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「おはようございます!黒崎センパイ!」


職場に到着すると、ここには似つかわしくない松嶋の元気な挨拶が響く。


「……おはよう。体調はもういいのか?」


「はい!昨日はダメダメでしたが、今日から頑張りますよ!」


そんなに張り切らなくてもいいのに。

席に座る高橋課長はこちらを遠目に眺めヘラヘラしている。


「今日からまたご指導ご鞭撻のほど、お願いします!」


彼女の誠意が見える様子に俺は苦笑いしか出来なかった。



仕事終わり。

今日は何事もなく滞りなく、松嶋も問題なく仕事をこなしていた。

唯一問題があるとすれば、彼女のお喋りな性格に対応しなければならない事だろうか。


「いや〜、この調子なら何とか続けられそうです」


「まぁ、何よりだな」


職場に戻った今も彼女の軽口は止まらない。

その時、唐突に目の前に高橋課長が現れる。


「お前ら、今から松嶋の歓迎会をしてこい」


「はい?」


困惑する俺を無視し剥身の万札を差し出す課長。


「久しぶりの若い新人だからな、このくらいはしておかないと」


「普通は皆でやるものじゃないですか?」


「おっさんばかり集めて何が楽しいんだ。ま、明日は休みなんだ。楽しんでこい」


それだけ言い残す課長。

俺の年齢も三十近くでおっさん間近なのだが、何故、任されたのだろう。


「松嶋、この金は渡すから好きに使ってくれ」


「え?飲みに行かないんですか?」


「俺と行ったところで楽しくないだろ」


「そんなことないっすよ。じゃあ着替えてくるんで玄関で待ち合わせしましょ」


そして、何故か乗り気の松嶋もさっさとその場を去ってしまう。

ああ、面倒くさい。



俺たち二人は職場を後にし、繁華街を行く当てもなく歩いている。

私服姿の若い女と人前で一緒にいると妙に落ち着かない。


「何処に行きます?あっ、センパイ、お酒飲めます?」


「酒は嫌いだ。大して美味くもないし、気持ち悪くなるし、体に悪いし」


少し吹き出した後、嬉しそうな顔をする松嶋。


「あたしも同じです。同志ですね。それじゃあ、ご飯が美味しいところに行きましょ」


「ここら辺で飯が美味いとなると」


「うまうま横丁ですね」


ふざけた名前をしているが、ここら辺では質の良い料理を提供する居酒屋だ。

金も貰った事だ、たまには奮発してもいいだろう。


「それにしても、センパイ、話しやすいですよね」


「なんだ、いきなり」


目的地まで少し歩くからか、松嶋がいきなり話題を持ってくる。


「否定したり怒鳴ったりしないからですかね。あ、あとあれだ、性欲がなさそうだから」


「いや、会ったばかりの相手に性欲をむき出しにする方がおかしいだろ」


「それがそうでもないんですよ。若い女ってだけで、モデルでもないのに値踏みされるんですから。まぁ、あたしが可愛いからってのもありますけど」


「けっ」


俺が思わず悪態をつくと、その様子を見て松嶋はケラケラと笑う。


そうこうしている間にうまうま横丁へと到着し入店するも、奇遇にも厄介な相手と出会ってしまう。


「おう、黒崎か」


なんという事だろうか、入り口の左手のテーブル席で一人、酒を飲んでいる後藤さんがいた。


「知り合いですか?」


「ほら、昨日の。いや、そういや知らないか。たまに現場で会う刑事の後藤さんだ」


「へぇ〜」


しかし、どうしたものか。

以前、一度だけ後藤さんに無理やり飲みに連れて行かれた事があるが、その際は酔いが回り更に饒舌になった彼相手に苦労したものだ。


「黒崎、少し、付き合ってくれんか」


悩んでいると、いつになくしおらしい後藤さんに再び声をかけられる。


「センパイ、いいっすよ。刑事さんと話せる機会なんてあまりないですし」


気を遣っているのか本気でそう思っているのかわからないが、松嶋がそう言うなら問題ないだろう。

後藤さんの様子も気にかかる。


俺たちは対面の席に腰を下ろし、適当に飲み物を注文する。

そして、会話を始める。


「後藤さん、どうしたんですか?」


彼は重々しく口を開く。


「彼岸事件が、また起きただろ。ラヴァーソウル関連の事件が起きるとな、どうしても思い出しちまうんだ。俺がこの仕事に就きたての頃に起きた、とある介護施設を検挙した件が」


