1 落雷
湊川智子の勤める小学校では、運動会は5月上旬に行われる。必然的に、ダンスなどの出し物の練習は4月からということになる。
まだ暑くないこの時季に、新しいクラスの仲間たちと気持ちよく汗を流し、連携を深める。運動会は秋に行うべきとの意見もあるが、智子は5月開催がベストだと評価している。
本番まであと2週間に迫った金曜日の午後、校庭では6年生の練習が行われていた。
6年生の出し物は、今年も組体操だ。運動会における花形種目のひとつといっていい。最近は「タワー」のような危険なものはやらなくなったが、それでも気を抜くと大怪我をする恐れがあるので油断は禁物だ。
特に今日のような暖かな晴れた日は子供たちの集中力が散漫になる。
智子は、4人1組でチームを作り「スカイハイ」の練習をしている生徒たちを見て回った。
運動神経の良い子、悪い子。他の子にコツを教えてあげる子、あげない子。出来ないことを克服しようと頑張る子、頑張れない子。生徒の個性は様々だ。
それぞれのやり方で練習に励む生徒たちを、智子は温かく見守っていた。
しかし、そんな中でも真面目に取り組まない者が必ず出てくる。
1組の田中健太と松田昌巳の2人が笑いながらプロレスごっこをしている。こういう時にふざけるのは決まって男子生徒なのだ。
「田中! 松田! ふざけてないで真面目にやれ!」
智子の声が校庭に響き渡り、怒られた2人は慌てて元に戻る。そして、緊張感は一瞬にして練習に参加していた生徒全員に伝搬する。
(これでいい)
完成度の高い演技を観覧に来た保護者に見せることは重要だ。しかし、それ以上に大事なことがある。それは、生徒全員が健康な状態で本番を迎えることだ。そのためには、怪我人を出すわけにはいかない。生徒の気が緩み始めたら、それを一喝する教師が必要であり、それは自分の役割なのだと智子は思っている。
生徒に個性があるように、教師にも個性はある。それに加え、年齢とキャリアにばらつきがある。正義感が強く、ベテランの域に達している自分が嫌われ役になるのは自然なことだと智子は思っている。
ふと頬が濡れるのを感じ、智子は空を見上げた。
晴れてはいるが、ぽつぽつと雨粒が落ちてくる。
「狐の嫁入りか……」
智子は呟きながら腕時計に目をやった。授業の終わりまであと5分を切っている。
本番当日なら、この程度の雨ならば競技は続けるだろう。しかし、今はまだ練習段階だ。授業の残り時間も僅かだし、早めに切り上げるべきだろう。
3組の担任の佐久間の方を見ると彼もそのつもりだったらしく、軽く頷いた後、今日の練習の終了を大声で生徒たちに告げた。
一気に緊張から解放された生徒たちは、笑顔で天気雨を楽しみ始めた。
「こういうの狸の離婚って言うんだぜ」
「狐の嫁入りだろ?」
くだらないことで盛り上がる男子を横目に、智子は落し物がないか辺りを見渡した。
すると、生徒たちが去った運動場の中央付近に赤白帽が落ちていることに気が付いた。
身体ひとつで行う組体操において、唯一使用する道具が赤白帽である。6年生にもなって、そのたったひとつの道具の管理すらまともに出来ない生徒がいることに多少の苛立ちを覚えつつ、智子は帽子の回収に向かった。
落とした生徒も不注意だが、どうして他の生徒は帽子が落ちた時に指摘してあげなかったのか、どうして代わりに拾ってあげなかったのか、それとも最後尾の生徒がそれを落としたのか。
その帽子が誰の物か特定することが出来れば、大体のことは分かるだろう。
(場合によっては説教だな)
そんなことを考えながら、智子は足元にある帽子を拾うため右手を伸ばした。
その刹那、空が割れ、竜神のような光が運動場に落ちてきた。
音が追いつく暇もなく、それは智子の身体を貫通した。
智子に為す術など無かった。人間の脳の反応速度よりも遥かに速いスピードで智子の身体に雷が直撃したのだ。
教師も生徒も、校舎の中にいた者も外にいた者も、滝小学校にいた全員が運動場の中央を注視した。
いつの間にか、雨は止んでいる。
全校生徒の視線の先は煙で包まれている。
誰もそこには近付かない。恐怖で足が竦み、近付けないのだ。
その時、4時間目の終了を告げるチャイムが校内に響き渡った。
すると、まるでそれが合図であったかのように運動場の中央を覆っていた煙が霧散し始めた。
そこに倒れている人がいる。横向きで微動だにしない。状況的に見て、それは間違いなく智子のはずだ。
しかし、何かがおかしい。
煙が完全に消えて無くなり、違和感の理由が判明した。
倒れている人と服のサイズが合っていないのだ。白い長袖のポロシャツと黒のジャージ。そのどちらも当然ながら大人用なのだが、それらを纏った中の人が明らかに小さい。
智子をよく知る6年の生徒や教師たちは、雷に打たれたせいで智子の身体が千切れてしまったのだと誰もが思った。
静まり返る校内。最初に動いたのは佐久間だった。
「君たちはここにいなさい」
そう周りの生徒たちに告げ、彼は運動場の中央へと歩を進めた。
全校生徒が固唾を飲んで見守る中、佐久間が目にしたもの、それは、「白いポロシャツを身に纏い、眠ったような表情で横たわる少女」の姿だった……。