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「災難だったな」
「いえ」
職場の事務室に戻り、このご時世にありながら女の身で課長まで登り詰めた上司の高橋さんに事の顛末を報告する。
「これでまた、貴重な労働力を失ってしまったな」
俺が働く一般社団法人サルベイジ・ソリスはラヴァーソウルの死体を回収し処分する会社である。
ラヴァーソウルといえど人間の見た目に違わず、往々にして凄惨な姿になっているそれを回収する仕事を志望する人間も少なく、花咲病の原因が彼らだという話が一般的になってからは更に人手不足を加速させている。
「大丈夫か?」
「え?」
「そろそろ、嫌気が差してきた頃だろう」
常に死を身近に感じる仕事だ、どこか精神に異常をきたしていなければ務まらないだろう。
そして、ラヴァーソウルを虫のように扱えない俺なら尚更。
「でも、俺にできる仕事なんて他にありませんから」
「そうか。とりあえず、ゆっくり休めと言いたいところだが、人手不足でな、明日もよろしく頼む」
「はい」
「お疲れさん」
ようやく退勤だと喜ぶべきところだが、どうしても今日の出来事が尾を引いてしまう。
「どうした」
立ち尽くしていると、高橋課長が心配したように声をかける。
彼女になら、話してもいいかもしれない。
「その、実は、さっき回収したラヴァーソウルは生きていたんです。でも、体の殆どが黒く染まっていて、田中の奴、面倒だからと、その、殺したんですよ」
「だから、花咲病が発症したと?」
「はい」
「それは有り得んな。花咲病はゆっくりと進行する病気だ。あの馬鹿は随分前にラヴァーソウルに何かしらのことをしていたんだろう。お前の責任じゃない、そう気に病むな」
少しだけ心が軽くなる。
だが、次は俺の番かもしれない。
「花咲病って何なんですかね」
「あれはきっと、呪いのようなものだと思う」
「呪い、ですか」
「ああ。ラヴァーソウルがお前ら人間は本物の愛なんて持ち合わせていないってことを知らしめてるんだ。謂わば、人間の欺瞞を暴くために現れた正義の化身ってところか。まぁ、ただ仕事をきっちりこなしてプライベートでもラヴァーソウルと関わらなければ済む話だ」
正義の化身。
その言葉はいとも簡単に俺の胸に落ちた。
「そんなに気になるなら、どうだ、気晴らしにでも残業をしていくか?てんこ盛りの事務作業をやれば余計な事は考えなくて済むぞ」
ニヤニヤとした高橋課長。
「いえ、遠慮しときます」
「そうか」
*
すっかり日は落ち住宅と街灯の灯りを頼りに帰路を進む。
自宅と職場を往復するだけの変わりない日々。
幸せだと思えることは何一つなく、不幸なことは人並みにある生活。
そんなものに何の価値がある。
いっそ、ラヴァーソウルに手を出して自ら死を選ぶか。
ヘドロのような思考を抱え歩いていた時、二十メートルほど先、街灯の明かりの中にそれは存在した。
真冬だというのにノースリーブの白いワンピースを身に付け、サンダルを履いた女。
精神疾患者でなければ、あれは十中八九、ラヴァーソウルだろう。
彼女らは暑さ寒さを感じず、愛さえあれば何処ででも生きていける生き物だ。
それにしても、美しい。
薄汚れた住宅路が大舞台に、錆びた街灯がスポットライトに変わるほど。
丁度いい。
そう醜い考えが浮かぶも、そんなことは馬鹿げていると理性が欲を殺す。
こんなものが無ければ楽になれるのに。
とりあえず、あれは無視した方が良さそうだ。
再び、下を向いて歩き出す。
そして、視界の端に白く輝く二本の足を捉えたところで。
「こんばんは」
凛とした声に、思わず顔をあげ見向いてしまう。
その姿を認識した途端、俺の心臓が跳ねる。
艶やかな長い黒髪に切長の大きい目、鼻筋は真っ直ぐ、唇も均整が取れている。
そして、化粧気が全くないというのに、肌は白く輝いている。
やはり彼女はラヴァーソウルで間違いない。
ラヴァーソウルは代謝を行わないため、肌はシワやシミ、吹き出物などは一切なく陶器のように滑らかな肌をしているのだ。
すぐに距離を置くべきだというのに、彼女の放つ引力が俺を吸い寄せる。
このまま抱きしめて滅茶苦茶にしてやりたい、その衝動が心の底から沸々と湧き出てくる。
だが、この期に及んでも俺の身体を動かすほどのエゴは現れてくれない。
「随分と、辛そうな顔をしていらっしゃいますね」
ラヴァ―ソウルが口を開く。
鋭い冷気を取り払ってしまうような暖かい言葉。
もっと、その声を聴いていたい。
少し話すだけなら、許されるか。
「そんな恰好で、寒くないのか」
「私はラヴァ―ソウルです。寒くありません」
下らない質問だというのに真面目に返答するラヴァ―ソウル。
情けない、職場でしか人と話さない俺の脳味噌にはまともな話題など詰まっていないのだ。
俺はこの舞台に相応しくない。
それならせめて、去り際に。
理屈もエゴも消してしまおう。
俺は自らのコートを脱ぎ、彼女の肩にそっと掛ける。
「あ、あの、これは」
「寒そうだったから」
感情もなく寒さも感じないのに、雪の上に倒れている彼女らはとても寒そうに思えた。
ただそれだけの話。
そのまま何も告げずに方向を変え再び歩き出すと、体にまとわりついていた温もりは、あっという間に寒風にさらわれていく。
それでも、胸の内には石粒ほどの熱が宿っていた。
*
自宅に到着する。
玄関のドアを開け電気をつけると、向かえるのは侘しい六畳一間のワンルーム。
畳張りの床の中心には背の低い丸テーブルが鎮座しており、その周りには脱ぎ散らかした服や空のペットボトルが数本あり、ぐちゃぐちゃの布団は敷いたままである。
ここが俺の住処。
ここで日々を繰り返し、いつか死に至るのだろう。
くだらない、くだらない人生だ。