「介護施設?」


「ああ、そこはな、ラヴァーソウルを従業員として働かせていたんだ」


俺とは違い、その言葉を疑問に思った松嶋が口を挟む。


「ラヴァーソウルを働かせる……。何でそんなことを」


「少子高齢化で人材不足に嘆くこの国だ。何より、ラヴァーソウルは全世界の経営者が涎を垂らして欲しがる金のかからない労働力にもなるんだ。花咲病に気をつければこれ以上の宝はない。違法だと知っていても、手を出しちまう馬鹿がいるんだ」


「そもそも、なんで違法なんですかね」


「簡単な話だ。それが罷り通れば誰も人間を雇わなくなる。社会に用意された数少ない自分たちの席を全部奪われるんだ。それほど恐ろしい事もないだろ」


それでも、こういった件は定期的に現れてしまう。

特に、夜の店などは対処できないほど蔓延っているとも聞く。


「で、結局どうなったんですか?」


「そりゃあ……。責任者は逮捕されて、ラヴァーソウルは全員連れて行かれたよ」


「じゃあ、利用者は……」


「他の真っ当な施設に連れて行かれるか家に帰るか。どちらにしろ、その数だけバッドエンドが生まれたわけだ。その後、ラヴァーソウルを求め徘徊する老人が増え、自殺も増えた」


言葉に詰まる後藤さん。

彼は酒を一口飲み鬱憤を晴らすように語り始める。


「……ジジババの泣き声が頭から離れねぇんだよ。ボケて小便臭え糞を漏らす、家族から捨てられた哀れな奴らにとってラヴァーソウルは奇跡なんだ。無性の愛をもって嫌な顔一つせず接してくれるんだからな。だから、引き離された時にさ、八十年も九十年も生きた人間がガキみたいに泣き叫ぶんだぜ。手を擦り合わせ祈るように縋るように。ひでぇ話さ」


「……でも、それが普通じゃないですか。これが今の世の中ですよね」


「そうだ、それが普通だ。若者は自分たちの楽園に引きこもり、労働者は搾取され、老人は孤独に喘ぎ死に怯える。この国を動かす奴らは、そんな地獄に堕ちないよう必死に国民の牙を抜き抗う力を奪っている」


やるせない、ただただやるせない。

そういった様子で酒に溺れようとする後藤さん。


「世の中が明るけりゃ個人が抱える闇くらい簡単に払えるんだ。ラヴァーソウルだって必要ないって胸を張って言える。でも、現実はそうじゃない。何もかもが真っ暗だ。だからこそ、大人が踏ん張って希望を叫ばなければならないのに」


再び、言葉に詰まる後藤さん。


「大丈夫ですか?」


「……ああ。上司にも部下にもさ、わかってもらえないんだよ。特に、若い奴らは口癖のように、希望を持っても裏切られるだけってな」


「何をやっても無意味だと思ってるんですかね」


その何気ない俺の言葉を受け、後藤さんの目が鋭く光る。


「違うね、断言してもいい。そもそも、あいつらは行動の意味を考えるスタートラインにすら立っていない。当然だ、何もしてないんだからな。面倒くさい、やりたくない、誰かがやってくれる、最低限の事だけをやっていれば社会が保障してくれる、そう考えてんだ」


彼の言葉は止まる事を知らず次々と堰を切ったように溢れてくる。


「足元を見なきゃいけないんだ。自己犠牲で成立している社会で生きている事を思い知らなきゃいけない。その成果だけ享受していれば、いつか破綻する時が来ると。いや、どちらにしろ、遅すぎた。この国はもう一度、やり直さないといけないのさ。戦後のようにな。……まぁ、戦争のような外傷に比べて、今度は体の中に巣食う癌が相手だ。どこかを切り落とすか、皆で死ぬか、その二択を迫られるんだ。今からでも国民全員が利他主義に目覚めれば、何かが変わるかもしれんが、な」


沈黙が訪れる。

これに何かを言える人間はここにはいない。


「……悪かったな、つまらねぇ話をしてしまって。これはお詫びだ、後は若いもんで楽しんでくれ」


財布から無造作に取り出した必要以上の金をテーブルに置き席を立ち上がる後藤さん。

ここで気の利く一言でも言わないと、彼は空気の読めない悪態をついただけのオヤジになってしまう。

何も、誰にも理解してもらえない孤独な人になってしまう。

そう悩んでいるうちに、松嶋が身を乗り出す。


「あ、あの、立派だと思います!その、ちゃんとしているっていうか、色々と悩んで生きてて!」


感情任せの拙い言葉。

しかし、それは確かに後藤さんに届いたようで、彼は照れ笑いを浮かべながら去っていく。


「……お前、凄いな」


「え?」


久しぶりに、他人の行動に感動した夜だった。

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