストレスや睡眠不足のせいでは?」
「ストレスや睡眠不足……」
諒が提示した新しい視点に智子はハッとした。
「熱中症は暑い時季を避けることが重要です。でも貧血はストレスなどで脳の血
流が悪くなると起こるんです。つまり、時季に関係なく朝一番に行われる朝礼は
貧血を起こしやすい状況なんです」
諒の説明に智子たちは聞き入った。
反論をしようにも、医療の知識なんて誰も持っていなかった。
「その話、ほんと?」
「はい。俺、将来医者を目指してるんで、まずは身近な病気からと思ってネットな
んかで調べてるんです」
こいつすげえ……という空気が教室内に充満する。
しかし、智子はその空気を許さなかった。
「お前が医者を目指してるとか関係ない! ネットに書いてあることなんか全部嘘
だ!」
「えー……」
「もしほんとだったら、お前もう2度と保健室使うなよ!」
「なんでそうなるんですか……」
「お前、生意気なんだよ!」
「えー……」
「みんなも分かったな! こいつの言うことは全部ネット情報だぞ! そんなの藪
医者だぞ! 信じるなよ!」
「ネット情報っていっても、俺が読んでるのは病院とか医師が運営しているブログ
とかホームページですから信用できると思いますよ」
「それが嘘かもしれないだろ!」
「えー……」
「こいつ、嘘の病院と嘘の医者に騙されてるぞ! ネットリテラシーゼロだな!」
「えー……」
生徒が医者を目指すと言えば、たいていの教師は立派だと褒めるだろう。
しかし、智子にその常識は通用しない。
教え子の志が立派であろうとなかろうと、智子にとって重要なのはその時の自分
の感情であり、生徒の気持ちなどもはやお構いなしなのであった……。




